倉敷紡績の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

事業を外へ出してきた会社が、1962年から本体で抱え直した。1926年には人絹工業へ進むため倉敷絹織を別会社として設立し、1930年6月には世界恐慌下で倉敷労働科学研究所を社長個人の経営へ移管し、1949年8月には倉敷機械を興して紡績機械の製造を分離している。ところが1961年4月の食品への出資を挟み、1962年11月からは化成品・環境・エレクトロニクスを本体の事業部として順に新設する。1970年3月に環境エンジニアリング、1976年3月にエレクトロニクス、1986年にフッ素樹脂加工品を、順に本体へ足した。外へ出した倉敷機械は2010年12月に完全子会社化して戻したが、2024年1月にDMG森精機へ売却している。外へ出した3つは資本ごと手元を離れ、本体の事業部として起こしたものだけが137年目の損益計算書に残った。

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