古河電工 の歴史

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創業 1896年
創業者 古河市兵衛
創業地 神奈川県横浜市
創業
1896年6月、古河市兵衛氏の古河財閥が横浜電線製造を設立した。足尾銅山の電気銅を社内で加工し、通信と電力の事業者へ納めるためである。1920年4月には古河鉱業から日光電気精銅所を取得して電気銅の生産から電線製造までを一貫させ、商号を古河電気工業へ改めた。1921年6月にはドイツ・シーメンスとの資本・技術提携で富士電機製造を設立し、電線の外側にも系統を広げている。同年12月には門司の九州電線製造を買収して九州電線製造所とした。1949年5月に東京証券取引所へ上場し、1950年9月には電池部門を古河電池として分離している。
決断
銅の一貫体制で積んだ含み益を、光ファイバ一つの買収に投じた。1990年に設立した合弁JDSUの株価が高騰し、古河電工は2兆円規模の含み益を抱えた。2001年11月、古河潤之助社長は米ルーセントの光ファイバ・ケーブル部門を約2,250億円で買収した。資金は約1,100億円をJDS株の売却で、残り約900億円を銀行借入で手当てしている。直後にネットバブルが崩壊し、2003年3月期に1,140億円、2004年3月期に1,401億円の最終赤字と有利子負債910億円が残った。古河潤之助氏は2003年に社長を退任する。2003年10月に軽金属事業を古河スカイへ、2005年1月に電力事業をビスキャスへ移した。買収で背負った負債の返済が、財閥期に広げた非鉄の子会社を一つずつ手放す20年を強いた。
現況
売上の6割は光ではなく、自動車のワイヤハーネスが占めている。2026年3月期の連結売上高1兆3,076億円のうち電装エレクトロニクス事業が7,562億円で58%を占め、営業利益639億円のうち339億円をこの事業が計上した。光ファイバとデータセンター向け製品を含むインフラ事業は売上3,639億円・利益214億円で、112億円の営業損失を出した2024年3月期から二期で戻している。機能製品事業は売上1,508億円・利益154億円である。2022年からは銅管・巻線・TOTOKU・UACJ・古河電池を順に売却し、2025年4月に光ファイバ・ケーブル事業をライテラジャパンへ承継した。20年赤字だった光がようやく利益を計上した段階でも、投資の原資を作っているのは自動車部品のほうである。
競合
同じ電線御三家でも、銅から離れる先が三社で分かれた。住友電工は2006年にハーネス事業を買収して、自動車のワイヤハーネスを主力へ据えている。フジクラは規模を追わず、融着接続機と超多心ケーブルへ資源を寄せた。古河電工は2001年に光ファイバで世界2位のシェアを取得したが、需要が戻るまで20年を要し、その間の収益は自動車部品が支えた。現在は住友電工と同じハーネスで売上の6割を作り、フジクラと同じデータセンター向け光製品でも競う。二つの市場で同時に競う位置に残ったことが、片方が沈んでももう片方へ投資を続けられる資金の回り方を作った。
古河電工:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1997年3月期2026年3月期

創業ストーリー 足尾銅山の銅加工から非鉄金属総合メーカーへの拡張期 (1896年〜)

足尾銅山の銅を電線に変えるために生まれた横浜電線製造

1896年6月、古河財閥は保有する足尾銅山[1]で産出する銅を有効活用するため、横浜電線製造株式会社を設立した。電線の製造は銅の加工用途として自然な選択であり、古河鉱業(現・古河機械金属)から銅を仕入れて電線に加工する垂直統合型のビジネスモデル[2]で出発する。1920年4月には古河鉱業から日光電気精銅所(現日光事業所)を取得[3]し、商号を古河電気工業株式会社に変更した。これにより電気銅の生産から電線の製造まで一貫して手がける体制が整い、古河財閥の非鉄金属事業の中核となった。創業者は鉱山王と呼ばれた古河市兵衛氏で、足尾銅山の鉱業収益と電線の加工収益を一体運営する財閥戦略が背景にあり、[4]同社は当初から垂直統合型のビジネスモデルを前提に運営される会社だった。

  • 古河電気工業 有価証券報告書 第201期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]1896年6月 横浜電線製造株式会社を設立(足尾銅山の銅加工先として)
    • [2]古河鉱業(現・古河機械金属)から銅を仕入れて電線に加工する垂直統合型のビジネスモデル
    • [3]1920年4月 古河鉱業から日光電気精銅所を取得し商号を古河電気工業株式会社に変更(現日光事業所)
  • 古河市兵衛翁伝(founding.md 出所)
    • [4]創業者は古河市兵衛(鉱山王と呼ばれた)

1921年12月に九州電線製造を買収して九州工場を設置、[5]1938年11月には兵庫県尼崎市に大阪伸銅所(後の銅管事業)を新設する。[6]戦後は1949年5月に東京証券取引所に株式上場、[7]1950年9月には電池部門を分離独立させて古河電池を設立した。[8]1958年には平塚工場、1961年には千葉工場、1971年には三重工場と、高度成長期を通じて拠点を拡張し、[9]電線・銅加工・電池・電装という複数の事業領域を抱える総合電機・非鉄メーカーへと成長した。古河財閥の非鉄部門を担う存在として、戦後復興から高度成長期にかけての国内電力・通信インフラ整備を下支えする役割を果たし、製品レンジは銅線・電力ケーブル・電池・電装品・通信ケーブルへと多角化し、重電・通信の川上工程を支える基盤素材メーカーの顔を持つに至った。

  • 古河電気工業 有価証券報告書 第201期(2025年3月期)【沿革】
    • [5]1921年12月 九州電線製造を買収し九州事業所を設置
    • [6]1938年11月 兵庫県尼崎市に大阪伸銅所(後の銅管事業)を新設
    • [7]1949年5月 東京証券取引所に株式上場
    • [8]1950年9月 電池部門を分離独立させ古河電池を設立
    • [9]1958年 平塚/1961年 千葉(市原市・千葉電線製造所)/1971年 三重(亀山市・三重工場)

戦前から戦後にかけて、古河電工は電線以外へ事業を広げ、多くの関連会社を生んだ。1914年3月には大阪工場に隣接して電池工場を設けて鉛蓄電池の製造に進出し、[10]1917年10月には米国グッドリッチ社と提携して横浜護謨製造を別会社として設立する。[11]1923年8月にはドイツのシーメンス社と提携して富士電機製造を、1925年3月には東京電灯と提携して日本軽金属を設立した[12]。戦後も多角化は続き、1950年4月に米グッドリッチ社と提携して日本ゼオンを創立、[13]1955年10月に古河マグネシウム、1956年10月に古河化学工業、1958年12月に古河特殊金属工業、1959年8月には米アルコア社と提携して古河アルミニウム工業(フラルコ)を相次いで設立する。[14]こうした関連会社設立により、古河電工は古河グループの中核として早くから多角経営を進めた(『企業の歴史 : 明治百年』経済春秋社編、1968年)。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [10]1914年3月 大阪工場に隣接して電池工場を開設し鉛蓄電池の製造に進出
    • [11]1917年10月 米国グッドリッチ社と提携し横浜護謨製造を別会社として設立
    • [12]1923年8月 ドイツ・シーメンス社と提携し富士電機製造を、1925年3月 東京電灯と提携し日本軽金属を設立
    • [13]1950年4月 米グッドリッチ社と提携し日本ゼオンを創立
    • [14]1955年10月 古河マグネシウム、1956年10月 古河化学工業、1958年12月 古河特殊金属工業、1959年8月 米アルコア社と提携した古河アルミニウム工業(フラルコ)を相次いで設立
  • 古河電気工業 有価証券報告書 第201期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]1896年6月 横浜電線製造株式会社を設立(足尾銅山の銅加工先として)
    • [2]古河鉱業(現・古河機械金属)から銅を仕入れて電線に加工する垂直統合型のビジネスモデル
    • [3]1920年4月 古河鉱業から日光電気精銅所を取得し商号を古河電気工業株式会社に変更(現日光事業所)
    • [5]1921年12月 九州電線製造を買収し九州事業所を設置
    • [6]1938年11月 兵庫県尼崎市に大阪伸銅所(後の銅管事業)を新設
    • [7]1949年5月 東京証券取引所に株式上場
    • [8]1950年9月 電池部門を分離独立させ古河電池を設立
    • [9]1958年 平塚/1961年 千葉(市原市・千葉電線製造所)/1971年 三重(亀山市・三重工場)
  • 古河市兵衛翁伝(founding.md 出所)
    • [4]創業者は古河市兵衛(鉱山王と呼ばれた)
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
    • [10]1914年3月 大阪工場に隣接して電池工場を開設し鉛蓄電池の製造に進出
    • [11]1917年10月 米国グッドリッチ社と提携し横浜護謨製造を別会社として設立
    • [12]1923年8月 ドイツ・シーメンス社と提携し富士電機製造を、1925年3月 東京電灯と提携し日本軽金属を設立
    • [13]1950年4月 米グッドリッチ社と提携し日本ゼオンを創立
    • [14]1955年10月 古河マグネシウム、1956年10月 古河化学工業、1958年12月 古河特殊金属工業、1959年8月 米アルコア社と提携した古河アルミニウム工業(フラルコ)を相次いで設立

非鉄金属総合メーカーからの複線化と光ファイバ研究の準備

1972年8月には子会社の古河電池を東京証券取引所市場第一部に上場させ、[15]1981年4月に古河金属工業を吸収合併して非鉄金属総合メーカーとしての事業基盤を強化する。[16]1987年2月には横浜市西区に横浜研究所を新設し[17]、光ファイバなど次世代技術の研究開発体制を組んだ。1990年には北米で光関連部品メーカーJDSU[18](後のJDS Uniphase)を合弁で設立する。これが後にルーセント買収資金の原資となる投資である。光ファイバへの研究投資は1970年代から続いていたが、事業化は他の非鉄・電線事業の影に隠れて目立たない存在だった時期が長く、研究所と本体事業の距離感が以後の経営判断に影響を及ぼしていく構図となり、次の主力事業を光ファイバに据える布石が置かれた。

  • 古河電池 有価証券報告書【沿革】
    • [15]1972年8月 子会社の古河電池を東京証券取引所市場第一部に上場
  • 古河電気工業 有価証券報告書 第201期(2025年3月期)【沿革】
    • [16]1981年4月 古河金属工業を吸収合併
  • 古河電気工業 有価証券報告書【沿革】
    • [17]1987年2月 横浜市西区に横浜研究所を新設(光ファイバ等の研究開発体制)
    • [18]1990年 北米で光関連部品メーカーJDSU(後のJDS Uniphase)を合弁設立

1993年10月には軽金属事業を製販一本化するため古河アルミニウム工業と福井圧延を吸収合併した[19]。電線・電力ケーブル・非鉄金属・電池・軽金属・光関連部品という多角化した事業構造が1990年代前半に完成する。しかし売上規模は拡大する一方で、利益率は業界全体が直面する価格競争で圧迫されており、『次の柱』を模索する局面だった。1995年に古河家5代目当主の古河潤之助氏が社長に就任し[20]、光ファイバ事業への傾注を打ち出した。銅線の会社が、光の会社への転換を賭ける局面が始まり、次の主役を光ファイバに定める経営判断が社内外に示された。本業の電線市場が成熟化する一方で、光関連市場の潜在力を信じる経営陣の方針が次第に明確化した。

  • 古河電気工業 有価証券報告書 第201期(2025年3月期)【沿革】
    • [19]1993年10月 軽金属事業の製販一本化のため古河アルミニウム工業・福井圧延を吸収合併
  • 古河電気工業 有価証券報告書【役員の状況】
    • [20]1995年 古河家5代目当主の古河潤之助が代表取締役社長に就任
  • 古河電池 有価証券報告書【沿革】
    • [15]1972年8月 子会社の古河電池を東京証券取引所市場第一部に上場
  • 古河電気工業 有価証券報告書 第201期(2025年3月期)【沿革】
    • [16]1981年4月 古河金属工業を吸収合併
    • [19]1993年10月 軽金属事業の製販一本化のため古河アルミニウム工業・福井圧延を吸収合併
  • 古河電気工業 有価証券報告書【沿革】
    • [17]1987年2月 横浜市西区に横浜研究所を新設(光ファイバ等の研究開発体制)
    • [18]1990年 北米で光関連部品メーカーJDSU(後のJDS Uniphase)を合弁設立
  • 古河電気工業 有価証券報告書【役員の状況】
    • [20]1995年 古河家5代目当主の古河潤之助が代表取締役社長に就任

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古河電工の沿革1896〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1896〜1989年足尾銅山の銅加工から非鉄金属総合メーカーへの拡張期古河電工創業——足尾銅山の電気銅から横浜の電線工場へ

1896年6月、足尾銅山を握る古河市兵衛氏は、雨宮敬次郎氏ら横浜の実業家と資本金30万円の横浜電線製造株式会社を横浜市花咲町に設立し、銅の加工部門へ進出した。同年9月には本所横川に古河鉱業直営の電線製造所も開き、電気銅から銅線・電線までを社内で手がける垂直統合を形にした。この横浜電線製造が、有価証券報告書の沿革に古河電工の創業のはじまりとして記録されている。

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★★★
古河鉱業から日光電気精銅所を取得し商号を古河電気工業に変更★★
九州電線製造を買収し九州事業所を開設
ドイツ・シーメンスとの資本・技術提携による富士電機製造の設立

1923年8月、古河電気工業はドイツのシーメンスと結んだ資本・技術提携契約に基づき、資本金1,000万円で富士電機製造株式会社を設立した。20万株のうち古河が7万株、シーメンスが6万株を引き受け、残りは公募とした。社名は古河の『ふ』とシーメンスの『じ』から採り、初代社長には社外の名取和作氏を迎えた。

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★★★
大阪伸銅所(後の銅管事業)を新設
西村啓造東京証券取引所に株式上場
西村啓造古河電池を設立
小泉幸久平塚電線製造所を新設
植松清千葉電線製造所を新設
鈴木二郎三重工場を新設
舟橋正夫古河金属工業を吸収合併
1990〜2010年ルーセント光ファイバ買収という賭けと1,500億円規模の赤字計上期友松建吾JDSUを合弁設立
友松建吾古河アルミニウム工業・福井圧延を吸収合併
友松建吾古河潤之助が代表取締役社長に就任
古河潤之助ネットバブルで時価総額が約1兆円に急騰
古河潤之助米ルーセントの光ファイバ・ケーブル部門の買収と、世界シェア2位の取得

2001年7月24日(米国時間)、古河電気工業は米ルーセント・テクノロジーズの光ファイバー部門を総額27億5,000万ドルで買収すると発表した。自社負担は18億7,500万ドル(約2,250億円)で、米コムスコープ、米コーニングと三者で分担した。同年11月に買収を完了し、世界シェアは7%前後から22%前後へ上がってコーニングに次ぐ2位となった。

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★★★
古河潤之助OFSの業績悪化で1,140億円の最終赤字に転落★★
石原廣司軽金属事業部門を会社分割しスカイアルミニウム(古河スカイ)に承継★★
石原廣司電力事業部門を持分法適用関連会社のビスキャスに営業譲渡★★
2011〜2022年非コア事業の切り離しと3セグメントへの事業ポートフォリオ絞り込み期吉田政雄米国反トラスト法違反で152億円の罰課金を特別損失計上★★
吉田政雄2期連続で最終赤字(111億円)
柴田光義古河スカイが住友軽金属工業を吸収合併しUACJに商号変更★★
柴田光義ビスキャスから国内電力ケーブル事業を譲り受け
小林敬一東海理化子会社との製品リコール関連訴訟で特別損失計上開始
小林敬一銅管・巻線・TOTOKU・UACJ・古河電池の売却と、データセンター向け光事業への集中投資

古河電気工業は2020年の銅管事業売却を皮切りに、太物巻線、東京特殊電線(現TOTOKU)、UACJ株式、古河電池と、系列の事業・子会社を順に手放した。得た資金と経営資源は、データセンター向けの光ファイバ・光部品・放熱冷却製品へ振り向けられ、2025年4月には世界4地域の光ファイバ・ケーブル事業がLighteraへ統合された。

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★★★
森平英也森平英也が代表取締役社長に就任
森平英也UACJ株式の一部を譲渡し持分法適用から除外
森平英也光ファイバ・ケーブル事業を再編しLightera発足★★
出典・参考
  • 古河電気工業 有価証券報告書 第201期(2025年3月期)【沿革】
  • 古河電池 有価証券報告書【沿革】
  • 古河電気工業 有価証券報告書【沿革】
  • 古河電気工業 有価証券報告書【役員の状況】
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)
  • 古河市兵衛翁伝(founding.md 出所)

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