日東紡績 の平均年収・従業員数の推移

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平均年収・従業員数 — 人員と処遇の長期推移 有価証券報告書ベースの連結/単体の年次変化と業界他社の平均給与比較

2,793前年比+48人
867前年比+42人
749万円前年比+30万円
42前年比▲1歳
従業員数(連結・単体)単位:
連結従業員数単体従業員数
平均年間給与(単体)単位:万円
平均年間給与
平均勤続年数(単体)単位:
平均勤続年数
平均年齢(単体)単位:
平均年齢

日東紡績の人員削減と構造改革 発表された削減計画と、有価証券報告書で確認できる実績

日東紡績の人員の圧縮は、祖業を畳む工程そのものだった。1965年に綿紡大手のなかで最も早く赤字へ転落したあと、1970年代の「特化作戦」で従業員は1974年4月期末の7949人から1979年4月期末の5949人へ5年で約25%減り、1986年のレーヨン撤収、1990年から1998年にかけての紡績拠点の連続閉鎖と、事業を手放すたびに規模が落ちた。祖業の紡績を終えたあとも縮小は続き、2008年12月の早期退職には約560名が応じている。連結従業員数は2002年3月期の4219名から2010年3月期には2910名まで減った。

発表された削減計画と、有価証券報告書の連結従業員数が実際にどう動いたかを並べた。連結従業員数を遡れるのは2002年3月期までで、それ以前に実施された施策には実績を付していない。単体の従業員数は2012年3月期からしか遡れないため、いずれの行も連結で見ている。

年月施策発表された計画従業員数の実績
「特化作戦」による事業の絞り込み

1965年、綿紡の合理化の遅れと主力のスフ部門の過大、合繊進出の失敗が重なり、売上300億円強に対して36億円強の赤字を出して無配へ転落した。長島武夫社長はコスト中心主義から品質重視経営への転換を掲げ、1967年の中央紡績・新洋紡績の売却をはじめ工場の売却と新設を組み合わせて設備を切り替えた。従業員数は1974年4月期末の7949人から1979年4月期末の5949人へ、5年で約2000人減っている。

日経ビジネス 1979年8月27日号「日東紡績。量追わず質求めた『特化作戦』開花」

合繊系・合成皮革を手放し、綿紡績を高級糸のコーマー糸へ絞る
レーヨンステープル・化繊糸事業の撤収

化学繊維事業の構造調整が業界全体で進んだ1980年代に、創業期に片倉社長が踏み込んだ化学繊維分野から実質的に退出した。同じ1986年に米International Immunology Corporationを買収して免疫系体外診断薬に参入し、1987年12月には富久山工場に診断用医薬品製造所を新設している。捨てる事業と育てる事業の入れ替えが同時に進んだ局面だった。

日東紡績 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】

1937年から49年間続いたレーヨンステープル・化繊糸事業を撤収
郡山工場の合繊紡績閉鎖 ── 紡績拠点の連続閉鎖の始まり

ここを皮切りに、1992年1月に和歌山工場の綿紡績、1993年9月に富久山事業センターの合繊紡績、1995年2月に静岡工場の綿紡織と、紡績の操業を順に止めていった。和歌山工場は1991年11月に設立したニットーボー和歌山を通じて建材事業へ転換し、静岡工場の跡地はジャスコが入居するショッピングセンターとして開発している。閉鎖と転用が組み合わされており、この段階では拠点の集約が中心だった。

日東紡績 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】

郡山工場の合繊紡績を閉鎖し富久山事業センターへ統合
相良社長の就任と紡績本業の終焉

綿紡績はアジア勢との競争で採算が崩れ、1993年3月期に6億円の営業赤字、1994年・1995年と2期連続の経常赤字で無配に転落していた。林眞帆前社長は1995年4月、5人の常務で末席だった相良敦彦氏を社長に抜擢し、60歳以上の役員5人が退任して12人の役員全員が50歳代になった。相良社長は夢を見る社長ではなく格好の悪い社長をやりたいと述べ、汎用品を捨てて特殊品に絞る方針を掲げている。泊工場は約350人の雇用に配慮して1995年から3年をかけて段階的に操業を止め、1998年1月に綿紡績を終えた。

日経ビジネス 1999年1月4日号「綿紡績からガラス繊維に転換」

不良資産の圧縮とコア事業への経営資源の集中投入
早期退職者の募集

2005年7月に過去に販売したロックウール製品でアスベストを使用していたと公表して建材事業の負担が重くなり、2008年8月には住友ベークライトとの合弁を解消してメラミン化粧板事業から撤退した。同年12月に募集した早期退職には約560名が応じ、特別加算金の計上を主因に2009年3月期は91億円の最終赤字となっている。2009年3月期から2010年3月期にかけての連結従業員数の減少には、2009年10月に野原産業へ譲渡した日東紡マテリアルの従業員が連結から外れた分も含まれる。

日東紡績 有価証券報告書(2009年3月期)

3,6072,910名 ▲697名連結/2009/3期 → 2010/3期
内装建材事業からの撤退

2009年7月に会社分割でメディカル事業をニットーボーメディカルへ承継したうえで、10月に内装建材の営業会社である日東紡マテリアルの全株式を野原産業へ譲渡し、2010年3月には不燃吸音天井板事業からも退いた。1962年に千葉工場でミネラートンの生産を始めてから約半世紀続いた内装建材事業の整理である。譲渡にともなう連結従業員数の減少は前行の2009年3月期から2010年3月期の実績に含まれるため、この行では重ねて示していない。

日東紡績 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】

日東紡マテリアルの全株式を野原産業へ譲渡し、不燃吸音天井板事業から撤退
ニットービバレッジの譲渡と飲料事業からの撤退

ニットービバレッジは1998年の泊工場の綿紡績操業終了にあわせて設立され、紡績拠点を飲料生産へ転換した会社だった。2023年1月に全株式をライフドリンクカンパニーへ譲渡し、25年で飲料事業から退いている。2022年3月期から2023年3月期にかけての連結従業員数の減少は譲渡によって連結の範囲が変わったことによるもので、雇用が失われたことを意味しない。

日東紡績 有価証券報告書 第164期(2025年3月期)【沿革】

ニットービバレッジの全株式をライフドリンクカンパニーへ譲渡2,7292,631名 ▲98名連結/2022/3期 → 2023/3期

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