日本板硝子買収先出身者と外部招聘による外国人社長2代の起用と委員会設置会社への移行
執行を担える人材が社内にないとき、経営を誰に委ねるか
- 概要
- 2008年5月、日本板硝子は買収したピルキントン社出身のスチュアート・チェンバース氏を社長兼CEOへ昇格させた。藤本勝司社長は会長へ回る。買った側が降り、買われた側から社長を出す形であった。同年6月には委員会設置会社へ移行し、役員の任命権を指名委員会に置いた。
- 背景
- 買収後の取締役と従業員の大半はピルキントン出身者で、日本板硝子のプロパー社員は約20%の少数派となった。売上と従業員の8割が海外にあり、その規模の執行を担える人材は社内に育っていなかった。買収前の海外拠点はマレーシアの1か所にとどまっていた。
- 内容
- チェンバース社長は在任1年余りの2009年8月に家庭の事情を理由として退任した。後任には米デュポンに36年勤めたクレイグ・ネイラー氏を招いたが、2012年4月に取締役会との意見の不一致を理由に辞任する。4年で社長が3人替わった。
- 含意
- 人を選ぶ力が社内に乏しい一方、指名委員会は選んだ人を替える機能として働いた。組織の規模は買収で2倍を超えたが、それを動かす人材の層は同じ速さでは厚くならない。誤算は需要環境の読み違いだけでなく、この時間差にもあったとみられる。
選ぶ力と、替える仕組み
4年で社長が3人替わった事実を、招いた個人の資質に帰すと事態を見誤る。売上と従業員の8割が海外にある会社で、その規模の執行を担える人材は社内に育っていなかった。買収前の海外拠点がマレーシア1か所という状態で国際事業の人材だけが厚いはずもなく、外国人に執行を委ねる以外の選択肢は実際になかったとみられる。藤本勝司会長が国際企業の社長は外国人がふさわしいと述べたのは、理念というより人材の現状を述べた言葉に近い。
もっとも、委ねる相手を選ぶ力と、選んだ相手を替える仕組みは、この会社では釣り合っていなかった。指名委員会は業績が傾いたときに社長を替える機能としては働き、2012年に中期経営計画を見直してネイラー社長を孤立させている。一方でチェンバース社長の1年余りでの退任は、譴責もないまま受け入れられた。買収で組織の規模は2倍を超えても、それを動かす人材の層が同じ速さで厚くなるわけではない。誤算は欧州需要の読み違いだけでなく、この時間差にもあったといえる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
20%の少数派になった買い手
2006年6月に買収を終えたあと、会社の中身は入れ替わった。取締役と従業員の大半はピルキントン出身者となり、日本板硝子のプロパー社員は約20%の少数派になる。従業員数は買収前の12736人から35811人へ増え、増えた分のほとんどが海外にいた。資本の上では買った側でありながら、人の構成では買われた側が多数を占める状態であった[1][2]。
執行を担う人材の層は、買収の速さに追いつかなかった。買収前の主要な海外拠点はマレーシアに1か所ある程度で、国際事業を展開する人材の育成では他社の後塵を拝していた。売上と従業員の8割が海外にある会社の執行を、国内で育った人材だけで回す前提は成り立たない。おっとりした社風で前に出る人が少ないとも評されていた[3]。
決断
買われた側から社長を出す
2008年5月、日本板硝子はピルキントン社出身のスチュアート・チェンバース副社長を社長兼CEOへ昇格させると発表した。藤本勝司社長は会長へ回る。買った会社の社長が降り、買われた会社から社長を出す理由について、藤本社長はグローバル企業として発展するため国際経験の豊富な人物を前面に出すと説明した。同じ時期に国内の管理職を対象とした希望退職で220人が会社を去っている[4][5]。
人事と同じ月、機関設計も改めた。2008年6月、日本板硝子は委員会設置会社へ移行する。当時の出原洋三会長は、役員の任命は指名委員会に権限があり社長は関与できないと、その狙いを率直に語っている。指名・報酬・監査の3委員会で、外国人の社長と役員を日本板硝子出身の日本人が監視する形であった。執行は委ねるが、任免は握る設計にあたる[6][7]。
1年余りの退任と、二人目の招聘
就任の翌年、2009年8月にチェンバース社長は退任を表明した。日本で社長職にとどまると16歳の息子が見知らぬ他人になってしまうと述べ、家庭の事情を理由に挙げている。同氏の役員報酬は4億〜5億円とささやかれ、それを捨てての退任は業界に衝撃を与えた。在任は1年余りで、10月から藤本会長が社長へ復帰する。あるアナリストは、任期途中の退任を許したこと自体を企業体質の甘さとして指摘した[8][9]。
後任選びは指名委員会が進め、2010年4月15日に米国人のクレイグ・ネイラー氏の起用を発表した。同氏は米デュポンに36年勤め、電子・情報技術部門担当の上席副社長を務めた経歴を持つ。4年間の東京勤務の経験があり、日本で暮らせることも指名の決め手になった。藤本会長は日本板硝子のような国際企業の社長は外国人がふさわしいと述べ、選択肢はほかになかったとした[10][11]。
結果
4年で3人替わった社長
二人目の社長も2年で退いた。2012年4月18日、ネイラー社長が辞任し、後任には生え抜きの吉川恵治副社長が就く。4年ぶりの日本人社長であった。藤本会長は辞任の理由を、戦略に関する取締役会での意見の不一致と説明している。ネイラー社長が進めた新興国への積極投資は、ベトナムの太陽電池向けガラス工場の新設が延期になるなど欧州危機のあおりで進んでいなかった[12]。
取締役会は2010年11月にネイラー社長が策定した中期経営計画を見直し、リストラで急場をしのぐ意見へ傾いた。ガラス業界の内情に通じない社長は、その過程で孤立している。任免を握る指名委員会の設計は、業績が傾いたときに社長を替える機能として働いた。就任の1か月前にあたる2012年3月12日には、ムーディーズがグループ全体の格付をBa3とし、東京電力と同じ水準に置いている[13][14]。
- 週刊東洋経済 2008年5月17日号「ニュース最前線03 ガラス 日本板硝子の新社長に英子会社トップが昇格」
- 週刊東洋経済 2010年5月1日号「NEWS TOP4 03 人事 日本板硝子の新社長 またも外国人を起用」
- 週刊東洋経済 2010年8月14日号「会社が変わる! 企業戦略シリーズ5 第2回 日本板硝子 小が大をのむ買収の行方 外国人社長を「監視」」
- 週刊東洋経済 2012年3月20日号「NEWS TOP 4 04 ガラス 買収誤算の日本板硝子 東電並みの格付けに」
- 週刊東洋経済 2012年4月20日号「NEWS TOP 4 03 ガラス 崖っ縁の日本板硝子 外国人社長がまた辞任」
- 日本板硝子 有価証券報告書【主要な経営指標等の推移】(2008年3月期・連結)