小泉幸久
古河電工・元会長
社長就任 1955年3月
生年月日 —
学歴 東京高等商業学校
出自 —
社長就任までの出自
出自
1918年に東京高等商業学校を出て横浜電線製造へ入社した。1947年に取締役兼所長、1949年に常務取締役へ進み、1955年に取締役社長へ就任している。社長在任中は古河アルミニウム工業の社長、古河化学工業と古河マグネシウムの取締役を兼ね、古河系の非鉄各社を兼務で押さえた。電線の製造現場ではなく、会計と経営管理を通って社長に上がった経歴である。
社長に選ばれた経緯
抜擢
1955年、西村啓造氏の後任として社長へ就任した。1918年の入社から37年、1947年の取締役就任から8年での昇格である。在任末期の1960年時点で専務取締役は、京都帝国大学を出て電線部長を務めた山崎善雄氏と、東京帝国大学を出て横浜電線製造所長を務めた池田敬三氏の2人だった。常務以上に工学系と製造所長の経験者が並ぶなかで、東京高等商業学校を出た小泉氏が社長を務めた。
在任中の主な施策
施策
在任中の1958年9月に平塚電線製造所を新設した。横浜・日光・九州・大阪に続く生産拠点を神奈川県平塚市に置いている。1950年9月に電池部門を古河電池として分離した後の関係会社群は、小泉氏自身が古河アルミニウム工業社長と古河化学工業取締役を兼ねて押さえていた。1960年11月に会長へ退き、副社長の植松清氏へ社長を渡した。
在任の評価
評価
執筆予定
経歴 1918〜1960年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-