日本たばこ産業の前身である日本専売公社は、国の専売事業の健全にして能率的な実施に当たる[1]ことを目的として、1949年6月1日に設立された[2]。たばこ専売制度の実施主体として、たばこの安定的提供と財政収入の確保に貢献する役割[3]を負った。専売の対象はたばこと塩の二つで、このうち塩の専売事業は1997年4月の塩専売制度の廃止まで残った[4]。公社の事業と財産は1985年4月に設立された会社へそのまま承継され[5]、専売公社としての歴史は36年で終わった。1970年代に入ると成年人口の伸び率が鈍化し[6]、喫煙と健康の問題への関心が高まって需要の伸びは鈍り、販売数量はほぼ横這いで推移した[7]。
公社はこの頭打ちを一時の落ち込みではなく需要の構造的変化と受け止め、傾向はさらに続く[8]と予想した。同じころ外国たばこ企業に対する実質的な市場開放が進展[9]し、国内市場では内外の製品が競い合う状況が生まれた。たばこ専売制度の枠内では対応が困難なほど諸外国からの市場開放要請は強まり、国内では公社制度に対する[10]改革を求める動きが重なった。1981年3月に臨時行政調査会が発足[11]し、1982年7月30日の第三次答申[12]で専売制度と公社制度に対する抜本的な改革が提言された。
政府は臨時行政調査会の答申を受けて制度全体の見直しを進め[13]、二つの法律を柱とする専売改革関連法を組み立てた。ひとつは、たばこの輸入自由化を図るためにたばこ専売法を廃止[14]し、たばこ事業に関して所要の調整を図るたばこ事業法[15]を新たに制定するものだった。もうひとつは、日本専売公社法を廃止し、公社を合理的な企業経営が最大限可能な株式会社へ改組[16]して必要最小限の公的規制を規定する、日本たばこ産業株式会社法の制定[17]だった。輸入自由化のもとで国内市場において外国たばこ企業と対等に競争していく必要[18]が、株式会社への改組を求めた理由に挙げられた。
これらの法律案は第101回国会において1984年8月3日に成立[19]し、同年8月10日に公布された[20]。日本たばこ産業株式会社法は昭和59年8月10日法律第69号[21]として、公社を株式会社へ改める枠組みを定めた。たばこ専売法の廃止によって輸入は自由化され[22]、公社が国内市場で唯一の供給者であるという前提は失われた。1982年7月30日の第三次答申から法律の成立までは二年、公社の設立から数えて35年が経っていた。新しい会社に残される公的規制は必要最小限とされ、合理的な企業経営を最大限に追う余地[23]が制度として与えられた。
日本たばこ産業株式会社は、日本たばこ産業株式会社法に基づき1985年4月1日に公社財産の全額出資により設立された[24]。設立に際して公社の一切の権利義務を承継し[25]、出資された財産の価格は8,364億円と評価されて200万株が割り当てられた[26]。この株式は同法附則第10条により政府へ無償譲渡され[27]、大蔵大臣が発行済株式の100%を保有[28]する会社として出発した。同じ1985年4月には新規事業を積極的に広げるため事業開発本部が設置され[29]、1990年7月までの間に各事業の推進体制を強めるため同本部を改組して医薬や食品などの事業部が置かれた[30]。
たばこ製造設備の絞り込みは民営化の直後から始まり、1986年3月にはたばこ製造の近代化と効率化のため福岡・鳥栖の両工場を廃止して北九州工場を設けた[31]。工場の統廃合はその後も続き、1996年6月までの間にたばこ製造体制の合理化として9つのたばこ工場を廃止[32]した。1988年10月にはコミュニケーション・ネーム『JT』を導入[33]し、専売公社から続く社名とは別の呼称を対外的に用い始めた。1991年7月には新本社ビルの建設のため本社を東京都港区虎ノ門から品川区東品川へ移し[34]、竣工後の1995年5月に虎ノ門へ戻った[35]。
長岡實社長は民営化への移行時に『5年後には輸入たばこのシェアは5%位までにはなるだろう』[引用元][36]と見通していたが、外国たばこはその予想をはるかに超える速さで日本たばこ産業の独壇場を脅かした[37]。各社は日本向けに商品を開発したうえで本格的な攻勢をかけた[38]。
国内市場の縮小は喫煙率にも表れ、成人男性の喫煙率は2年連続で減って1993年に59.8%となり、1965年の調査開始以来はじめて60%を割った[39]。
1994年10月、政府保有株式の第一次売出しとして394,276株が放出され[40]、東京・大阪・名古屋の各証券取引所市場第一部へ株式が上場された[41]。上場日は10月27日[42]で、同年11月には京都・広島・福岡・新潟・札幌の各証券取引所にも上場[43]した。上場時の社長は水野勝氏[44]で、従業員は23,669人、たばこ工場は26か所、原料工場等が7か所[45]という規模だった。1株当たり年5,000円を安定配当とし[46]、たばこ事業の効率化と多角化の状況を考えながら適切な利益還元を行う方針が示された。1996年6月には第二次売出しとして272,390株[47]が放出された。
たばこ以外の柱づくりは民営化の直後から始まり、1985年4月に置かれた事業開発本部は1990年7月までに改組されて医薬と食品の事業部が生まれた[48]。1993年9月には医薬事業の研究開発体制を充実強化するため医薬総合研究所が設けられた[49]。1998年12月には鳥居薬品の発行済株式の過半数を公開買付により取得した[50]。
1997年4月には塩専売制度の廃止に伴って塩の専売事業が終了し、たばこ共済年金が厚生年金に統合[51]された。飲料では1998年4月にユニマットコーポレーションと清涼飲料事業での業務提携に関する契約を結び[52]、その後に同社の発行済株式の過半数を取得した。
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|---|---|---|---|---|
| 1949〜1984年専売公社の設立と、株式会社への改組を決めるまで | 日本政府により日本専売公社を設立 | ★ | ||
| ホープ(10)を発売 | ★ | |||
| たばこ工場の集約再編を開始 | ★ | |||
| 専売公社の民営化を検討開始 | ★★ | |||
| 1985〜1998年民営化による発足と、外国たばこの攻勢に晒された国内市場 | 日本専売公社を株式会社化し日本たばこ産業として発足 1985年4月、塩とたばこを専売のもとで独占してきた日本専売公社が、日本たばこ産業株式会社(JT)へ改組された経営判断。発足時は大蔵大臣が全株式を保有し、段階的に株式を売却していく設計だった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 福岡・鳥栖両工場を閉鎖し北九州工場を新設 | ★ | |||
| JTのブランドを採用 | ★ | |||
| 東京証券取引所に株式上場 | ★ | |||
| 塩専売事業が終了 | ★ | |||
| 鳥居薬品を公開買付で過半数取得 | ★★ | |||
| 1999〜2007年二度の大型買収で世界三位へ、国内は縮小という二正面 | RJRナビスコの米国外たばこ事業を77億9,000万ドルで買収 1999年3月、日本たばこ産業(JT)が米RJRナビスコの米国外たばこ事業を77億9,000万ドル(約9,400億円)で買収した経営判断。当時の日本企業による海外買収として過去最大の規模で、ウィンストン・キャメル・セーラムといった海外ブランドと販売網を一挙に取得し、国内専売の事業者から世界規模のたばこメーカーへ転じた。決断は水野勝社長のもとで下された。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 旭化成の食品事業を買収 | ★ | |||
| 好業績下で断行した国内たばこ事業の構造改革——工場の大量閉鎖と4,000人削減 2003年8月6日、日本たばこ産業(JT)が単独社員の約2割にあたる4,000人の希望退職募集と国内たばこ工場の追加閉鎖を柱とする大規模リストラ策を発表した経営判断。前年2002年7月に打ち出した国内8工場の閉鎖に続く国内構造改革の中核で、初の生え抜き社長である本田勝彦社長のもとで進められた。 詳細を読む | ★★★ | |||
| 国内8工場を閉鎖(上田・函館・高崎・高松・徳島・臼杵・鹿児島・都城) | ★ | |||
| マールボロ国内ライセンス契約終了 | ★ | |||
| 木村宏 | 英ギャラハーを約2兆2,500億円で買収し欧州とロシアの柱を得る 2007年4月、日本たばこ産業(JT)が英たばこ大手ギャラハーを総額約2兆2,500億円で買収した経営判断。1999年のRJRナビスコの米国外たばこ事業買収(約9,400億円)に続く二度目の巨額海外買収で、当時の国内企業による海外買収として過去最高額であった。英国のたばこ大手の販売網とブランドを取得し、世界3位のたばこメーカーとしての立場を固めた。決断は木村宏社長のもとで下された。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 2008〜2026年政府保有株の放出、加熱式への後発参入と医薬からの撤退 | 木村宏 | ト吉をTOBにより買収 | ★ | |
| 小泉光臣 | 「マイルドセブン」を「メビウス」に刷新 | ★ | ||
| 小泉光臣 | 1600名を人員削減。不採算工場の閉鎖を継続 | ★ | ||
| 小泉光臣 | 米「ナチュラル・アメリカン・スピリット」米国外事業の約6000億円買収 2015年9月29日、JT(日本たばこ産業)が米たばこ大手レイノルズ・アメリカンから、たばこブランド『ナチュラル・アメリカン・スピリット』の米国以外での事業を約6,000億円で取得すると発表した経営判断。商標権と日本・ドイツなど米国外の販売会社9社を取得し、2016年1月に買収を完了した。小泉光臣社長の下、M&A司令塔の新貝康司副社長が主導した8年ぶりの大型買収である。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 小泉光臣 | 飲料事業から撤退(飲料事業部の廃止) | ★★ | ||
| 寺畠正道 | 加熱式たばこへの後発参入と、プルームによる巻き返し 2018年、最年少で社長に就いた寺畠正道氏は、フィリップ・モリスのアイコスに後れを取った加熱式たばこ(RRP)を最も伸びる分野と定め、プルーム・テックの全国展開と営業体制の加熱式シフトで巻き返しに乗り出した。紙巻きたばこの高い収益を保ちながら、資源を新カテゴリーへ傾ける業態づくりの判断であった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 寺畠正道 | 本社を移転 | ★ | ||
| 寺畠正道 | たばこ事業の本社機能をジュネーブに統合 | ★ | ||
| 寺畠正道 | Vector Group Ltd.を取得 | ★★ | ||
| 寺畠正道 | 参入40年の医薬事業からの撤退——鳥居薬品を塩野義へ託しての選択と集中 2025年5月7日、日本たばこ産業(JT)が、医薬事業と連結子会社の鳥居薬品を塩野義製薬へ売却し、医薬事業から撤退すると発表した経営判断。塩野義が鳥居薬品を公開買付(TOB)で完全子会社化し、JT本体の医薬事業も譲り受ける取引で、買収総額は約1,600億円規模となった。寺畠正道社長のもとでの事業ポートフォリオの絞り込みである。 詳細を読む | ★★★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(JT)