三菱レイヨン英ルーサイト・インターナショナルの買収とMMA世界首位への浮上
能力4位が首位を丸ごと引き受けるか——株式の対価10百万円と買収資金16億米ドルの落差
- 概要
- 2008年11月11日、三菱レイヨンがMMA(メタクリル酸メチル)モノマーで生産能力世界首位の英 Lucite International Group Limited の発行済株式すべてを取得する契約を結び、2009年5月28日に約16億米ドルで買収を完了した経営判断。
- 背景
- 第6次中期経営計画でMMA系事業に「規模、収益力において世界No.1」を掲げながら、生産能力では世界4位にとどまっていた。首位のルーサイトは世界の23%を握り、英投資会社の運用ファンドの保有下にあった。
- 内容
- 発行済株式9,556千株の100%を取得。取得原価は1,895百万円にとどまる一方、企業結合日に引き受けた負債は1,978億円に及んだ。三菱東京UFJ銀行から日本円873億円ほかを借り入れて既存借入金を返済し、のれん323億円を20年の均等償却とした。
- 含意
- MMA生産シェアは35%となり、海外売上高比率は43.0%から56.1%へ上がった。総資産は1,585億円増え、自己資本比率は44.2%から26.4%へ低下。2011年3月期に経常利益410億円まで回復したが、2013年3月期には76億円へ戻った。
首位を取ることと、首位で稼ぎ続けること
株式そのものに払った対価は1,000万円であった。取得原価18億9,500万円のほとんどは取得に直接要した支出で、実際に引き受けたのは2,020億円の資産と1,978億円の負債である。世界の四分の一を握る首位を、生産能力4位の会社が借金ごと抱え込み、MMA生産シェアを35%まで引き上げた。当期純損失290億円を出した年に踏み切れたのは、MMA一品目への集中を長く続けてきたことと、金融危機がもたらした円高とが重なったからである。
引き受けた負債は、そのまま会社の身軽さを削った。自己資本比率は2008年3月期の44.2%から2010年3月期に26.4%へ下がり、返済期限1年の借入と20年償却ののれん323億円が残った。買収完了の10カ月後には三菱ケミカルホールディングスの公開買付が成立し、世界首位に立った会社そのものが買われている。2011年3月期に410億円まで戻った経常利益は、2013年3月期に76億円へ落ちた。首位を取ることと、首位でいる間に稼ぎ続けることとは、別の課題として残った。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
MMAに絞り込んだ会社と、届かない首位
2008年度に始めた第6次中期経営計画「グローバルUS→2010」で、三菱レイヨンはMMA(メタクリル酸メチル)系事業に「規模、収益力において世界No.1」という目標を置いた。日本・タイ・中国ではモノマーからポリマーまでの一貫体制をすでに築き、韓国ではモノマーとポリマーの新プラント建設、タイではモノマー増設とアクリル樹脂板工場の建設に着手していた。2008年3月期の化成品・樹脂事業は売上1,869億円・営業利益223億円を稼ぎ、全社を支えていた[1][2]。
それでも生産能力の順位は世界4位にとどまった。MMAモノマーは液晶テレビの導光板や自動車の前照灯カバーに使うアクリル樹脂の原料で、用途は広がっていた。首位は英ルーサイト・インターナショナルで、世界の23%を握る。英ICIと米デュポンのMMA事業を引き継いだ専業メーカーであり、2008年12月期の連結売上高は8億8,500万英ポンド、連結総資産は9億3,100万英ポンド。株式は英投資会社チャーターハウス・キャピタル・パートナーズの運用ファンドなどが握っていた[3][4]。
金融危機の直撃と、対価を軽くした円高
2008年秋の金融危機は、この会社を直撃した。2009年3月期の連結売上高は3,450億円と前期比17.5%減り、営業損失76億円・経常損失38億円を計上した。アクリル繊維事業の構造改革と株式相場の下落による投資有価証券評価損が重なり、当期純損失は290億円、1株当たり50円58銭の赤字に達した。自己資本比率は前期の44.2%から36.1%へ下がっている。大型買収を抱えて越すには、重い決算であった[5][6]。
一方で、同じ危機がもたらした円高は買収の対価を軽くした。ダイヤモンド・オンラインは2008年11月18日に「小が大をのみ込む買収」と伝え、能力4位が首位を取り込む構図を示している。鎌原正直社長は「ルーサイトを他社に取られずにほっとしている」と語った。売り手が投資ファンドである以上、次に市場へ出る保証はない。決算の底と、相手が売り物になる時期とが同じ年に重なった[7]。
決断
2008年11月11日の株式売買契約
2008年11月11日、三菱レイヨンは英国の子会社 MRC Group Holdings (UK) Limited を通じ、ルーサイトの発行済株式9,556千株のすべてを取得する株式売買契約を結んだ。取得後の持分比率は100%、買収資金の総額は約16億米ドルとされた。鎌原社長は買収でMMA生産シェアが35%になるとしたうえで、「原料から樹脂まで一貫生産するMMAチェーン戦略に弾みがつく」と述べている。能力4位の会社が、世界の四分の一を握る首位を丸ごと引き受ける取引である[8][9]。
関係各国の独占禁止法当局から認可を得て、2009年5月28日に株式買取りの手続きが完了した。会社は完了を伝える文書で「世界のMMA市場におけるリーディング企業の地位を獲得」したとし、ルーサイトを「MMAの主要3製法を保有する世界唯一且つ最大のモノマーメーカー」と説明した。連結の範囲にはルーサイト社ほか44社が加わり、常務執行役員にはルーサイト社長の Ian R Lambert 氏が就いて、鎌原社長は同社の取締役会長を兼ねた[10][11][12]。
取得原価1,895百万円と、買収資金16億米ドル
取得原価は18億9,500万円である。うち株式そのものの対価は1,000万円で、残る18億8,500万円は取得に直接要した支出が占める。企業結合日に受け入れた資産は2,020億円、引き受けた負債は1,978億円。会社が買収資金を「約16億米ドル(既存外部借入金の引受けを含む)[14]」と書いたとおり、支払いの実体は株式代金ではなく、相手が抱えた借金の肩代わりであった。差額はのれん323億円となり、20年間の均等償却に置かれた[13]。
その負債を返す金は借入で用意した。2009年5月27日、三菱東京UFJ銀行から日本円873億円・3億8,500万米ドル・2億9,000万ユーロを、返済期限1年で借り入れている。財務制限条項には「連結経常損益が、2連結会計年度連続して損失とならないこと」が入った。前期に経常損失を出したばかりの会社が、翌期の黒字を条件に資金を引いた形になる。2010年3月期には子会社借入金の返済に1,531億円が出て、長期借入れで1,463億円が入った[15][16]。
結果
膨らんだ貸借対照表と、自らが買われた春
買収は貸借対照表の姿を変えた。2010年3月期末の総資産は5,674億円と前期末から1,585億円増え、固定資産は1,507億円増の3,919億円となった。固定負債は長期借入金を中心に1,515億円増えて2,640億円、無形固定資産ののれんは13億円から308億円へ膨らんだ。海外売上高比率は43.0%から56.1%へ上がり、自己資本比率は26.4%まで下がった。2008年3月期の44.2%から2年で18ポイント落ちた計算になる[17][18]。
2010年3月期の業績はまだ底にあった。売上高は3,650億円へ戻し、営業利益54億円を確保したものの、急激な為替変動による差損と在外子会社の固定資産減損で経常損失61億円・当期純損失50億円を計上した。そして同じ2010年3月末、三菱ケミカルホールディングスによる公開買付が成立し、同年10月の株式交換で三菱レイヨンは完全子会社となった。MMAで世界首位に立った10カ月後に、会社そのものが買われた[19][20]。
通年寄与の一年と、その後の反落
ルーサイトが通年で寄与した2011年3月期は、数字が一変した。連結売上高は4,784億円と31.0%増え、営業利益は54億円から410億円へ、当期純利益は229億円となった。化成品・樹脂事業は売上3,066億円・セグメント利益446億円で、買収前の2009年3月期に売上1,568億円・営業利益6億円だった同じ事業とは、規模も収益力も別のものになった。MMAモノマーは各拠点がフル生産で応じるほど需給が締まっていた[21][22]。
高い水準は続かなかった。2013年3月期の連結売上高は4,569億円、営業利益68億円、経常利益76億円、当期純利益12億円まで落ち、化成品・樹脂事業のセグメント利益も123億円にとどまった。中国での需要低迷が響き、MMAモノマーの価格是正が進まなかった。会社は2009年8月に中期計画を見直して「New Design MRC」を掲げ、2018年近傍に売上高1兆円・営業利益1,000億円を置いたが、その規模には遠かった[23][24]。
買った資産をどう使うかは、その後の課題として残った。会社はルーサイトとの一体化について、北米事業とポリマー事業の再構築、事業運営の一体化、拠点の相互活用と技術交流、そして新エチレン法(アルファ法)による成長戦略の具体化を挙げている。エチレンからMMAをつくるアルファ法はルーサイトが持ち込んだ製法で、2009年8月にはその競争力を高める狙いでサウジアラビアの化学大手SABICと業務提携に合意した[25][26][27]。
- 三菱レイヨン 有価証券報告書(2008年3月期・連結)
- 三菱レイヨン 有価証券報告書(2009年3月期・連結)
- 三菱レイヨン 有価証券報告書(2010年3月期・連結)
- 三菱レイヨン 有価証券報告書(2011年3月期・連結)
- 三菱レイヨン 有価証券報告書(2013年3月期・連結)
- 三菱レイヨン「ルーサイト社(英国)買収手続きの完了について」(2009年5月29日)
- ダイヤモンド・オンライン(2008年11月18日)「円高で三菱レイヨンが大勝負 小が大をのみ込む買収を決断」
- 週刊東洋経済 2009年8月29日号「NEWS TOP4 04 化学大型買収へ虎視眈々 三菱ケミカルの選択眼」