日本電気硝子 の歴史

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創業 1944年
母体 日本電気
創業地 滋賀県大津市
創業
1944年、日本電気が真空管とブラウン管用ガラスの内製化のため、滋賀県大津市に子会社として日本電気硝子を設立した。戦後の財閥解体で日本電気から分離され、1949年12月に従業員90名の独立会社として再出発する。建築・自動車・瓶という大市場は選ばず、1951年に管ガラスの自動管引で蛍光灯用ガラスを量産化し、1962年には手吹きが主流だった魔法瓶用ガラスを機械へ移して1985年度に国内シェア100%を占めた。1972年10月に本社を東京都港区から滋賀県大津市へ移し、1973年に東京・大阪両証券取引所市場第二部へ上場、1983年には第一部へ指定替えとなった。
決断
市場が立ち上がる前に、資本金の数倍を一か所へ置いてきた。1964年12月、資本金3億円・売上高約38億円の会社が約20億円を投じて滋賀高月へCRT専用工場を新設した。1987年10月にはブラウン管が収益のピークへ向かう最中にTFT液晶基板ガラスの生産を始め、2000年1月にオーバーフロー法を実用化して、2002年に韓国、2003年に台湾へ現地法人を置く。2008年3月期には売上高3,683億円・営業利益1,009億円と会社史上の最高を記録した。ただし2017年9月に米PPGから取得した欧米3拠点のガラス繊維は中国メーカーの価格競争に対抗できず、オランダ子会社は2023年9月に破産手続きへ入っている。先に置いた資本が実を結んだのは、置いたあとで市場のほうが伸びた案件だけである。
現況
増えたのは売上ではなく、ガラス1枚から残る利益である。2025年12月期は売上高3,114億円・営業利益341億円で、営業損失104億円だった2023年12月期から2年で採算が入れ替わった。売上高が2,799億円から11%伸びるあいだに、売上原価は2,468億円から2,314億円へ減っている。2023年に韓国の液晶成形2社を清算し、藤沢事業場跡地などの売却で固定資産売却収入490億円を得たうえ、溶融炉を全電気式へ切り替えた。ディスプレイ事業の全電気溶融比率は2018年のほぼゼロから2025年上期には大半へ達している。炉と拠点を入れ替えて原価を下げたことが、ディスプレイの数量が戻らないまま黒字を回復させた。
競合
入るのはいつも独占者のいる市場で、二番手の枠から始めている。ブラウン管用ガラスは旭硝子が米コーニングの技術で国内を握り、日本電気硝子への技術導入許可は6年下りなかった。1963年に第二社の参入が認められると、東芝・松下電器・ソニーの二社購買に入り、1991年に国内シェア57%で首位へ立つ。液晶基板ガラスでも米コーニングが先行したオーバーフロー法を独自に実用化し、2008年3月期には世界第2位に着けた。2017年に米PPGから欧米3拠点のガラス繊維事業を取得したのも、ガラス繊維で世界二強へ並ぶためである。ただし韓国・台湾・中国勢の内製化で価格が下がると、売上高は2015年3月期に1,926億円とピークの半分近くまで減少した。独占者の隣を取る参入は市場が伸びるあいだだけ利益を残し、価格が主導権を握ると同じ位置が採算を失った。
日本電気硝子:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1996年3月期2025年12月期

設立ストーリー 管ガラスからCRTへ至るニッチ特殊ガラスメーカーの社運を賭けた選択 (1944年〜)

従業員わずか90名で再出発したNECからの独立会社

日本電気硝子の源流は、1944年に日本電気(NEC)が真空管・ブラウン管用ガラスの内製化を目的に設立した子会社である。[1]戦後の財閥解体で住友系のNECから分離され、1949年12月に独立会社として再出発したとき[2]には、従業員はわずか90名しかいなかった[3]。大手電機メーカーの一部門から独立した経緯でありながら、独立系の特殊ガラスメーカーとしての実態はまさしく中小企業にすぎない小さな規模であった。戦後の混乱のなかで、他のガラスメーカーがなかなか手を出さない技術的に難易度の高い特殊ガラス領域に活路を見出していくほかないという、厳しい事業環境からの出発であった状況のなかで独立を果たした。

  • 日本電気硝子 有価証券報告書 第77期(2025年12月期)【沿革】
    • [1]1944年に日本電気(NEC)が真空管・ブラウン管用ガラス内製化を目的に子会社として設立(設立1944年10月31日、当時の親会社は日本電気=住友通信工業)
    • [2]戦後の財閥解体で住友系のNECから分離独立。1949年12月1日を会社創立日とする
    • [3]独立(1949年)時の従業員は90名

独立後に選んだ事業領域は、建築・自動車・瓶ガラスといった既存の大市場ではなく、競合の少ないニッチ分野であった。1951年には管ガラスの自動管引に成功して蛍光灯用ガラスを量産化することに成功し[4]、1960年には米オーエンズ・イリノイから管ガラス技術を導入して技術基盤を強化した[5]。手吹きが主流だった魔法瓶用ガラスも1962年には機械化量産を開始し[6]、1985年度には国内シェア100パーセントに到達するまでに至っている[7]。大手の参入しない隙間市場を機械化で押さえ込むという、後のCRT参入にも通じる事業選択の独特な型が、独立から十数年の1950年代後半に形作られていった重要な局面である。1962年にはさらに超耐熱結晶化ガラス『ネオセラム』の生産にも乗り出していた[8]

  • 日本電気硝子 有価証券報告書 第77期(2025年12月期)【沿革】
    • [4]1951年1月 管ガラスの自動管引に成功し蛍光灯用ガラスを量産化
    • [5]1960年3月 米オーエンズ・イリノイからガラス管・棒の製造に関し技術導入
    • [6]1962年7月 魔法瓶用ガラスの機械化量産を開始
    • [8]1962年4月 超耐熱結晶化ガラス「ネオセラム」の生産開始
    • [7]魔法瓶用ガラスは1985年度時点で国内シェア100%
  • 日本電気硝子 有価証券報告書 第77期(2025年12月期)【沿革】
    • [1]1944年に日本電気(NEC)が真空管・ブラウン管用ガラス内製化を目的に子会社として設立(設立1944年10月31日、当時の親会社は日本電気=住友通信工業)
    • [2]戦後の財閥解体で住友系のNECから分離独立。1949年12月1日を会社創立日とする
    • [4]1951年1月 管ガラスの自動管引に成功し蛍光灯用ガラスを量産化
    • [5]1960年3月 米オーエンズ・イリノイからガラス管・棒の製造に関し技術導入
    • [6]1962年7月 魔法瓶用ガラスの機械化量産を開始
    • [8]1962年4月 超耐熱結晶化ガラス「ネオセラム」の生産開始
    • [3]独立(1949年)時の従業員は90名
    • [7]魔法瓶用ガラスは1985年度時点で国内シェア100%

滋賀高月への20億円の集中立地とCRT第二社としての参入

1958年頃、日本電気硝子はCRT(テレビ用ブラウン管ガラス)への参入を模索し始めたが、米オーエンズ・イリノイからの技術導入の許可を日本政府が六年もの間にわたって出さなかった。既に旭硝子が米コーニング技術で国内のCRTガラスを独占しており、新規参入は許されない情勢のなかにあったためである。転機となったのは1963年で、テレビ需要の急速な拡大を受けて『第二社』の参入許可がようやく下りた。翌1964年、資本金3億円・売上高約38億円の会社が、約20億円を投じてCRT専用工場を滋賀県高月の湖北地区に新設するという、社運を賭けた集中立地を決断した。[9]1959年4月には藤沢工場を新設しており[10]、既に工場の拡張計画は動き出していた。

  • 日本電気硝子 有価証券報告書 第77期(2025年12月期)【沿革】
    • [9]1964年12月 滋賀高月工場を開設(総投資額約20億円・資本金3億円)。売上高約38億円は単体1965年3月期38億円と整合
    • [10]1959年4月 藤沢工場を新設

立地の決定を主導した長崎準一(後の三代社長)[11]はこう語っている。余裕ある敷地・豊富な工業用水・交通の便・良質の労働力といった条件を基準に湖北を選び、生産拡張のレイアウトまで事前に織り込んだ周到な立地決定であり、1972年10月には本社を東京都港区から滋賀県大津市に移転する[12]

  • 日本電気硝子 歴代社長一覧(有価証券報告書【役員の状況】)
    • [11]立地決定を主導した長崎準一は3代社長
  • 日本電気硝子 有価証券報告書 第77期(2025年12月期)【沿革】
    • [12]1972年10月 本社を東京都港区から滋賀県大津市に移転
  • 日本電気硝子 有価証券報告書 第77期(2025年12月期)【沿革】
    • [9]1964年12月 滋賀高月工場を開設(総投資額約20億円・資本金3億円)。売上高約38億円は単体1965年3月期38億円と整合
    • [10]1959年4月 藤沢工場を新設
    • [12]1972年10月 本社を東京都港区から滋賀県大津市に移転
  • 日本電気硝子 歴代社長一覧(有価証券報告書【役員の状況】)
    • [11]立地決定を主導した長崎準一は3代社長

電機大手の二社購買とCRTが売上の54パーセントを占めた構造

1965年には白黒CRT用ガラスの量産を開始し[13]、続く1967年にはカラーCRTにも展開して事業の幅を広げた[14]。旭硝子の独占体制だったこの市場で、同社は『二社購買』の第二社として東芝・松下電器・ソニー・NEC・三菱電機といった国内の主要な電機大手を顧客として次々に取り込み、1991年には国内シェア57パーセントで首位に立つまでに成長を遂げている[15]。1971年12月には滋賀県能登川町に能登川工場を開設し[16]、生産能力をさらに積み上げた。世界的にはCRT用ガラスの特許を米コーニングとオーエンズ・イリノイの二社が握っていて新規参入の余地が事実上存在しなかったことも、同社のポジションを結果的に保護する役割を果たした。

  • 日本電気硝子 有価証券報告書 第77期(2025年12月期)【沿革】
    • [13]1965年12月 白黒CRT用ガラスの量産開始
    • [14]1967年11月 カラーCRT用ガラスの製造開始
    • [16]1971年12月 能登川工場を開設
    • [15]1991年(カラーTVブラウン管ガラス)国内シェア57%で首位。東芝・松下・ソニー・NEC・三菱電機が顧客

1973年には東京・大阪両証券取引所市場第二部に株式を上場し[17]、続く1976年にはガラスファイバ(強化プラスチック用)生産を開始[18]、そして1983年には市場第一部への指定替えを果たしている[19]。CRT事業の収益を足場として、資本市場での評価と事業多角化を同時に押し出していた時期である。1984年1月には米国シカゴに駐在員事務所を開設し[20]、海外展開の準備も整えた。FY1981の時点ではCRT用ガラスが売上の54パーセントを占めるCRT中心の部材メーカーであり[21]、テレビ需要と命運を共にする事業構造が1980年代前半にはっきりと確立する格好となった。CRTへの集中投資は、後のFPD時代への転換を迫られたときに重い負担となった。

  • 日本電気硝子 有価証券報告書 第77期(2025年12月期)【沿革】
    • [17]1973年4月 東京・大阪両証券取引所市場第二部に上場
    • [18]1976年10月 ガラスファイバ(強化プラスチック用)生産開始
    • [19]1983年9月 東京・大阪両証券取引所市場第一部に指定替え
    • [20]1984年1月 米国シカゴに駐在員事務所を開設
    • [21]FY1981時点でCRT用ガラスが売上の54%
  • 日本電気硝子 有価証券報告書 第77期(2025年12月期)【沿革】
    • [13]1965年12月 白黒CRT用ガラスの量産開始
    • [14]1967年11月 カラーCRT用ガラスの製造開始
    • [16]1971年12月 能登川工場を開設
    • [17]1973年4月 東京・大阪両証券取引所市場第二部に上場
    • [18]1976年10月 ガラスファイバ(強化プラスチック用)生産開始
    • [19]1983年9月 東京・大阪両証券取引所市場第一部に指定替え
    • [20]1984年1月 米国シカゴに駐在員事務所を開設
    • [15]1991年(カラーTVブラウン管ガラス)国内シェア57%で首位。東芝・松下・ソニー・NEC・三菱電機が顧客
    • [21]FY1981時点でCRT用ガラスが売上の54%

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日本電気硝子の沿革1944〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1944〜1986年管ガラスからCRTへ至るニッチ特殊ガラスメーカーの社運を賭けた選択日本電気(NEC)の子会社として設立
日本電気硝子として独立★★
管ガラスの自動管引に成功
藤沢工場を新設
オーエンズ・イリノイから管ガラス技術を導入★★
超耐熱結晶化ガラス「ネオセラム®」の生産開始
ブラウン管(CRT)ガラスへの後発参入と滋賀高月へのCRT専用工場の新設

1964年、日本電気硝子が滋賀県高月にブラウン管(CRT)ガラスの専用工場を新設し、約20億円を投じてテレビ用ガラスへ後発参入した経営判断。1958年頃から模索していた米オーエンズ・イリノイからの技術導入が1963年に認可され、翌1964年12月に工場を開設した。

詳細を読む
★★★
テレビ用ブラウン管ガラスの製造開始★★
カラーテレビ用ブラウン管ガラスの製造開始
能登川工場を新設
本社を移転
東京・大阪両証券取引所市場第二部に上場
ガラスファイバ(強化プラスチック用)の生産開始★★
東京・大阪両証券取引所市場第一部銘柄に指定
シカゴ駐在員事務所を開設
1987〜2016年TFT液晶基板への主力転換とディスプレイ市況下落による収益悪化の局面TFT液晶ディスプレイ用基板ガラスの生産開始★★
合弁会社「オーアイ・エヌイージー・ティービー・プロダクツInc.」を設立
子会社「ニッポン・エレクトリック・グラス・マレーシアSdn.Bhd.」を設立
カラーTVブラウン管ガラスで国内シェア1位
溶融炉に酸素燃焼方式を導入
電子デバイス用ガラス等でISO9001認証を取得
全事業場一括でISO14001認証を取得
オーバーフロー法による液晶ディスプレイ用基板ガラスの生産開始★★
子会社「日本電気硝子」を設立
井筒雄三井筒雄三が代表取締役社長に就任
井筒雄三連結売上高3,683億円・営業利益1,009億円を記録
有岡雅行有岡雅行が代表取締役社長に就任
有岡雅行化学強化専用ガラス(Dinorex®)の生産開始
松本元春連結売上高1,926億円まで落ち込み、営業利益52億円
松本元春松本元春が代表取締役社長に就任
2017〜2024年EGP2028による事業構造改革と半導体関連への転換松本元春米PPGからの欧州・米国ガラス繊維事業(英国・オランダ・米国の3拠点)の取得

2016年から2017年にかけて、日本電気硝子が米PPGインダストリーズから欧州・米国のガラス繊維事業(英国・オランダ・米国の三拠点)を取得した経営判断。松本元春社長のもとで、ディスプレイ事業への依存を下げ、ガラス繊維を主力事業へ育てることをめざした。後に2019年12月期の減損とオランダ子会社の破産に至った。

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★★★
松本元春営業利益159億円・親会社株主純損失336億円★★
岸本暁岸本暁が代表取締役社長に就任
岸本暁営業損失△104億円・純損失△261億円★★
岸本暁ガラス製造のカーボンニュートラル技術を提供するエンジニアリング事業に参入
岸本暁売上高3,114億円・営業利益341億円・営業利益率11.0%
出典・参考
  • 日本電気硝子 有価証券報告書 第77期(2025年12月期)【沿革】
  • 日本電気硝子 歴代社長一覧(有価証券報告書【役員の状況】)
  • 染色研究(1981年1月)

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