インドJSWスチールとの包括提携

世界再編に乗り遅れたJFEは、なぜ最後発でインドの民間鉄鋼大手と組み、高級鋼の技術供与で新興市場を取りに行ったのか

更新:

時期 2009年12月
意思決定者 馬田一氏 JFEスチール 社長
論点 海外連携の遅れの挽回と成長市場の取り込み
概要
2009年12月、JFEスチールはインド民間鉄鋼最大手のJSWスチールと包括的な提携契約を締結した。自動車用高級鋼材の技術を供与し、日本で製造した半製品を供給する垂直分業を軸に、将来の資本参加までを視野に入れた。世界的な鉄鋼再編のなかで有力パートナーを欠いてきたJFEが、急成長するインド市場で反転攻勢を図った海外戦略の判断。
背景
2006年のミタルによるアルセロール買収を機に鉄鋼の世界再編が加速したが、JFEはティッセンクルップとの開発提携を除けば各国二番手級としか組めず、新日本製鉄の広範な連携網に対して孤立が指摘されていた。競合の新日鉄はインドでタタ製鉄と提携し先行していた。
内容
JFEは高張力鋼板などの製造技術をJSWへ供与し、初期工程を要する半製品を日本国内で作ってJSWへ供給する体制を敷いた。JSWは高級鋼材の製造に強みを持ち、インドに進出する日系自動車メーカーへの鋼板供給拡大を共同で狙った。JSWの新製鉄所への資本参加も検討課題に置いた。
含意
中国・韓国メーカーの高炉増設で半製品の販路が細るおそれがあったJFEにとって、提携は新たな供給先の確保でもあった。以後JFEはインドJSWを鉄源調達と海外成長の柱に据え、2015年には粗鋼生産量を2025年に5000万トンへ引き上げる構想の一角にJSWを組み込んだ。
筆者の見解

筆者見解

JFEの海外戦略は、手持ちの札の少なさから生まれた逆転の発想という性格を帯びていた。新日鉄が各国最大手と株式を持ち合う「枝の広がり」を築いたのに対し、JFEは母材を日本から供給して現地の合弁が下工程を担う「枝の太さ」で応じた。インドJSWとの提携も、自前の高炉を新興国へ建てる重い投資を避け、高級鋼の技術と半製品という自社の強みを梃子に成長市場へ食い込む発想の延長にあったといえる。孤立という弱みを、身軽さという別の理屈に置き換えた判断であった。

ただし、供給が需要を創り出すという提携時の楽観が、そのまま実を結んだと言い切るのは早い。低価格車が主流のインドで日本水準の高級鋼がどこまで採用されるかという当初からの疑問は、その後も鉄鋼各社が現地で明快な答えを出しにくかった論点である。JFEにとってインドは、資本参加を含む一貫製造の拠点というより、鉄源調達と技術供与を通じた緩やかな連携先という位置づけに落ち着いていった面がある。孤立を身軽さへ転じた戦略が新興市場でどこまで果実を生んだかは、なお長い目で見届ける段階にあるとみられる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

世界再編のなかの孤立

2006年6月にミタル・スチールが世界2位のアルセロールを買収したのを機に、鉄鋼の世界再編が一気に加速した。高級鋼路線をとる日本勢は当初、規模拡大に否定的であったが、新日本製鉄は「4000万トン+アルファ」を掲げてミタルへの対抗軸づくりを鮮明にした。その裏で、JFEの国際提携の遅れが業界で繰り返し指摘されていた。有力なパートナーはドイツのティッセンクルップとの自動車用鋼板の開発提携ぐらいで、資本関係はなく、ほかは各国・各地域の二番手以下ばかりであった[1]

この差は両社の歴史に負うところが大きかった。旧八幡製鉄と旧富士製鉄の流れをくむ新日鉄は国策を背に各国への技術供与を重ね、その縁故を総動員して連携の枝を広げていた。一方、2003年に日本鋼管と川崎製鉄が統合して生まれたJFEは、合併以前に北米と南米へ有力なパートナーを持っていたが、1990年代の鉄鋼不況で撤退を余儀なくされていた。統合で新日鉄に匹敵する規模を得たものの、気づけば海外の主要メーカーは新日鉄の提携網に組み込まれていた。JFEはまず中国・広州の合弁で下工程を増強する垂直分業を選んでいた[2]

国内の先細りと半製品の販路

提携の前年、世界金融危機で鉄鋼需要は急速にしぼんだ。JFEホールディングスの2010年3月期の連結売上高は前期の3.9兆円から2.8兆円へ落ち込み、営業利益も888億円にとどまった。国内需要が中期的に細ると見込まれるなか、JFEはこれまで中国や韓国のメーカーへ供給してきた半製品の販路にも不安を抱えていた。各国で高炉の増設が進み、取引が減少するおそれがあったためである。急拡大するインド市場は、新たな高級鋼の需要地であると同時に、半製品の新たな受け皿でもあった[3][4]

決断

JSWとの包括提携

2009年12月、最後発のJFEスチールが反転攻勢に出た。同社はインド民間鉄鋼最大手のJSWスチールと包括的な提携契約を締結し、自動車用高級鋼材の技術などを供与するとした。将来的には自動車分野以外の鋼材供給や相互出資までを視野に入れた。インド進出を決めた背景には鉄鋼需要の急拡大があった。2009年のインドの鉄鋼消費量は前年比で1割増える見通しで、中国、米国に次ぐ世界3位へ急浮上する勢いにあった。翌年にはトヨタ自動車と日産自動車の新工場が稼働を控え、日系メーカーの現地生産拡大も見込まれていた[5]

この一手は、先んじていた競合を追う意味合いも帯びていた。今後の需要増が確実に見込まれるなか、新日本製鉄はインドでタタ製鉄と提携して先行しており、JFEはこれを巻き返す格好であった。会見の壇上には馬田一JFEスチール社長が立ち、日本とインドのムンバイで同時に会見が開かれた。中国・広州で始めた下工程中心の垂直分業に続き、JFEはインドでも自前の高炉を持たずに現地大手と組む道を選んだ[6]

高級鋼路線と垂直分業

提携の中身は、JFEが得意とする垂直分業の延長にあった。薄くて強度に優れる高張力鋼板(ハイテン)などは初期工程から作り込む必要があり、インドメーカーの技術だけで高品質品を仕上げるのは難しい。そこでJFEが半製品を日本国内で製造してJSWへ供給し、溶融亜鉛メッキ鋼板などの製造技術も供与する見通しを立てた。JSWが2020年までにインド北東部へ建設する二つの製鉄所への資本参加も検討課題とし、出資が実れば現地でも日本並みの高級鋼一貫製造の道が開けるとした[7]

高級路線がインドに根づくかには当初から疑問の声もあった。低価格車の需要が高いインドで、日本で求められる品質の高級鋼材がどこまで採用されるかは未知数であり、防錆用の亜鉛メッキ鋼板が温暖な同国で必要かを問う高炉大手幹部の声もあった。それでもJFEは高級路線で勝負する構えを崩さなかった。提携会見で林田英治JFEスチール副社長は、JSWのジンダル社長の言葉として「インドでは供給が需要を創り出す」を引き、世界水準の品質とコスト競争力、供給力があれば需要は必ず生まれると自信を見せた[8]

結果

海外成長の柱への位置づけ

提携から5年余りを経た2015年、JFEホールディングスの林田英治社長は成長の主力を明確に海外へ移していた。国内は2020年以降の人口減で公共工事も建設需要も落ち、鉄鋼需要は低下していくという前提に立ち、グループの粗鋼生産量を当時の3200万トンから2020年に4000万トン、2025年に5000万トンへ引き上げる目標を掲げた。増やす部分はすべて海外で、電炉の海外展開よりアライアンスの活用がポイントになると語った。この文脈でインドのJSWは、鉄源を調達する提携先として明示された[9]

業績も金融危機の底からは回復していた。JFEホールディングスの2015年3月期の連結売上高は3兆8503億円、当期純利益は1393億円と、提携を決めた2010年3月期の水準を大きく上回った。林田社長はベトナムで建設中の高炉への出資も検討課題に挙げ、そこからの鉄源やインドJSWからの調達で浮いた分を別の増産に回す、という規模拡大の絵を描いた。広州に続くインド、そして東南アジアという、自前の高炉に頼らず現地の高炉と組む海外展開の型は、この時期のJFEの一貫した選択であったとみることができる[10][11]

出典・参考
  • 週刊東洋経済 2007年3月24日号「孤立危機 JFEが狙う中国市場の起死回生」
  • 週刊東洋経済 2009年12月5日号「鉄鋼 インド市場開拓へ一手 JFEの巻き返し戦略」
  • 週刊東洋経済 2015年7月17日号「この人に聞く JFEホールディングス社長 林田英治 中国勢を恐れてはいない 海外で成長の芽をつかむ」
  • JFEホールディングス 有価証券報告書(2010年3月期・連結)
  • JFEホールディングス 有価証券報告書(2015年3月期・連結)

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