日本板硝子英ピルキントンの完全子会社化と総額6160億円の資金投入
20%の株主にとどまるか、全株を取るか——英国の買収規制が迫った二択
- 概要
- 2005年11月1日、日本板硝子は20%を出資する英ピルキントンへ完全買収を提案した。1株150ペンスの提示は拒まれ、2006年2月26日に165ペンスで決着する。全株式の取得に約3585億円、負債の引き受けなどを含む総額は約6160億円にのぼり、売上高で2倍近い相手を格下の側がのみ込んだ。
- 背景
- 2005年時点で海外の自動車ガラス工場はマレーシアの1か所にとどまり、日系自動車メーカーの海外生産に供給が追いつかなかった。2000年に10%、2001年に20%と買い進めた出資も、共同購買や研究開発の共有には結びつかず、大株主の域を出ないままであった。
- 内容
- 買収資金は銀行借入約3630億円と転換価格修正条項付き転換社債約1100億円で賄った。板ガラスの世界シェアは約14%へ上がり、28か国に事業を持つ会社となる。一方で自己資本比率は48.7%から23.9%へ落ち、のれん代は2200億円前後と見積もられた。
- 含意
- 20%では競争相手のままだが、英国では30%を超えると全株買い取り義務が生じる。段階的に持分を増やす道が制度上閉じており、出原洋三会長は「20%ならやめておく、やるなら100%」と語った。選べる手が二つしかない条件下での判断であった。
選択肢が二つしかない場所での判断
この買収を身の丈を超えた背伸びと呼ぶのは、判断の形を見誤らせる。20%では共同購買も研究開発の共有も働かず、それでいて英国の制度は30%超の買い増しに全株取得の義務を課していた。出原洋三会長が「20%ならやめておく、やるなら100%までやる」と語ったのは決意の表明ではなく、選べる手が二つしかない条件の説明であった。海外拠点がマレーシア1か所という状態で日系自動車メーカーの海外生産に応じるには、どこかで拠点を一括して手に入れるほかなかったとみられる。
もっとも、二択であったことは、選んだ側の価格が妥当であったことを意味しない。165ペンスは公表直前の株価に30%のプレミアムを乗せた水準で、当初提示から15ペンス引き上げた末の決着であった。生じるのれん2200億円に対し、会社が見込んだ統合効果は年44億円にとどまり、償却額の半分にも届かない計算が発表時点で開示されている。制度が二択を強いたことと、その二択のうち高いほうを選び切る財務体力があったかどうかは、別の問いであった。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
マレーシア1か所という海外拠点
1971年にマレーシアへ合弁会社を設けて以降、日本板硝子の海外生産拠点はほとんど増えなかった。2005年の時点で海外の自動車ガラス工場はマレーシアの1か所にとどまる。トヨタ自動車や日産自動車、本田技研工業が各国で現地生産を広げても、供給する体制がなかった。ガラスはタイヤと同様に現地調達が最優先される部材であり、工場が近くになければ商談の対象にすらならない[1]。
板ガラスの外に置いた柱も伸びていなかった。光通信用レンズを中心とする情報電子はITバブル崩壊後の赤字が続き、液晶用ガラス基板はHOYAとの合弁で手がけたものの市場シェアは1割前後にとどまる。合弁である以上、単独では動かせない。同じ時期に旭硝子は2004年12月期の営業利益の約5割を電子・ディスプレー部門で稼いでおり、収益源の差は開いていた[2]。
20%では動かなかった提携
資本による接近は2000年に始まっていた。同年にピルキントン社の株式10%を取得し、2001年10月には20%へ引き上げて筆頭株主となる。狙いは資本提携による自動車ガラス事業の強化にあった。相手との関係は古く、1918年の創業時に製法特許を出資したリビー・オーエンス社の後身がピルキントン傘下のLOF社であり、1986年には米国で自動車用ガラスの合弁を組んでいた[3][4]。
それでも5年を経て成果は乏しかった。ピルキントン社の広報担当者は日本板硝子について親密だが特別視はしていないと述べ、提携は目立った成果を上げていなかった。出原洋三会長は後に、共同購買は一緒にならなければ働かず、研究開発のテーマも互いにすべてを開示することはないと語っている。技術を出して取られては困るという計算が双方に働き、20%の株主はなお競争相手であった[5][6]。
決断
30%を超えると全株を買わねばならない
日本板硝子が完全買収を提案したのは2005年11月1日であった。提示額は1株150ペンス。ピルキントン社は株主に提案できる価格ではないとして拒み、交渉は難航する。同社会長のナイジェル・ラッド氏は英国でM&Aの経験が誰より豊富な交渉巧者として知られ、関係者は難しい展開を予想した。決着は2006年2月26日までもつれ、価格は1株165ペンスまで上がった[7][8]。
なぜ20%のままでは済まなかったのか。出原洋三会長は資本の効率でいえば51%程度で足りたと述べている。それを妨げたのは英国の制度であった。持株比率が30%を超えると全株を買い取る義務が生じるため、20%から少しずつ買い増す道が閉じていた。31%も50%も選べず、20%にとどまるか100%を取るかという二択が残る。制度が選択肢の幅を決めていた[9]。
借入とMSCBで組んだ6160億円
買収の規模は全株式の取得に約3585億円、負債の引き受けなどを含めた総額で約6160億円にのぼった。資金は銀行借入約3630億円と転換価格修正条項付き転換社債約1100億円で賄っている。買収前に1250億円だった有利子負債は6000億円を超え、48.7%あった自己資本比率は2007年3月期に23.9%まで下がった。格付各社はただちに格下げ方向での見直しを発表している[10][11]。
買収で生じるのれん代は2200億円前後と試算された。最長の20年で償却しても年110億円ほど営業利益を押し下げる。これに対し会社が見込んだ資材の共同調達や生産最適化によるコスト削減効果は、2009年度までに年44億円であった。償却額の半分にも届かない見積もりが、買収を発表した時点で示されている。統合の効果より会計上の負担が先に立つ計算であった[12]。
結果
2年で頂点に達した数字
買収は2006年6月に完了した。連結売上高は2006年3月期の2659億円から2007年3月期に6815億円、2008年3月期には8656億円へ増える。総資産は5960億円から1兆4090億円、従業員数は12736人から35811人へ、いずれも2倍を超えた。海外売上比率は2割から8割近くへ動き、板ガラスの世界シェアは約14%となる。2008年3月期の純利益は504億円で、この期が到達点であった[13][14]。
買収の翌年からは想定していなかった負担も表に出た。ピルキントン社が過去に関与したカルテル事件について、2007年11月と2008年11月に欧州委員会が決定した課徴金は計675億円に達する。広報部長の尾崎政一氏は2026年の記者説明会で、買収前からリスクとして認識していたものの想定より額が大きかったと振り返っている。買った資産に付いていた過去の債務であった[15]。
- 週刊東洋経済 2005年11月19日号「日本板硝子、英ピルキントンに完全買収を提案“一世一代の大勝負”に潜む焦り」
- 週刊東洋経済 2006年3月11日号「日本板硝子が英ピルキントンを買収 世界トップ躍進に潜む死角」
- 週刊東洋経済 2006年3月25日号「出原洋三 日本板硝子代表取締役会長 6100億円買収の真意を語る」
- 週刊東洋経済 2026年4月11日号「日本板硝子が非公開化へ 『小が大をのむ』の後始末」
- 日本板硝子 有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】(2008年3月期・連結)
- 日本板硝子 有価証券報告書【沿革】