参入40年の医薬事業からの撤退——鳥居薬品を塩野義へ託しての選択と集中

黒字が定着した多角化の一角を、寺畠正道社長はなぜ手放したか——加熱式と海外たばこへの資源集中

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時期 2025年5月
意思決定者 寺畠正道 社長
論点 事業ポートフォリオの選択と集中
概要
2025年5月7日、日本たばこ産業(JT)が、医薬事業と連結子会社の鳥居薬品を塩野義製薬へ売却し、医薬事業から撤退すると発表した経営判断。塩野義が鳥居薬品を公開買付(TOB)で完全子会社化し、JT本体の医薬事業も譲り受ける取引で、買収総額は約1,600億円規模となった。寺畠正道社長のもとでの事業ポートフォリオの絞り込みである。
背景
JTは1985年の民営化以来、たばこ市場の頭打ちを見越して医薬を含む多角化を進めてきた。1993年に医薬総合研究所を設け、1998年には鳥居薬品を株式公開買付で子会社化して販売力を取り込んだ。もっとも新薬開発は一品目に十年超と数百億円を要し、研究開発費の負担が重く残った。
内容
塩野義は鳥居薬品の全株を1株6,350円で買い付け、JTが保有する約55%を含む発行済株式を取得して完全子会社とする。JT本体の医薬事業は簡易吸収分割で塩野義が承継し、米国子会社のアクロスファーマも譲渡の対象に含めた。TOBの成立を経て鳥居薬品は上場廃止となる見込みが示された。
含意
医薬事業は黒字が定着していたが、連結売上はグループのおよそ3%にとどまり、製薬大手と競うだけの規模には届いていなかった。研究開発費の負担増と薬価引き下げが収益を圧迫するなか、JTは資源を中核のたばこ事業、とりわけ加熱式たばこと海外へ集中する道を選んだ。
筆者の見解

選択と集中が問う、多角化のかたち

この判断の中心にあるのは、たばこの先細りに備えて育てた多角化の柱が、育ちきる前に絞り込みの対象へ回った点である。JTは40年をかけて医薬を黒字化するところまで持っていったが、新薬で大手と競うには規模も資金も足りず、薬価引き下げが続く環境では単独で伸ばす道が細っていた。稼ぎ頭のたばこがなお強いうちに、届かなかった事業を新薬に賭ける塩野義へ託す——選択と集中の論理としては筋の通った撤退であったとみることができる。

もっとも、たばこへの集中がそのまま将来の安泰を約束するわけではない。国内では加熱式でアイコスに先行を許し、紙巻きの縮小も止まらない。かつて「ポストたばこ」を託した多角化の一角を手放して得た資源を、後発の加熱式と海外たばこにどこまで生かせるかに、この判断の成否はかかっている。医薬という保険を外して本業へ賭け直した会社が、次の柱をどこに見いだすのか——問いはむしろ撤退の後に残されているとみられる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

たばこに次ぐ柱を求めた多角化と医薬参入

JTが医薬事業を抱えた発端は、専売公社から民営化した会社が、たばこ市場の頭打ちを見越して次の柱を探したことにあった。同社は1993年に医薬総合研究所を設け、研究開発費を準大手の塩野義製薬や田辺製薬に並ぶ200億円規模まで広げて創薬に踏み込んだ。研究は自前で進める一方、生産と販売は内外の製薬企業に委ねる身軽な形をとり、抗エイズ薬などのロイヤリティ収入を軸に事業を立ち上げていった[1]

医薬に本格参入して間もなく、JTは販売力の乏しさに突き当たった。研究開発では粒のそろったパイプラインを抱えつつも、自前の営業網を持たないため収益に結び付きにくく、参入5年の時点で医薬事業はなお50億円規模の営業赤字を抱えていた。そこで1998年10月、同社は中堅の鳥居薬品に株式公開買付をかけ、そのMR(医薬情報担当者)を軸とする販売力ごと取り込む道を選んだ。連結の医薬売上を550億円規模へ押し上げ、2005年に見込んでいた黒字化の前倒しを狙う買収であった[2]

縮む鳥居薬品と、親子上場への異議

買収から二十余年を経た鳥居薬品は、研究開発機能のほとんどをJTへ移し、医薬品の販売に専念する会社へと姿を変えていた。ところが2019年、売上の3割を占めていたHIV領域で、米ギリアド・サイエンシズ製の抗HIV薬の独占販売契約を解消したことで事業規模が縮んだ。鳥居薬品は希望退職の募集や工場の売却といったリストラ策を進め、収益の柱の一つを失った後の縮小均衡を迫られていた[3]

縮む事業と過剰な資本は、外部の投資家の目を引いた。2022年、東証の市場再編で鳥居薬品が最上位のプライム市場を選んだのに対し、香港の投資会社リム・アドバイザーズが異議を唱えた。同社は、本業と無縁の運用資産が時価総額を超える規模まで積み上がった過剰資本の状態を突き、親会社JTからの「天下り」受け入れやグループ資金管理を利益相反とみなして、その是正と90億円規模の株主還元を求めた。多角化の一角として抱えてきた子会社が、資本市場の側からその存在意義を問われる場面であった[4]

決断

塩野義への一括譲渡というスキーム

2025年5月7日、JTは医薬事業と鳥居薬品を塩野義製薬へ売却し、医薬事業から撤退すると発表した。塩野義は鳥居薬品の全株を1株6,350円で買い付け、JTが保有する約55%を含む発行済株式を取得して完全子会社とする。あわせてJT本体の医薬事業を簡易吸収分割で承継し、米国の完全子会社アクロスファーマも譲り受ける。医薬をひとまとめにして手渡す取引で、買収総額は約1,600億円規模に達した[5][6]

TOBの手続きも同時に示された。買付期間は5月8日から6月18日までとし、買付予定数の下限を334万2,000株(所有割合11.89%)に置いた。鳥居薬品はこのTOBに賛同の意見を表明し、成立すれば所定の手続きを経て上場廃止となる筋道が引かれた。買い手の塩野義にとっては、抗ウイルス薬の強みに、皮膚科・小児科・耳鼻科で厚い鳥居薬品の販売力を重ね合わせる補完のねらいがあった[7]

黒字の事業を、なぜ今手放すか

JTが医薬に参入しておよそ40年、事業はアトピー性皮膚炎や花粉症の治療薬などを手がけるまでになり、黒字も定着していた。それでも同社は撤退を選んだ。研究開発費の負担が増し、薬価の引き下げが続くなかで収益が伸び悩み、新薬を生み出すだけの規模と資金を単独で抱え続けることの重さが勝った。新薬創出に重点を置く塩野義の傘下で事業を展開することが、医薬にとって最善の道であると同社は説明した[8]

手放して得た資源の行き先は、中核のたばこ事業に定められた。国内では紙巻き市場の縮小が続き、加熱式ではフィリップ・モリスのアイコスに押されてシェアが低迷していた。JTは2018年からプルームで加熱式の巻き返しを進めており、医薬の売却で浮く経営資源を、この加熱式への本格投資と海外たばこの拡大へ振り向ける構図を描いた。多角化で広げた事業を絞り込み、稼ぎ頭の周辺へ資源を寄せる選択であった[9]

結果

撤退の完了と、絞り込まれたポートフォリオ

TOBは予定どおり6月18日に締め切られ、塩野義は残る株式の取得手続きを経て、鳥居薬品を完全子会社化する段取りに入った。鳥居薬品は上場を退き、1998年以来続いたJTとの親子上場の関係も、売却というかたちで解かれた。多角化の看板の一つであった医薬は、40年の歳月を経て塩野義の手へ移り、JTの事業構成はたばこと加工食品に絞られた[10]

手放した医薬の規模は、JT全体から見れば大きくはなかった。2024年12月期の医薬事業の連結売上は944億円で、グループ売上のおよそ3%にとどまっていた。長らく黒字が定着していた事業を、約1,600億円で売り切った計算になる。翌2025年12月期のJTは連結売上収益3兆4,676億円、営業利益8,670億円と規模を伸ばしており、医薬を離れた後もたばこと加工食品を軸とする収益基盤は保たれていた[11][12]

出典・参考