中村文夫
日本板硝子・元社長
(敬称略) 生年月日 —
学歴 神戸高等商業学校
出自 —
- 出自
- 1892年に兵庫で生まれ、1916年に神戸高等商業学校を出て住友総本店に入った。1922年12月に日本板硝子へ出向し、1927年10月に営業部長、1933年1月に取締役、1942年5月に常務取締役へ進んだ。出向から社長就任までの21年を営業畑で過ごしている。
- 抜擢
- 1942年5月に常務取締役となり、その1年7か月後の1943年12月に社長へ就いた。住友総本店から出向して21年、営業部長・取締役・常務取締役と社内の職位を順に上がったうえでの就任だった。戦時下の交代で、前任者と交代の事情を示す記述は日本企業要覧の役員欄に残っていない。
- 施策
- 在任は18年5か月に及んだ。1949年に尼崎へ研究所を設け、1950年に東京・大阪などの各証券取引所へ株式を上場し、1952年に舞鶴工場、1954年に自動車用ガラス子会社の日本安全硝子を設立した。単体売上高は1960年3月期の133億円から1962年3月期の179億円へ増えた。1962年5月に取締役会長へ移り、渡辺逸郎氏へ社長を渡した。
- 評価
- 執筆予定
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献経歴・学歴・出身地の裏づけに当たった資料
- 日本企業要覧 1965年版 生年・出身地・学歴・経歴
- 日本企業要覧 1960年版 経歴
- 20世紀日本人名事典(日外アソシエーツ, 2004)「中村文夫」/コトバンク 読み