自動車向け塗料への進出
自動車生産の急増により塗料業界の勢力図が自動車向けで再編
1950年代から1960年代にかけて国内の自動車生産台数が急増し、自動車向け塗料の市場が急成長した。日本ペイントと関西ペイントの2社が大手塗料メーカーとして自動車向けの納入を本格化させた一方、それまで業界3強を形成していた大日本塗料は自動車向けへの対応に出遅れた。結果として自動車向け塗料では「関西・日本」の2社による寡占が形成された。
自動車向け塗料の成長は、塗料業界の勢力図を書き換える転換点となった。海軍向けに始まり建築向けで拡大した塗料市場において、自動車向けは品質・供給体制の両面で新たな要求水準を突きつけた。自動車メーカーの厳格な品質管理に対応しうる技術力と、大量生産に対応する供給体制の双方を備えた企業だけが参入を果たし、業界の序列が再定義された。
自動車メーカーの主力工場に隣接する専門工場を相次いで新設
日本ペイントは自動車メーカーの主力工場に近接する立地に自動車塗料の専門工場の新設を決定した。1967年に広島工場を新設してマツダ(宇品工場)向けの納入に対応し、同年に愛知工場(愛知県高浜市)を新設してトヨタ自動車向けの供給体制を整備した。顧客工場に隣接する立地を選定したのは、自動車向け塗料が品質管理と納入スピードの面で近接性を要求されるためであった。
一方で競合の関西ペイントも同様に名古屋・関東で工場を新設し、トヨタ・日産・ホンダとの取引を拡大した。日本ペイントが西日本・名古屋に軸足を置いたのに対し、関西ペイントは関東圏でも生産拠点を確保した。結果として自動車向け塗料は2社購買が常態化し、寡占的な市場構造でありながらも価格競争により収益の確保には制約が伴った。
2社寡占でありながら買い手優位の構造が国内市場の収益性に天井を形成
自動車向け塗料における日本ペイントと関西ペイントの2社寡占は、業界内のポジションとしては安定的であった。しかし自動車メーカーが2社購買を意図的に維持する限り価格交渉力には限界があり、寡占的な市場構造であるにもかかわらず売り手側の収益性は制約された。買い手の交渉力が寡占の利益を相殺するという構造が、国内塗料市場における成長の天井を形成した。
この国内的な収益構造の制約が、後の日本ペイントにおけるNIPSEA事業への傾斜を促す一因となった。国内市場で競合と利益を分け合う構図から脱却するには市場そのものを拡張するか、競合が存在しない領域に進出するしかなく、アジア合弁事業という選択はこの制約への構造的な応答として位置づけられる。