滝本清八郎

日本板硝子・元社長

(敬称略)

Takimoto Seihachiro

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生年月日
学歴 神戸商業大学
出自
出自
1933年に神戸商業大学を出て国際汽船へ入り、1934年12月に日本板硝子へ移った。1948年12月に経理部長、1951年に取締役、1958年5月に常務取締役、1967年2月に専務取締役へ進んだ経理の畑である。入社から社長就任までの34年を同社で過ごした。
抜擢
前任の渡辺逸郎氏は1938年に岩井商店から日本板硝子へ入り、1962年から社長を務めた。日本企業要覧は1968年版まで渡辺氏を社長として載せ、1970年版で滝本清八郎氏に替わる。会社は1964年3月にピルキントン社とフロート法の技術供与契約を結び、1965年11月に舞鶴工場で東洋初のフロート板ガラスを取り出したところで、設備の資金を回収する段階にあった。経理を長く担った専務が、その回収期の社長に充てられた。
施策
1968年の創立50周年に合わせ、尼崎研究所の機能を移した研究所を伊丹市に新設した。1970年には日本安全硝子を吸収合併し、あわせて川崎工場を新設している。売上高は1968年3月期の312億円から1971年3月期の426億円へ、当期純利益は18億円から23億円へ伸びた。
評価
執筆予定
就任前(FY67)312億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-

参考文献経歴・学歴・出身地の裏づけに当たった資料

  • 日本企業要覧 1965年版 生年・出身地・学歴・経歴
  • 日本企業要覧 1970年版 経歴
  • 滝本清八郎追悼集(日本板硝子, 1972)国立国会図書館サーチ 書誌 読み

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