日本ペイント の歴史

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創業 1881年
創業者 茂木重次郎
創業地 東京都港区
創業
1881年10月、開成学校で化学を学んだ茂木重次郎が東京・三田で共同組合『光明社』を興した。ドイツ人化学者ワグネルから塗料製造技術を習得し、1879年に国産化へ成功した亜鉛華を顔料に用いて堅練ペイントを作る。出資者は海軍塗工長の中川氏と協力者の菊地氏で、納入先は海軍にほぼ集中した。1885年に光明合資会社と改めて工場を品川へ移し、1898年3月には株主150名を集めて資本金40万円の日本ペイント製造株式会社を設立する。1904年の日露戦争で軍需用塗料が急増すると、1905年に大阪浦江へ分工場を建てた。塗料の民需が建築へ広がるのは大正期で、1927年に商号を日本ペイントへ改めている。
決断
技術を渡した相手に、資本と経営を順に渡してきた。1962年、社長の小畑千秋出資30%でシンガポールに合弁を設立した。技術と生産の指導は本社、販売は現地という分業のもとで華僑系の呉清亮が経営を握り、その地位はウットラム社へ引き継がれた。少数出資のため合弁がアジアで伸びても利益の大半は連結決算に入らず、本体は1991年に着手した半導体・液晶材料の事業化に失敗して1999年に最終赤字28億円を計上する。2007年にはゴー・ハップジンの会社が筆頭株主となり、2014年12月にアジア合弁8社を連結化して、取得原価2,970億円のうち1,488億円を段階取得に係る差益として特別利益へ計上した。連結に入らなかった半世紀の利益を取り戻す手続きが、そのまま経営権を明け渡す手続きになった。
現況
利益の過半は、かつて出資30%だった合弁が出している。2025年12月期の連結売上高は1兆7,742億円、営業利益は2,571億円だった。アジアを統括するNIPSEAが8,874億円を売り、セグメント利益1,440億円は5事業の合計2,618億円の55%を占める。中核は中国住宅向けの汎用塗料である。日本は2,053億円・281億円で売上構成比12%、DuluxGroupは4,051億円を売りながら54億円の減損で利益349億円、米州は1,189億円・63億円にとどまる。2021年1月にウットラムの子会社となり、アジア合弁8社を完全子会社化したことで、この利益はすべて連結へ入った。利益率で最も高いのは塗料ですらなく、2025年に取得したコーティング樹脂のAOCが30.9%を上げている。
競合
規模を作ったのは国内の自動車ではなく、中国の住宅である。1960年代に広島・愛知へ工場を建て、関西ペイントと自動車用塗料で二社寡占を築く。だが二社購買が続く限り価格交渉力は限られ、2025年12月期の日本は連結売上の12%にとどまる。売上の5割を占めるNIPSEAの中核は中国住宅向けの汎用塗料である。2017年の米Axaltaへの1兆円規模の買収提案は、完全買収の条件を悪化させるとして否決された。2018年3月にウットラムが取締役会の過半数を握ったあと、2019年の豪DuluxGroup約3,000億円、2022年の仏Cromologyと取得が続く。関西ペイントが2024年5月に政策保有株式の持ち合いを解いて自己株式取得へ切り替えたのに対し、日本ペイントの株主構成はウットラムの58.7%で固定され、案件の可否は塗料の採算ではなく支配株主の資本政策が決めている。
日本ペイント:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1996年3月期2025年12月期

創業ストーリー 光明社の創業から海軍依存と小畑家経営による国内事業基盤の確立 (1881年〜)

海軍一社受注という出発点の脆弱性

開成学校で化学を学んだ茂木重次郎は[1]、ドイツ人化学者ワグネルから塗料製造技術を習得し、まず1879年に亜鉛華の国産化に成功した。[2]この亜鉛華を顔料に使った塗料の研究を経て、1881年10月に東京三田で共同組合『光明社』を創業し、顔料と堅練ペイントの製造を始めた。[3][4]出資したのは海軍塗工長の中川氏と協力者の菊地氏で[5]、わが国塗料工業の草分けとなったが、創業時の販路は海軍向けにほぼ集中した。明治政府が殖産興業政策で官営工場を民間へ払い下げた時代に、外国依存からの脱却をめざした国産化事業として始まったものの、塗料という工業製品の市場は狭く、民需へ裾野が広がるには明治の産業化を待たねばならなかった。

  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [1]開成学校で化学を学んだ茂木重次郎が塗料製造技術を習得して光明社を創業した
    • [2]茂木重次郎が1879年に亜鉛華の国産化に成功した
    • [4]光明社は顔料と堅練ペイントの製造を始めたわが国塗料工業の草分けだった
    • [5]光明社の創業時の出資者は海軍塗工長の中川氏と協力者の菊地氏だった
  • 日本ペイント有価証券報告書【沿革】
    • [3]1881年10月に「光明社」を東京三田で創業した

1885年には有力な出資社員として田坂初太郎を迎えて『光明合資会社』と改め、工場を芝三田から東京品川へ移した。これが品川の東京工場の前身である。[6]1897年には株式会社設立の目論見を立て、株主150名を集めて1898年3月に日本ペイント製造株式会社を設立し、資本金40万円[7]で発足した。[8]1904年に日露戦争が起きると軍需用塗料の需要が急増し、東京の設備だけでは応じきれず、資本金を50万円へ増やして1905年に大阪浦江へ大阪分工場を新設[9]した。海軍拠点の配置に合わせて選んだこれらの立地は、最大の顧客だった海軍が戦後に消えても事業拠点であり続け、品川工場は2024年時点でも東京事業所として120年以上稼働している。[10]

  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [6]1885年に田坂初太郎を出資社員に迎えて光明合資会社と改め工場を芝三田から東京品川へ移した
    • [8]日本ペイント製造は株主150名を集めて資本金40万円で発足した
    • [9]1904年の日露戦争で軍需用塗料の需要が急増し資本金を50万円へ増資して1905年に大阪浦江へ大阪分工場を新設した
  • 日本ペイント有価証券報告書【沿革】
    • [7]1898年3月に資本金40万円で日本ペイント製造株式会社を設立した
    • [10]品川工場(東京工場)は2024年時点でも東京事業所として稼働を続けている
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [1]開成学校で化学を学んだ茂木重次郎が塗料製造技術を習得して光明社を創業した
    • [2]茂木重次郎が1879年に亜鉛華の国産化に成功した
    • [4]光明社は顔料と堅練ペイントの製造を始めたわが国塗料工業の草分けだった
    • [5]光明社の創業時の出資者は海軍塗工長の中川氏と協力者の菊地氏だった
    • [6]1885年に田坂初太郎を出資社員に迎えて光明合資会社と改め工場を芝三田から東京品川へ移した
    • [8]日本ペイント製造は株主150名を集めて資本金40万円で発足した
    • [9]1904年の日露戦争で軍需用塗料の需要が急増し資本金を50万円へ増資して1905年に大阪浦江へ大阪分工場を新設した
  • 日本ペイント有価証券報告書【沿革】
    • [3]1881年10月に「光明社」を東京三田で創業した
    • [7]1898年3月に資本金40万円で日本ペイント製造株式会社を設立した
    • [10]品川工場(東京工場)は2024年時点でも東京事業所として稼働を続けている

小畑家60年の経営が築いた自動車塗料の二社寡占

第一次世界大戦の好況期に積み増した設備は、1919年の大戦終結で軍需を含む塗料需要が急落すると過剰設備に転じ、戦後の大恐慌が創業以来最大の経営危機を招いた。[11]再建の責任者として小畑源三郎が専務に就任し[12]、不採算の分工場閉鎖と人員整理を断行する一方、経営の中心を東京から大阪へ移し、全国に特約店組織を築いて販売の基盤を固めた。この立て直しで同社は1年余りで難局を越え、業界の注目を集めた。[13]小畑源三郎は1926年に筆頭株主の地位を得て1958年まで経営に関与し、1965年には長男の小畑千秋が社長に就き1980年の会長退任まで経営トップを務めた。小畑家は約60年にわたり日本ペイントの経営を担い、戦前の危機対応から戦後の自動車塗料事業への展開まで、オーナー経営の長期的な視点を事業構造に組み込んだ。

  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [11]第一次世界大戦後の大恐慌で塗料需要が急落し創業以来最大の経営危機を招いた
    • [13]危機対応として経営の中心を東京から大阪へ移し全国に特約店組織を築いて1年余りで難局を越えた
  • 日本ペイント有価証券報告書
    • [12]小畑源三郎が再建責任者として専務に就任した

大正期には建築向け塗料の需要が増えて海軍以外の用途が広がり、1927年に商号を日本ペイントへ改めた[14]。第二次世界大戦の敗戦では満州や台湾に築いた海外会社・工場を失い、東洋一とされた大阪工場も二度の空襲で焼失したが[15]、戦災を免れた東京工場の稼働と合わせて大阪工場も約4年で復旧した。1949年に東京証券取引所へ上場して資本調達の幅を広げ[16]、1960年代に入ると自動車生産台数の急増で自動車向け塗料市場が拡大した。広島工場と愛知工場を新設してマツダとトヨタへの安定供給体制を整え[17]、関西ペイントとともに国内自動車向け塗料の二社寡占[18]を形づくる。しかし自動車メーカーが二社購買の原則を保つ限り塗料側の価格交渉力には限界があり、寡占でありながら売り手の収益性は高まらない矛盾が後年まで経営課題として残った。

  • 日本ペイント有価証券報告書
    • [14]1927年に商号を日本ペイントへ改めた
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [15]第二次世界大戦の敗戦で満州や台湾に築いた海外会社・工場を失い東洋一とされた大阪工場も二度の空襲で焼失したが約4年で復旧した
  • 日本ペイント有価証券報告書【沿革】
    • [16]1949年に東京証券取引所に上場した
    • [17]広島工場と愛知工場を新設してマツダとトヨタへの自動車塗料の安定供給体制を整えた
    • [18]関西ペイントとともに国内自動車向け塗料の二社寡占を形成した
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [11]第一次世界大戦後の大恐慌で塗料需要が急落し創業以来最大の経営危機を招いた
    • [13]危機対応として経営の中心を東京から大阪へ移し全国に特約店組織を築いて1年余りで難局を越えた
    • [15]第二次世界大戦の敗戦で満州や台湾に築いた海外会社・工場を失い東洋一とされた大阪工場も二度の空襲で焼失したが約4年で復旧した
  • 日本ペイント有価証券報告書
    • [12]小畑源三郎が再建責任者として専務に就任した
    • [14]1927年に商号を日本ペイントへ改めた
  • 日本ペイント有価証券報告書【沿革】
    • [16]1949年に東京証券取引所に上場した
    • [17]広島工場と愛知工場を新設してマツダとトヨタへの自動車塗料の安定供給体制を整えた
    • [18]関西ペイントとともに国内自動車向け塗料の二社寡占を形成した

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日本ペイントの沿革1881〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1881〜1961年光明社の創業から海軍依存と小畑家経営による国内事業基盤の確立協同組合「光明社」を創業
日本ペイント製造を設立
経営危機により体制刷新・小畑源三郎氏が専務就任★★
建築向け塗料で特約店を形成
商号を「日本ペイント」に商号変更
本社を移転
筑田勝二東京証券取引所に株式上場
筑田勝二自動車向け塗料事業に参入★★
1962〜2013年NIPSEA事業のアジア拡大と中国市場台頭による日本ペイントの構造転換筑田勝二出資30%のシンガポール合弁によるアジア再進出

1962年、小畑千秋社長がシンガポールへ渡り、タイの華僑資本チャロンポカパン・グループと合弁を組んで東南アジア市場に再進出した経営判断。出資比率は日本ペイント30%にとどめ、技術は本社が供与し販売は現地に委ねる分業を採った。翌1963年、現地法人『日本ペイント・シンガポール』が設立された。

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★★★
小畑千秋中央研究所を新設
小畑千秋ビー・ケミカル社と合弁
中島隆太郎子会社を設立
鈴木政夫栃木工場を新設
鈴木政夫NIPSEAグループで中国市場に注力を表明★★
鈴木政夫岡山工場を新設
佐々木一雄ロンドンにNippon Paint (Europe) Ltd.を設立
藤井浩半導体・液晶材料の開発(事業化は頓挫)
藤井浩Nippon Paint (China)を設立
藤井浩福岡工場を新設
藤井浩赤字転落・グループ人員を10%削減★★
藤嶋輝義販売会社5社を合併・日本ペイント販売を設立
松浦誠FIRST INDUSTRIES CORPが筆頭株主に★★
松浦誠Nippon Paint (Thailand)を子会社化
2014〜2024年ウットラム主導の連結化と完全子会社化によるグローバル塗料企業への転換酒井健二日本ペイントHDに商号変更
酒井健二WUTHELAM HDとのアジア合弁事業8社を連結化★★
田堂哲志DE社を約687億円で買収
田堂哲志ウットラムによる取締役会過半数の掌握

2018年3月28日、日本ペイントホールディングスの定時株主総会で、筆頭株主でシンガポールの塗料大手ウットラム・グループが提出した株主提案の取締役6人が全員選任され、取締役10人のうち過半数をウットラム側が占める体制が成立した。

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★★★
田堂哲志Dulux社を約3000億円で買収★★
田中正明ウットラムへの1.3兆円第三者割当増資とアジア合弁の完全子会社化

2020年8月21日、日本ペイントホールディングスは、シンガポールの塗料大手ウットラムグループに対する第三者割当増資で約1.3兆円を調達し、その対価としてウットラムが保有するアジア合弁事業の持ち分を取得して完全子会社化すると発表した。増資は2021年1月に実行され、ウットラムの出資比率は39.6%から58.7%へ上昇し、日本ペイントHDはウットラムの子会社となった。

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★★★
ウィー・シューキムCromology HDを1506億円で買収
ウィー・シューキム東京証券取引所プライム市場へ移行
ウィー・シューキムAOC LLC等を子会社化★★
出典・参考
  • 日本ペイント有価証券報告書【沿革】
  • 日本ペイント有価証券報告書
  • 企業の歴史:明治百年(経済春秋社, 1968)

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