三菱レイヨン初の非繊維出身社長の起用とMMA基軸への経営資源集中

伸びるMMAをどこまで広げ、縮む祖業の繊維をどう建て直すか——樹脂・化成品一筋の社長が引き受けた二つの課題

時期 2006年6月
意思決定者(推定) 鎌原正直 社長
論点 主力事業の入れ替えと経営体制
概要
2006年6月、三菱レイヨンは樹脂・化成品一筋に歩んだ鎌原正直氏を社長に据えた。1933年にレーヨンで創業した同社にとって初の非繊維出身社長であり、前任の皇芳之社長が進めたアクリル系事業への集中を引き継いで、MMA(メタクリル酸メチル)系事業を基幹に置き、日本・タイ・中国・韓国にまたがる一貫生産の体制を固めた経営判断。
背景
石油危機後の構造不況で繊維事業が痛んだ同社は、1980年前後から非繊維の比率を高めてきた。2005年度に始まった第5次中期経営計画「US→2007」は、基幹事業をアクリル系すなわちMMA系とAN系に定め、世界で圧倒的なMMAチェーンの構築を掲げていた。2006年3月期の営業利益は化成品・樹脂事業275億円に対し、繊維事業は14億円まで細っていた。
内容
2006年8月に韓国湖南石油化学と折半出資で大山MMAを設立し、12月には中国・広東省の恵州恵菱化成がMMAモノマーの生産を始めて、川上から川下までの中国での一貫生産が動き出した。タイでもモノマー増設とアクリル樹脂板プラント新設を決めている。2007年4月には「事業部門」等を廃止する組織改正を実施し、繊維事業というセグメント区分そのものを解いた。
含意
就任1年目の2007年3月期、化成品・樹脂事業は営業利益415億円を稼ぎ、繊維事業は19億円にとどまった。鎌原社長は「繊維に関してはまったくの素人」と断ったうえで繊維の再構築を懸案に挙げ、MMA系事業でのアジア首位から世界首位への成長と、非MMA系分野での新たな基幹事業育成を目標に置いた。
筆者の見解

社名に残った祖業

社名にレイヨンを残したまま、この会社は繊維を知らない社員を社長に据えた。鎌原正直社長が1965年に配属された樹脂課は、合繊全盛の当時、新規事業にすぎない。その樹脂・化成品が40年後には事業別営業利益の7割を稼ぎ、祖業の繊維は3%あまりに縮んでいた。皇芳之社長が進めたアクリルへの集中を、集中された側の当事者に引き継がせた人事であり、路線を変えるためではなく、決めた路線を速く回すための交代であった。

ただ、繊維から離れても素材産業の周期からは離れられない。就任2年目の2008年3月期は原燃料高と円高で営業利益が37.1%減り、繊維に代わる稼ぎ頭も市況に揺れる事業である事実が早々に出た。世界で圧倒的なMMAチェーンという目標は、市況が反転すれば同じ設備がそのまま重荷に変わる裏返しを持つ。鎌原社長がMMAの世界首位と並べて非MMA系での新たな基幹事業育成を掲げたのは、集中の細さを承知していたからかもしれない。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

レーヨンで立った会社が、繊維では立てなくなるまで

三菱レイヨンは1933年8月に新興人絹として創立し、レーヨン・ステープルの国内草分けとして出発した。戦後はアセテート、アクリル、ポリプロピレン、ポリエステルと合繊各種を事業化したが、1973年の石油危機を境に設備過剰と過剰人員が重くのしかかり、1976年3月期には無配に落ちた。以後4年の減量経営でグループ従業員はピークの1万1,000人から5,500人へ、単体では9,300人から3,600人へ減っている[1]

代わりの柱には、1943年から手がけていたMMA樹脂を据えた。原料のMMAモノマーは、アクリロニトリルの副産物である青酸を使うACH法では調達に限りがある。同社は世界に先がけてイソブチレンを直接酸化する製法を開発し、約100億円を投じて年産4万トンの工場を大竹に建てた。1982年夏の完成である。非繊維の比率は1975年の20%から1980年度に40%へ上がっていた[2]

皇芳之社長のアクリル集中と、開いた収益差

繊維と非繊維の重みが入れ替わる流れを、2000年6月に社長となった皇芳之氏が速めた。皇氏はアクリル樹脂事業部門長から取締役、常務、専務を経て社長に就いた人であり、アクリル事業に経営資源を集中させる一方で、不採算の繊維部門の構造改革を進めた。鎌原正直氏は化成品・樹脂部門の責任者として皇氏を補佐する立場にあり、のちの交代は路線の乗り換えではなく引き継ぎに近い[3][4]

2005年度に始まった第5次中期経営計画「US→2007」は「集中と拡大」を掲げ、基幹事業をアクリル系すなわちMMA系とAN系に定めた。MMA系については、事業規模と収益力で世界で圧倒的なMMAチェーンを築くと有価証券報告書に明記している。数字の差もすでに開いていた。2006年3月期の化成品・樹脂事業は売上高1,710億円・営業利益275億円、繊維事業は売上高848億円・営業利益14億円で、繊維の利益は前期から49.1%減っている[5][6]

決断

樹脂課に配属された社員が社長になる

2006年6月、鎌原正直氏が社長に就任し、皇芳之氏は会長へ退いた。鎌原氏は1943年3月に長野県で生まれ、1965年に東京外国語大学インドネシア学科を出て入社している。花形だった繊維事業での海外駐在を思い描いていたが、配属先は樹脂課だった。合繊全盛の当時、樹脂は新規事業にすぎない。以後は化成品部長、化成品事業部長、アクリル樹脂事業部長と樹脂・化成品一筋に歩み、2000年に常務、2002年に専務となった[7][8]

同社初の非繊維出身社長であった。中国のMMAプロジェクトで担当者が初年度から黒字にする計画を報告すると、鎌原社長は「ダメだ。初月度から黒字を達成しろ」と見直しを求めている。数年かけて準備した設備が、なぜ最初の月に赤字を出すのかと問い返している。掲げたのは「シンプル、スピード、ストロング」の三語で、「経営には実行だけでなく、いかに早く正確に決断するかが求められる」と語っている[9]

MMAの一貫生産を四か国に並べる

就任からの半年で、MMAの生産は国境をまたいで並んだ。2006年8月、韓国湖南石油化学と折半出資でモノマーとポリマーを手がける合弁会社、大山MMAを韓国に設立する。12月には中国・広東省の恵州恵菱化成がMMAモノマーの生産を始め、川上のモノマーから川下の樹脂加工品まで中国での一貫生産が動き出した。タイ・エムエムエー社でもモノマー増設とアクリル樹脂板プラントの新設を決めている[10][11]

繊維を切り離す判断ではなかった。原油高と中国メーカーとの競争で苦しむ繊維事業について、鎌原社長は再構築を懸案に挙げ、高付加価値品へ寄せる方針を示した。ただし本人は「繊維に関してはまったくの素人」と断ったうえで、「繊維は携わっている人が多いだけに、やりがいのある雰囲気づくりが大事だ」と述べている。MMA系事業でのアジア首位から世界首位への成長と、非MMA系分野での新たな基幹事業の育成を目指した[12]

結果

数字に出た主力の入れ替え

就任1年目の2007年3月期、連結売上高は4,170億円で前期比19.5%増、経常利益は585億円、当期純利益は313億円となった。事業別では化成品・樹脂事業が売上高2,196億円・営業利益415億円と利益を51.1%伸ばし、繊維事業は売上高859億円・営業利益19億円にとどまる。3事業の営業利益を合わせた596億円のうち、繊維の取り分は3%あまりであった[13][14]

営業利益の53.9%増という伸びは、額面どおりには受け取れない。この期の営業利益597億円には、退職給付の数理計算上の差異償却額142億円の益が含まれている。同社自身が有価証券報告書で断っており、これを除いた営業利益は455億円、増益率は14.4%にとどまる。最高益の内実には会計処理の変更が効いており、事業そのものの伸びを示すのは化成品・樹脂の51.1%増のほうである[15]

繊維という区分を解く

2007年4月、鎌原社長は「事業部門」等を廃止して組織の階層を減らし、事業経営の自律性と迅速性を高める組織改正を実施した。あわせてセグメントの区切りも改まる。繊維事業という括りは解かれ、アクリル繊維はANモノマーから炭素繊維に至る事業チェーンの一部として括り直された。アクリル繊維事業には、炭素繊維用プレカーサーへの転換によるダウンサイジングが課題として置かれている[16]

稼ぎ手を入れ替えても、素材産業の市況からは逃れられなかった。2008年3月期は原燃料価格の高騰と期後半の急激な円高が響き、連結営業利益は375億円と37.1%減っている。それでも同社は第6次中期経営計画「グローバルUS→2010」で10年後の1兆円企業を目標に据え、MMA系ではさらなる成長と拡大を追う大型投資計画を継続して検討すると記した。海外売上高比率は2007年3月期の44.9%から翌期には47.3%へ上がっている[17][18]

出典・参考
  • 週刊東洋経済 2006年9月2日号「[トップの履歴書]三菱レイヨン社長 鎌原正直 スピード経営目指す初の非繊維出身社長」
  • 証券アナリストジャーナル 1982年20巻4号「三菱レイヨン ハイテクノロジーを基礎に高付加価値事業展開——収益第一主義を徹底」(金澤脩三 三菱レイヨン社長 講演要旨)
  • 三菱レイヨン 有価証券報告書(2006年3月期・第81期)
  • 三菱レイヨン 有価証券報告書(2007年3月期・第82期)
  • 三菱レイヨン 有価証券報告書(2008年3月期・第83期)

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