1984年から1986年に買収へ投じた約300億円は、1985年の経常利益37億4,000万円の8倍にあたる。40パーセントの株式を取り戻すだけなら、この額は要らなかった。横瀬社長は2年の交渉の末、資本の従属を解くと同時に赤字の親会社の工場まで引き受ける方針を選んだ。ダンロップの商標を使える範囲を英国側に握られたままでは、国内が円高で減少したときに販売先がない。買う会社と買われる会社が入れ替わったこの取引で住友ゴム工業が得たのは、規模よりも、どの市場へ売るかを自分で決められる立場であった。
一方で国内は縮んだ。1985年の売上高は社名変更以来初の減収となり、海外本部の売上高も1986年には1984年比65パーセントまで減少した。欧州3社と米国ダンロップ社の生産性も、黒字化したあとの1988年で住友ゴム工業本体の4割から6割台にとどまる。全社黒字という結果の裏に、その差はそのまま残っていた。世界第6位の規模を獲得したことと、その規模を使いこなせたかどうかは、分けて見る必要がある。