植松清
古河電工・元取締役社長
社長就任 1960年11月
生年月日 —
学歴 東京商科大学
出自 —
社長就任までの出自
出自
1927年に東京商科大学を出て入社し、経理の系統を歩いた。1951年に本社会計部長、1954年に取締役会計部長、1956年に常務取締役、1959年に取締役副社長へ進んでいる。取締役へ上がった時点の職掌が会計部長で、製造所長も事業部長も経ていない。日光電気精銅所長・横浜電線製造所長・大阪伸銅所長を務めた工場出身者が役員に並ぶなかでは、少数の経路だった。
社長に選ばれた経緯
抜擢
1960年11月、会長へ就任した小泉幸久氏の後任として社長に就任した。副社長就任からは1年である。当時の専務取締役は1952年に取締役電線部長となった山崎善雄氏と、1951年に取締役横浜電線製造所長となった池田敬三氏の2人で、取締役就任はいずれも植松氏の1954年より早い。取締役歴で先行する製造畑の専務2人ではなく、会計部長を出発点とする副社長が社長へ上がった。
在任中の主な施策
施策
就任から4か月の1961年3月に千葉電線製造所を新設した。1958年9月の平塚電線製造所に続く生産拠点の増設である。就任前年の1959年時点で役員が持つ事業部長の職は電線と金属の2つだったが、退任後の1970年時点では電力・通信・伸銅・特品・海外の各事業部長が取締役に並ぶ。8年の在任を挟んで、電線と金属で括っていた組織が用途別に割られている。1968年11月に会長へ退き、常務の鈴木二郎氏が社長に就任した。
在任の評価
評価
執筆予定
経歴 1927〜1968年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-