重要な意思決定
1917

経営危機により体制刷新・小畑源三郎氏が専務就任

背景

第一次大戦後の需要急減で積極投資が裏目に出た経営危機

第一次世界大戦(〜1919年)における好景気を受けて、日本ペイントは国内各地に分工場を新設するなど設備投資を積極化した。しかし1919年の大戦終結により軍需を含む塗料需要が急減し、好況期に拡張した生産設備が過剰となった。設備投資の負担が収益を圧迫し、日本ペイントは創業以来最大の経営危機に陥った。

経営再建のため、大阪支店長を歴任した小畑源三郎氏が専務(経営トップ)に就任した。再建の骨子は、事業拠点の中心を東京から大阪に移転すること、不採算事業(亜鉛精錬・顔料など)の整理、全国各地に点在する分工場の閉鎖であった。小畑氏は拡張路線の後始末を担う再建者として経営の全権を掌握した。

決断

小畑家が株式取得と経営参画を通じて約60年間の経営体制を形成

小畑源三郎氏は経営再建と並行して日本ペイントの株式を自ら取得し、1926年4月末時点で筆頭株主(保有比率4%)となった。小畑氏は戦後の1958年まで日本ペイントの経営に関与し、1965年には長男の小畑千秋氏が社長に就任して1980年の会長退任まで経営トップを歴任した。結果として1917年から1980年にかけて小畑家が日本ペイントの経営を担う体制が約60年間にわたり継続した。

ただし小畑家の株式保有比率は一貫して限定的であり、所有に裏付けられた支配体制ではなかった。保有比率4%の筆頭株主という立場は、他に有力な大株主が不在という株主構成の分散を前提としていた。この資本的に脆弱な経営支配の構造こそが、2000年代以降にウットラム社が株式取得を通じて経営権を段階的に獲得する際の構造的な素地を形成した。