開成学校で化学を学んだ茂木重次郎は[1]、ドイツ人化学者ワグネルから塗料製造技術を習得し、まず1879年に亜鉛華の国産化に成功した。[2]この亜鉛華を顔料に使った塗料の研究を経て、1881年10月に東京三田で共同組合『光明社』を創業し、顔料と堅練ペイントの製造を始めた。[3][4]出資したのは海軍塗工長の中川氏と協力者の菊地氏で[5]、わが国塗料工業の草分けとなったが、創業時の販路は海軍向けにほぼ集中した。明治政府が殖産興業政策で官営工場を民間へ払い下げた時代に、外国依存からの脱却をめざした国産化事業として始まったものの、塗料という工業製品の市場は狭く、民需へ裾野が広がるには明治の産業化を待たねばならなかった。
1885年には有力な出資社員として田坂初太郎を迎えて『光明合資会社』と改め、工場を芝三田から東京品川へ移した。これが品川の東京工場の前身である。[6]1897年には株式会社設立の目論見を立て、株主150名を集めて1898年3月に日本ペイント製造株式会社を設立し、資本金40万円[7]で発足した。[8]1904年に日露戦争が起きると軍需用塗料の需要が急増し、東京の設備だけでは応じきれず、資本金を50万円へ増やして1905年に大阪浦江へ大阪分工場を新設[9]した。海軍拠点の配置に合わせて選んだこれらの立地は、最大の顧客だった海軍が戦後に消えても事業拠点であり続け、品川工場は2024年時点でも東京事業所として120年以上稼働している。[10]
第一次世界大戦の好況期に積み増した設備は、1919年の大戦終結で軍需を含む塗料需要が急落すると過剰設備に転じ、戦後の大恐慌が創業以来最大の経営危機を招いた。[11]再建の責任者として小畑源三郎が専務に就任し[12]、不採算の分工場閉鎖と人員整理を断行する一方、経営の中心を東京から大阪へ移し、全国に特約店組織を築いて販売の基盤を固めた。この立て直しで同社は1年余りで難局を越え、業界の注目を集めた。[13]小畑源三郎は1926年に筆頭株主の地位を得て1958年まで経営に関与し、1965年には長男の小畑千秋が社長に就き1980年の会長退任まで経営トップを務めた。小畑家は約60年にわたり日本ペイントの経営を担い、戦前の危機対応から戦後の自動車塗料事業への展開まで、オーナー経営の長期的な視点を事業構造に組み込んだ。
大正期には建築向け塗料の需要が増えて海軍以外の用途が広がり、1927年に商号を日本ペイントへ改めた[14]。第二次世界大戦の敗戦では満州や台湾に築いた海外会社・工場を失い、東洋一とされた大阪工場も二度の空襲で焼失したが[15]、戦災を免れた東京工場の稼働と合わせて大阪工場も約4年で復旧した。1949年に東京証券取引所へ上場して資本調達の幅を広げ[16]、1960年代に入ると自動車生産台数の急増で自動車向け塗料市場が拡大した。広島工場と愛知工場を新設してマツダとトヨタへの安定供給体制を整え[17]、関西ペイントとともに国内自動車向け塗料の二社寡占[18]を形づくる。しかし自動車メーカーが二社購買の原則を保つ限り塗料側の価格交渉力には限界があり、寡占でありながら売り手の収益性は高まらない矛盾が後年まで経営課題として残った。
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|---|---|---|---|---|
| 1881〜1961年光明社の創業から海軍依存と小畑家経営による国内事業基盤の確立 | 協同組合「光明社」を創業 | ★ | ||
| 日本ペイント製造を設立 | ★ | |||
| 経営危機により体制刷新・小畑源三郎氏が専務就任 | ★★ | |||
| 建築向け塗料で特約店を形成 | ★ | |||
| 商号を「日本ペイント」に商号変更 | ★ | |||
| 本社を移転 | ★ | |||
| 筑田勝二 | 東京証券取引所に株式上場 | ★ | ||
| 筑田勝二 | 自動車向け塗料事業に参入 | ★★ | ||
| 1962〜2013年NIPSEA事業のアジア拡大と中国市場台頭による日本ペイントの構造転換 | 筑田勝二 | 出資30%のシンガポール合弁によるアジア再進出 1962年、小畑千秋社長がシンガポールへ渡り、タイの華僑資本チャロンポカパン・グループと合弁を組んで東南アジア市場に再進出した経営判断。出資比率は日本ペイント30%にとどめ、技術は本社が供与し販売は現地に委ねる分業を採った。翌1963年、現地法人『日本ペイント・シンガポール』が設立された。 詳細を読む | ★★★ | |
| 小畑千秋 | 中央研究所を新設 | ★ | ||
| 小畑千秋 | ビー・ケミカル社と合弁 | ★ | ||
| 中島隆太郎 | 子会社を設立 | ★ | ||
| 鈴木政夫 | 栃木工場を新設 | ★ | ||
| 鈴木政夫 | NIPSEAグループで中国市場に注力を表明 | ★★ | ||
| 鈴木政夫 | 岡山工場を新設 | ★ | ||
| 佐々木一雄 | ロンドンにNippon Paint (Europe) Ltd.を設立 | ★ | ||
| 藤井浩 | 半導体・液晶材料の開発(事業化は頓挫) | ★ | ||
| 藤井浩 | Nippon Paint (China)を設立 | ★ | ||
| 藤井浩 | 福岡工場を新設 | ★ | ||
| 藤井浩 | 赤字転落・グループ人員を10%削減 | ★★ | ||
| 藤嶋輝義 | 販売会社5社を合併・日本ペイント販売を設立 | ★ | ||
| 松浦誠 | FIRST INDUSTRIES CORPが筆頭株主に | ★★ | ||
| 松浦誠 | Nippon Paint (Thailand)を子会社化 | ★ | ||
| 2014〜2024年ウットラム主導の連結化と完全子会社化によるグローバル塗料企業への転換 | 酒井健二 | 日本ペイントHDに商号変更 | ★ | |
| 酒井健二 | WUTHELAM HDとのアジア合弁事業8社を連結化 | ★★ | ||
| 田堂哲志 | DE社を約687億円で買収 | ★ | ||
| 田堂哲志 | ウットラムによる取締役会過半数の掌握 2018年3月28日、日本ペイントホールディングスの定時株主総会で、筆頭株主でシンガポールの塗料大手ウットラム・グループが提出した株主提案の取締役6人が全員選任され、取締役10人のうち過半数をウットラム側が占める体制が成立した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 田堂哲志 | Dulux社を約3000億円で買収 | ★★ | ||
| 田中正明 | ウットラムへの1.3兆円第三者割当増資とアジア合弁の完全子会社化 2020年8月21日、日本ペイントホールディングスは、シンガポールの塗料大手ウットラムグループに対する第三者割当増資で約1.3兆円を調達し、その対価としてウットラムが保有するアジア合弁事業の持ち分を取得して完全子会社化すると発表した。増資は2021年1月に実行され、ウットラムの出資比率は39.6%から58.7%へ上昇し、日本ペイントHDはウットラムの子会社となった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| ウィー・シューキム | Cromology HDを1506億円で買収 | ★ | ||
| ウィー・シューキム | 東京証券取引所プライム市場へ移行 | ★ | ||
| ウィー・シューキム | AOC LLC等を子会社化 | ★★ |
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事実根拠:出所(日本ペイント)