DIC液晶材料事業からの撤退と、星光PMC株式・美術品の売却による資産圧縮
資本コストに見合うか、事業として続けられるか——自社開発の液晶と美術館を同じ物差しに載せた2年間
- 概要
- 2024年2月に長期経営計画「DIC Vision 2030」の見直しとキャッシュ・アロケーション方針を公表したDICが、2024年から2025年にかけて液晶材料事業から撤退し、星光PMC株式・政策保有株式・美術品を売却して投下資本を圧縮した経営判断。池田尚志社長のもとで進んだ。
- 背景
- 2021年6月のBASF顔料事業買収の後、2023年12月期に特別損失405億70百万円を計上して当期純損失398億57百万円に沈み、ROICは1.5%、PBRは0.72倍まで下がった。東京証券取引所が上場企業に求めた「資本コストや株価を意識した経営」への対応として、DICは資産の抱え方から見直しに入った。
- 内容
- 1973年に自社開発したネマティック型液晶に始まる液晶材料事業は、2024年12月に生産を終え、2025年9月に中国の生産子会社2社の出資持分を譲渡した。星光PMC株式は2024年1月に全株を手放し、DIC川村記念美術館は美術品384点を100点程度に絞って都内へ移すことが決まった。
- 含意
- 売却損を確定させてでも投下資本を先に外へ出す判断が2年続き、2025年12月期の営業利益は522億円、当期純利益は324億円まで戻った。一方でOASIS系ファンドの株主提案とISSの反対推奨を受け、資本効率をめぐる株主との距離は縮まっていない。
同じ物差しに載せたもの
星光PMCの譲渡では、45億13百万円の売却損を計上している。損失を確定させてでも投下資本を先に外へ出す——2024年からの判断はこの順序で並んでいる。1973年に自社で開発した液晶材料も、1990年から運営してきた美術館も、事業として続けられるかではなく、資本コストに見合うかで測られた。半世紀の自社技術と、5万件超の署名が寄せられた施設を同じ物差しに載せたのが、池田社長のもとで進んだ2年間の割り切りである。
圧縮で得た現金の使い道は、まだ数字になっていない。2025年12月期の営業利益522億円は構造改革の効果を含む一方、売上高は1兆522億円へ減っており、稼ぐ力そのものが厚くなった分は切り分けられない。残した100点程度の活かし方も、2030年完工予定の新西館を待つ。OASIS系のファンドは2025年12月末でなお計11.60%を持つ。減らす側の作業は済んだが、積む側の計画はまだ株主の前に出ていない。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
顔料事業の買収がもたらした資本効率の重さ
DICは2021年6月、ドイツBASFの顔料事業(Colors & Effects事業)を買収し、色材の品揃えを一気に広げた。しかし買収した事業の採算は振るわず、2023年12月期には特別損失405億70百万円を計上して、親会社株主に帰属する当期純損失は398億57百万円に達した。売上高1兆387億円に対し営業利益は179億円にとどまり、買収で増えた資産に見合う利益が出なくなっていた[1][2]。
資本市場から見た評価も低かった。2023年度のROICは1.5%、ROEは▲10.6%で、株価純資産倍率は0.72倍にとどまっていた。東京証券取引所が上場企業に求めた「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応」を受け、DICは資本収益性の改善を経営課題の中心に据える。2026年度の目標としてROIC4.0〜5.0%、ROE7.0〜8.0%を掲げ、分母である投下資本を減らす方向へ計画を組み替えた[3]。
「構造改革事業」に置かれたTFT液晶
液晶材料は、DICが自ら育てた事業であった。1973年5月、使用温度範囲・コントラスト・寿命のいずれでも従来水準を大きく上回るネマティック型液晶を開発し、電卓での採用を得ている。以来、ディスプレイパネル向け材料の供給者として半世紀にわたり事業を続けてきた。印刷インキと有機顔料を祖業とする会社が、家電の中核部品に納める材料を自前の研究から起こしていた[4]。
その事業を、DIC自身が早い段階で要注意に分類していた。2022年2月に公表した長期経営計画「DIC Vision 2030」で、主力製品であるTFT液晶を「構造改革事業」と位置づけ、事業価値を高める策を検討し続けた。海外メーカーとの競争が激しくなり、事業環境の悪化が続くなかで、DICは最終的に事業の継続は困難と判断する。撤退は単年の業績で決まった判断ではなかった[5]。
決断
キャッシュ・アロケーション方針と、液晶材料からの撤退
2024年2月13日、DICは「長期経営計画『DIC Vision 2030』の見直しに関するお知らせ」で、2024年から2026年までのキャッシュ・アロケーション方針を公表した。生み出した資金の配分先をあらかじめ示し、資産の売却で得る現金もその原資に数える考えである。政策保有株式、生産合理化にともなう工場・土地、液晶材料事業の知的財産——2024年度の資産圧縮は約240億円に達した[6][7]。
事業そのものの整理も並行した。2024年1月15日、DICは連結子会社であった星光PMCの全保有株式を、同社の自己株式取得により手放している。この譲渡では45億13百万円の関係会社株式及び出資金売却損を計上した。液晶材料は2024年12月に生産を終え、2025年9月24日には中国の生産子会社である青島迪愛生精細化学有限公司と青島迪愛生液晶有限公司の出資持分全てを、青島金家岭財金投資有限公司へ譲渡した[8][9]。
価値共創委員会が最初に扱った美術館
2024年4月、DICは独立社外取締役4名で構成する「価値共創委員会」を設置し、最初の審議テーマにDIC川村記念美術館の運営を選んだ。美術館は1990年から千葉県佐倉市で30年以上運営され、芸術文化への貢献として評価を得てきた。一方で保有資産として見れば資本効率の面で有効に活用されていない、というのが会社の認識であった。委員会は合計6回にわたって審議した[10][11]。
2024年12月26日、取締役会は「ダウンサイジング&リロケーション」を最終方針として決めた。保有する美術品384点を4分の1程度、およそ100点に絞り、残りを売却する。美術館の存続を求める署名は5万件を超えていたが、規模を縮めて都内へ移すという結論は動かなかった。2025年3月には移転先として、公益財団法人国際文化会館が2030年完工を予定する新西館への移転で合意した[12][13]。
結果
株主提案と、2025年3月の株主総会
圧縮の進み方は、株主から遅いと見られていた。2025年3月27日の第127期定時株主総会に向け、OASIS系の2ファンドが株主提案を出し、3月3日と13日に公開質問を公表する。議決権行使助言会社のISSは、取締役会長 猪野薫氏の選任に反対を推奨した。理由は、同氏が社長であった2018年1月から2023年12月までの業績低迷と、美術品売却で得る資金の使途が不明確なことであった[14][15]。
DICは3月14日、2024年度に売上高1兆711億円・営業利益445億円・当期純利益213億円まで戻したことを示し、美術品を4分の1程度に絞って2025年度中に少なくとも100億円程度のキャッシュインを目指す方針を説明した。総会後も猪野氏は取締役会長にとどまっている。一方、創業家の川村喜久氏は任期満了で取締役を退き、無報酬のエグゼクティブアドバイザーを委嘱された[16][17]。
圧縮のあとに残った数字
2025年12月期の連結売上高は1兆522億円と前期から減り、液晶材料事業からの撤退も減収の一因となった。それでも営業利益は前期比17.2%増の522億円、親会社株主に帰属する当期純利益は51.8%増の324億円に伸びている。純利益の増加には、液晶材料事業の撤退にともなう出資金売却益31億1百万円と、美術品売却益68億74百万円が効いた。美術品の売却による収入は80億円に上った[18][19]。
人員も減っている。連結従業員数は2022年12月期の22,743人から2025年12月期には20,884人となり、3年で1,859人少なくなった。美術品は2025年11月、価値の高い20点程度をクリスティーズ経由でニューヨークの国際オークションに出品し、約束した100億円以上のキャッシュインを生んだ。OASIS系の3ファンドは2025年12月末時点で計11.60%を保有し、第3位・第6位・第7位の大株主に並ぶ[20][21][22]。
- DIC 有価証券報告書(2023年12月期・連結)
- DIC 有価証券報告書(2024年12月期)【企業結合等関係】事業分離
- DIC 有価証券報告書(2025年12月期・連結)
- DIC 有価証券報告書(2025年12月期)【沿革】
- DIC 有価証券報告書(2025年12月期)【企業結合等関係】事業分離
- DIC 有価証券報告書(2025年12月期)【大株主の状況】
- DIC 有価証券報告書(2022年12月期および2025年12月期)【従業員の状況】
- DIC 統合報告書2025(DIC Report 2025)「社長メッセージ」
- DIC 統合報告書2026(DIC Report 2026)「美術館運営の見直しを巡る経緯と背景」
- DIC「株主の質問状に対する当社見解について」(2025年3月14日)
- DIC「ISS社レポートに対する当社の見解について」(2025年3月14日)
- DIC「株主の追加質問状に対する当社見解について」(2025年3月21日)