DIC米サン・ケミカル社グラフィックアーツ部門の取得と、印刷インキ世界首位への到達

自力で開発するか、開発済みの会社を買うか——1兆円計画に残った数%の差を、川村茂邦社長は何で埋めたか

時期 1986年12月
意思決定者(推定) 川村茂邦 社長
論点 一兆円計画の達成手段と海外買収
概要
1986年12月、大日本インキ化学工業が米サン・ケミカル社のグラフィックアーツ部門を5億5,000万ドル(当時およそ850億円)で取得し、新生サン・ケミカルとして発足させた買収。自己資本およそ1,000億円に対する投資であり、これによって世界最大の印刷インキメーカーとなった。川村茂邦社長の判断による。
背景
1978年に社長へ就いた川村茂邦氏は、創業80周年にあたる1987年度に売上高1兆円という長期経営計画を掲げた。年率15%の成長が要るのに過去5年の実績は8%程度で、差を埋める柱は新製品開発と海外戦略に置かれた。印刷インキは技術サービスの密着が要り、輸出や現地生産では米国市場に入れなかった。
内容
1985年1月に競合インモントが独BASFの傘下へ入ると、川村社長は渡米してサン・ケミカルのアレキサンダー会長に直談判した。オーナーが持株を46%まで買い増していたため過半の取得は見送り、インキ部門の譲受にとどめている。前社長には買収成立後の経営を事前に打診し、承諾を得てから交渉に入った。
含意
川村社長は買収の可否を人で判断し、経営を託せる相手の承諾を得てから交渉に入った。1979年のポリクローム、1987年のライヒホールドと続く買収で世界一のインキメーカーの地位は確定したが、1兆円の達成は10年遅れ、海外が売上高の55.3%を占める中身になった。
筆者の見解

開発では埋まらなかった数%

5億5,000万ドル、当時の言い方で850億円は、自己資本およそ1,000億円の8割強にあたる。それを一度に投じた理由は、新製品開発で埋めるはずだった年率数%の差が、10年計画の後半に入っても残っていたところにある。研究開発費を売上高の6%まで積む構想は、成果が出るまでに年月を要する。その年月が1987年度という期限と噛み合わなかった。川村社長がポリクローム買収を「時間の節約」と言い換えたのは、期限から逆算した言葉であった。

850億円で届いたのは世界一のインキメーカーという地位であって、1兆円ではなかった。達成は10年遅れ、しかも海外が売上高の55.3%を占める、国内で8,500億円を積むはずだった計画とは別の中身である。人を基準に置く買収の作法は、コール・アンド・マーデンで7年を失った代償として身につき、サン・ケミカルではその通りに働いた。買収は技術も市場も経営者も運んできたが、国内の成長率までは埋めなかった。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

各事業部に試算させた一兆円

1978年6月、川村茂邦氏が3代目社長に就いた。同氏が掲げたのは、創業80周年にあたる1987年度に売上高1兆円という長期経営計画である。発端は創業70周年記念事業推進委員会の席で出た提案で、年率15%の成長を続ければ5年で倍、10年で4倍になるという計算だった。川村社長は各事業部にその可能性を試算させ、集計した結果として達成できると判断している。内訳は国内8,500億円、海外1,500億円であった[1][2]

川村社長はこの数字の出どころに意味を置いた。上から押しつけたものではなく、下から積み上げたものであることに意義があるという。ただし計画には自ら認めた欠落があった。過去5年間の成長率は8%程度にとどまり、年率15%との間に数%の差が残る。差を埋める手段として同氏が挙げたのは、新製品・新領域の開発と、国際企業としての海外戦略の二つであった。1978年5月末の総資産は2,257億円、自己資本381億円、自己資本比率16.9%である[3][4][5]

輸出でも現地生産でも入れない市場

印刷インキは、ユーザーに密着した技術サービスの体制がなければ売れない商品であった。同社の製品は用途ごとに細かく分かれ、注文のたびに技術者が仕様を詰める。問屋の手に負える商品ではなく、販売は直販に頼っていた。海外でも事情は変わらず、輸出や現地生産による新規参入は難しい。川村社長が就任から間もないころにサン・ケミカルとインモントという米国の2大インキメーカーの買収を考えたのは、米国市場へ入る道が買収のほかに見当たらなかったためであった[6][7]

買収でしか入れないという読みは、1979年3月のポリクローム社の取得で先に実行に移されている。同社はレーザーなどの映像受信に要る感光材料に優れた技術を持っていた。川村社長は買収の理由をこう説明する。自力で開発すれば多大な時間と資金を要し、しかも研究が成功する保証は何もない。既存の会社を買えばリスクなしに技術を入手でき、すぐ収益に寄与し、時間の節約にもつながる。相手が持つ市場も貴重だと評価していた[8][9][10]

決断

インモントがBASFに買われた日

1985年1月、狙っていた2社のうちインモントが独BASFに買収された。残るサン・ケミカルまで他社の手に渡れば、米国市場へ入る機会は失われる。DICに資金力がついてきたころでもあった。川村社長は直ちに渡米し、ノーマン・アレキサンダー会長にインキ部門を売ってくれと直談判している。当初は買収価格に開きがあったものの、直後のプラザ合意で円高が急速に進み、円で見た負担は軽くなった[11][12]

1986年12月、大日本インキ化学工業はサン・ケミカルのグラフィックアーツ部門を5億5,000万ドルで取得し、新生サン・ケミカルとして発足させた。川村社長はこの額を850億円と言い換え、自己資本がざっと1,000億円だと並べてみせている。会社ごとではなく部門にとどめたのは、オーナー側が持株を46%まで買い増して過半の取得が難しくなり、無理をしなかったためであった。交渉で投資銀行は大して役に立たなかった、とも語る[13][14][15][16]

経営者を確保してから交渉に入る

買収の可否を、川村社長は人で判断していた。会社を買うのは債券や不動産を買うのとは違って実態がなく、とくに米国では土地・建物にあまり価値がないから、人間と仕事そのものしかない——それが同氏の説明である。サン・ケミカルの前社長は、在任7年で同社を全米一のインキ会社にしながら、会長と意見が合わずに退いていた。川村社長はこの人物に買収成立後の経営を引き受けるかを打診し、承諾を得てから具体的な交渉に入っている[17][18]

その基準は失敗から得たものであった。10年ほど前、同社は米国で6番目に大きいインキ会社コール・アンド・マーデンを、純資産900万ドルに対し600万ドルで買っている。創業者の死去で売りに出たワンマン会社で、人材も技術もほとんど残らず、立て直しに7年かかった。1足す1が2では冒険する値打ちがなく、3にも5にもできる成算があるから買う、と川村社長は語る。この規模の買物をスパッと決められたのは同族会社であったからではないか、とも述べている[19][20][21]

結果

世界一のインキメーカーになるまでの三度の買収

1987年9月、同社は米ライヒホールド・ケミカルズを株式の公開買付により買収した。1952年に合成樹脂の技術を教わった相手を、35年後に傘下へ収めた買収である。1979年のポリクローム、1986年のサン・ケミカル、そしてライヒホールドと8年の間に三度重ねた米国買収によって、DICグループは1992年の時点で世界の印刷インキの15%を握る首位となり、インキ原料の有機顔料でも首位の独BASFに迫る20%以上を確保した[22][23][24]

買収額と資産価値の差にあたるのれん代の償却は、サン・ケミカルで1992年度に終わった。翌年度からは100億円近い利益を計上する見通しが立っている。経営を託した元社長のエドワード・バー氏は、このときサン・ケミカルの会長とDICの取締役を兼ねていた。人を得られなければ何も残らないという基準は、立て直しに7年を費やしたコール・アンド・マーデンとは違う結果を出した[25][26]

業界より早く、目標より遅く

1992年の日本の化学業界は、再編の入り口に立ったばかりであった。三井東圧化学と三井石油化学の合併交渉が報じられ、両社は直後に交渉凍結を発表している。同じころ米デュポンと英ICIはアクリル事業とナイロン事業を相互に譲渡した。日本メーカーが慌てて動き始めるはるか以前に手を打っていた、と当時の記事はDICについて書いている。世界で一番にならなければ日本で一番にはなれない、というのが川村社長の論理であった[27][28]

一方、1兆円のほうは期限に間に合わなかった。連結売上高が1兆217億円に達したのは1998年3月期で、計画が定めた1987年度から10年遅れている。中身も当初の想定と入れ替わった。国内8,500億円・海外1,500億円という配分に対し、達成時には売上高の55.3%を海外で計上している。国内で年率15%の成長を続けるという前提が保てなかった分を、買収した米欧の子会社が埋めた計算になる[29]

出典・参考
  • 証券アナリストジャーナル 1978年16巻8号「年商1兆円を10年後に実現」(川村茂邦社長講演要旨、1978年6月30日)
  • 証券アナリストジャーナル 1979年17巻10号「62年度に年商1兆円を計画」(川村茂邦社長講演要旨、1979年9月14日)
  • 日経ビジネス 1987年2月2日号「編集長インタビュー 川村茂邦氏(大日本インキ化学工業社長)日本型M&A作戦」
  • 日経ビジネス 1992年6月1日号「川村茂邦氏(大日本インキ化学工業社長)国際M&A結実へ仕上げ」
  • 日経ビジネス 1998年9月14日号「新社長登場 奥村晃三氏(大日本インキ化学工業)体質改善で再編渦巻く世界競争に挑む」
  • DIC 有価証券報告書【沿革】

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