この創業が示すのは、鉱山で得た資本を川下の加工業へ振り向けた垂直統合の判断である。足尾銅山の電気銅という自社資源に確実な出口を用意するため、古河市兵衛氏は電線製造という加工部門を社内に設けた。完成品の華やかさではなく、電気を運ぶ線材という産業の土台を担う領域を選んだ点に、鉱山業から一歩を進めた事業家の計算が読み取れる。銅の採掘・製錬・加工を一つの系列で結ぶ構えが、後の非鉄金属メーカーへの道筋を用意したのだろう。
もう一つ見えてくるのは、基幹資産だった足尾銅山が、同時に深刻な公害の源にもなった二面性である。国内最大の銅山がもたらした収益が電線事業への進出を支えた一方、渡良瀬川流域の鉱毒被害は数十年に及ぶ補償と対策の負担を古河家に残した。事業の拡大と社会的な費用が同じ鉱山から生まれた経緯は、近代日本の資源開発が抱えた矛盾を映している。鉱山王の垂直統合は、電線という新事業と鉱毒という重い課題を、ともに古河のその後へ引き渡していった。