重要な意思決定
19854月

日本たばこ産業を発足

背景

国内需要の構造的停滞と市場開放圧力が専売体制の存続を困難に

1970年代後半以降、国内たばこ市場は成人人口の伸び率低下や健康意識の高まりを背景に、販売数量が横ばいで推移していた。需要は循環的な減速ではなく構造的変化として認識されるようになり、専売体制のもとで数量成長に依存するモデルは限界を示し始めていた。一方で対外的には外国たばこ企業に対する市場開放要求が強まり、内外製品間の競争が避けられない状況となっていた。

制度面では1981年に臨時行政調査会が発足し、1982年の第三次答申において専売制度と公社制度の抜本的見直しが提言された。政府はこれを受けたばこ専売法の廃止、輸入自由化、企業形態の転換を柱とする法制度改正を進めた。日米貿易摩擦が深刻化するなかで、規制緩和による懐柔策として外国産たばこの進出容認と専売公社の民営化が具体化した。

専売体制の維持は国際競争と国内需要変化の双方に対応できないと判断され、制度全体の再設計が進行した。公社は単年度ごとの国会予算承認に縛られ、長期的な事業投資や新規参入も制限されていた。経営自由度の欠如が、変化する事業環境への適応を阻むボトルネックとして顕在化していた。

決断

全株式を政府保有のまま株式会社化し段階的に経営自由度を獲得

1984年に日本たばこ産業株式会社法が成立し、1985年4月に日本専売公社の事業と資産を承継する形で日本たばこ産業株式会社が発足した。形式上は民営企業となったが、発足時点では大蔵大臣が全株式を保有し、段階的な株式売却を前提とする設計であった。急激な民営化による混乱を避けつつ経営判断の主体を市場側に移すための移行措置であった。

株式会社化により予算や投資計画を国会承認に依存する制約は緩和され、事業ポートフォリオの再構築が可能となった。同年には事業開発本部が新設され、たばこ単一事業への依存を下げる検討が開始された。制度上の自由度を高め、競争環境下での価格戦略やコスト管理、新規事業へのリスクテイクを可能にすることがこの転換の狙いであった。

ただしこの民営化は完全な市場移行ではなかった。政府が株式の過半数を保有し続ける構造は維持され、葉たばこ農家からの全量買取義務も当面継続された。経営の自律性と政治的関与の間に漸進的な線引きを設ける判断であり、一気に制度を切り替えるのではなく時間をかけて移行する設計が採られた。

結果

発足直後にシェア急落を経験し多角化と海外展開の起点が形成された

JT発足直後、プラザ合意後の円高進行、たばこ増税、関税撤廃が短期間に重なり、国内市場では輸入製品との価格差が急速に縮小した。1985年度に97.6%あったJTの国内シェアは1987年度に90.2%まで低下し、数量維持と収益確保の両立が経営課題として顕在化した。従来の専売体制下では想定されていなかった競争圧力が短期間で表面化した。

この環境変化に対応するためJTは営業力強化と合理化施策を進めると同時に、多角化を中長期戦略として位置づけた。1990年代にかけて医薬と食品分野への参入が進み、たばこ事業のキャッシュフローを活用した投下資本の配分が行われた。

民営化は直ちに競争優位を生んだわけではなかったが、政治の意図を介さずに事業を自律的に運営するための起点を形成した。国会承認から解放された投資判断と事業開発本部による多角化検討は、後年のRJRI買収や海外展開の前提条件を整えるものであった。