AGC の歴史

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創業 1907年
創業者 岩崎俊弥
創業地 兵庫県尼崎市
創業
1907年9月8日、岩崎俊弥氏が三菱財閥の支援を受け、資本金100万円で旭硝子を設立し、本社を兵庫県尼崎に置いた。当時の日本は窓用の板ガラスをほぼ全量輸入に依存し、工業生産の技術を持つ会社は国内になかった。1909年4月に尼崎工場でベルギー式手吹法による窓硝子の製造を始め、翌1910年1月に菱印の商標で市販して、日本初の板ガラスの工業生産にこぎつけた。原料と副資材も自前で作り、1916年に耐火煉瓦、1917年にソーダ灰の製造を始めている。1944年に日本化成工業と合併して三菱化成工業となったが、1950年6月に企業再建整備法で三分割され、旧名の旭硝子として資本金2億5,000万円で再発足した。
決断
ガラスの窯を焚くために作った副資材が、そのまま別の事業になった。1916年の耐火煉瓦はガラス溶解窯の構造材、1917年のソーダ灰はガラスの主原料として始めた内製であり、この二つがセラミックスと化学品の入口になった。1964年にフッ素化学品の生産に入り、1965年にはタイ旭苛性曹達を設立してアジアで化学品を作り始めている。1980年11月には研究開発を長期の事業創出へ振り向ける多角化を掲げた。1994年4月には疑似分社制を入れて事業部へ権限と責任を移した。2016年から2020年にかけてはドイツのバイオミーバ、デンマークと米国に拠点を持つCMC Biologics、イタリアのMolecular Medicineを相次いで取得してバイオ医薬品の開発製造受託へ広げ、2018年には111年使った旭硝子の社名をAGCへ変更した。
現況
売上が最も大きいのは建築用でも自動車用でもなく、化学品である。2025年12月期の連結売上高2兆588億円のうち化学品が5,841億円で28%を占め、オートモーティブ5,205億円、建築ガラス4,411億円、電子3,550億円が続く。営業利益1,274億円の内訳は化学品530億円、電子475億円、オートモーティブ292億円、建築ガラス172億円で、ガラス2事業を足した464億円は化学品1事業を下回る。ライフサイエンスは売上1,330億円に対して222億円の営業損失を計上し、前期には1,184億円の減損損失を出した。2024年には配当方針を配当性向40%目安から株主資本配当率3%目安へ改め、業績の振れを配当から切り離した。
競合
事業ごとに相手が異なり、採算の合わない地域からは事業ごと譲渡してきた。電子では液晶パネル用のTFTガラス基板で米コーニングと世界の2社を占め、化学品ではタイとインドネシアの塩ビ・苛性ソーダで現地の需要に応じる。建築ガラスは輸送費が重いため、地域ごとに市場が分かれる。日本板硝子が2006年に英ピルキントンを取得して規模を追ったのに対し、AGCは板ガラスの外側へ資本を移した。地域はむしろ絞り、2021年に北米の建築用ガラス事業を米カーディナル・グラスへ譲渡し、2023年には大連のフロートガラス会社の全株式を中国企業へ譲渡、2024年にはロシアの建築用・自動車用ガラス事業から撤退した。事業を増やして地域を減らしたことが、ガラス2事業の利益を化学品と電子が上回る構成を作った。
AGC:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1996年3月期2025年12月期

創業ストーリー 板ガラスの国産化から戦時統合を経て再発足するまでの創業期 (1907年〜)

輸入依存を断つために三菱が送り込んだ岩崎俊弥と尼崎工場

1907年9月8日、岩崎俊弥は三菱財閥の支援を受け、資本金100万円で旭硝子株式会社を設立し、[1][2]本社を兵庫県尼崎に置いた。[3]当時の日本は窓用板ガラスをほぼ全量を海外からの輸入に頼っており、国内で工業的に生産できる技術を持つ企業はまだどこにも存在しない状況であった。1909年4月に尼崎工場を建設してベルギー式手吹法による窓硝子の製造を始め、[4]翌1910年1月には菱印の商標で製品の市販に踏み切り、[5]日本で初めての板ガラスの工業生産にこぎつけた。輸入品との価格競争を覚悟したうえで、まず国産化そのものを目的に据えた事業設計であり、民族資本企業による輸入依存脱却への挑戦という色合いが強く打ち出された創業案件である。

  • 経済春秋社『企業の歴史(明治百年)』(経済春秋社, 1968年)
    • [1]創業者は岩崎俊弥(三菱財閥の支援)
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [2]創立時の資本金は100万円
    • [3]1907年9月8日 岩崎俊弥が三菱財閥の支援で資本金100万円により旭硝子株式会社を創立、本社を兵庫県尼崎に置いた
    • [5]尼崎工場はベルギー式手吹法で窓硝子を製造、製品は菱印の商標で市販
  • AGC 有価証券報告書 第101期(2025年12月期)【沿革】
    • [4]1909年 尼崎工場で日本初の板ガラス工業生産を開始

国産化は、後工程や原材料の内製化へと連鎖していく流れへとつながった。1914年に北九州の牧山工場を設置して西日本に生産拠点を広げ、[6]1916年にはガラス溶解窯の構造材である耐火煉瓦の自社生産を始めてセラミックス事業へと参入し、同年には横浜の鶴見工場も置いている。[7]牧山・鶴見の両工場ではラバース式機械吹法を採り入れて手吹法から機械生産への転換を図り、[8]翌1917年にはガラスの主原料であるソーダ灰の製造にも踏み込み、原料から最終製品までを自社で手掛ける一貫生産体制を築き上げた。[9]その後も1928年に尼崎の硝子工場をフルコール式に、1931年に鶴見の硝子工場をピッツバーグ式に改造して連続生産技術を取り込んでいき、[10]後のセラミックス・化学品の事業群は、すべてガラスを作るための副資材内製から派生したものであり、創業期の自前主義が後年の多角化戦略の原点となる遺伝子を形づくったと位置づけることができる局面である。

  • AGC 有価証券報告書 第101期(2025年12月期)【沿革】
    • [6]1914年 牧山工場を設置し西日本に生産拠点を拡大
    • [7]1916年 耐火煉瓦の生産を開始しセラミックス事業に参入、同年 鶴見工場を設置
    • [9]1917年 ソーダ灰の製造を開始し一貫生産体制を確立
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [8]牧山・鶴見工場はラバース式機械吹法を採用し手吹法から機械生産へ転換
    • [10]1928年に尼崎硝子工場をフルコール式に、1931年に鶴見硝子工場をピッツバーグ式に改造
  • 経済春秋社『企業の歴史(明治百年)』(経済春秋社, 1968年)
    • [1]創業者は岩崎俊弥(三菱財閥の支援)
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [2]創立時の資本金は100万円
    • [3]1907年9月8日 岩崎俊弥が三菱財閥の支援で資本金100万円により旭硝子株式会社を創立、本社を兵庫県尼崎に置いた
    • [5]尼崎工場はベルギー式手吹法で窓硝子を製造、製品は菱印の商標で市販
    • [8]牧山・鶴見工場はラバース式機械吹法を採用し手吹法から機械生産へ転換
    • [10]1928年に尼崎硝子工場をフルコール式に、1931年に鶴見硝子工場をピッツバーグ式に改造
  • AGC 有価証券報告書 第101期(2025年12月期)【沿革】
    • [4]1909年 尼崎工場で日本初の板ガラス工業生産を開始
    • [6]1914年 牧山工場を設置し西日本に生産拠点を拡大
    • [7]1916年 耐火煉瓦の生産を開始しセラミックス事業に参入、同年 鶴見工場を設置
    • [9]1917年 ソーダ灰の製造を開始し一貫生産体制を確立

戦時統合で消滅した社名と1950年の旭硝子としての再発足

戦前の旭硝子は、板ガラスにソーダや耐火物を加えた事業群を軸に成長を遂げ、世界一級のガラスメーカーと呼ばれるまでになっていた[11]。だが戦時統制が深まるなかで段階的な企業集約に組み込まれ、1939年に昭和化学工業を、1942年に大阪晒粉をそれぞれ合併して事業規模を広げたうえ、[12]1939年には兵庫県に伊保工場を新設して生産能力を積み上げた。[13]その延長線上の1944年、旭硝子は日本化成工業と合併して三菱化成工業株式会社と改称し、[14]資本金は1億1,079万円となった。[15]創業から37年で旭硝子の名はいったん表舞台から消え、会社はガラス・セラミックス・化学品を併せ持つ巨大な戦時統合体の一部となった。軍需資材としてのガラスと化学品が同じ法人で運用される戦時経済特有の編成がここで成立し、生産技術と人材がこの統合体の内部に広く温存されたことが、後の多角化の素地ともなった。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [11]戦前に板ガラス・ソーダ・耐火物を軸に成長し世界一級のガラスメーカーとなった
    • [12]1939年 昭和化学工業と、1942年 大阪晒粉とそれぞれ合併し事業規模を拡大
    • [15]合併相手は日本化成工業、改称後の社名は三菱化成工業株式会社、改称後の資本金は1億1079万円
  • AGC 有価証券報告書 第101期(2025年12月期)【沿革】
    • [13]1939年 伊保工場を新設
    • [14]1944年 日本化成工業と合併し三菱化成工業株式会社へ改称

戦後、財閥解体と過度経済力集中排除法のもとで、1950年1月に企業再建整備法に基づく整備計画が認可され、三菱化成工業は旭硝子・日本化成工業・新光レイヨンの三社に分離されることとなった。[16][17]このうちガラス部門は同年6月1日に旧名の旭硝子として資本金2億5,000万円で再発足し、同年のうちに株式上場にもこぎつけている。[18]再出発時点における事業はガラスとセラミックス・ソーダ灰など創業期の延長線上にあったものの、戦時期に同居していた化学品分野の知見と技術者が失われずに残されたことで、1964年のフッ素化学品への参入[19]や1965年以降のアジアでのクロールアルカリ展開へと引き継がれていく結果となった。[20]社名がいったん消えて再び戻ってきたという経験は、後年にブランドを掛け替える判断を下すうえでの心理的な抵抗を薄くする役割をも果たしたと評価できる。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [16]1950年1月 企業再建整備法に基づく整備計画が認可され三菱化成工業を3社に分離
    • [17]三菱化成工業は旭硝子・日本化成工業・新光レイヨン(現三菱レイヨン)の3社に分離された
    • [18]1950年6月1日 ガラス部門が旧名の旭硝子として資本金2億5000万円で再発足し同年に株式上場
  • AGC 有価証券報告書 第101期(2025年12月期)【沿革】
    • [19]1964年 フッ素化学品の生産を開始
    • [20]1965年 タイ旭苛性曹達社を設立しアジアでのクロールアルカリ(化学品)生産を開始
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [11]戦前に板ガラス・ソーダ・耐火物を軸に成長し世界一級のガラスメーカーとなった
    • [12]1939年 昭和化学工業と、1942年 大阪晒粉とそれぞれ合併し事業規模を拡大
    • [15]合併相手は日本化成工業、改称後の社名は三菱化成工業株式会社、改称後の資本金は1億1079万円
    • [16]1950年1月 企業再建整備法に基づく整備計画が認可され三菱化成工業を3社に分離
    • [17]三菱化成工業は旭硝子・日本化成工業・新光レイヨン(現三菱レイヨン)の3社に分離された
    • [18]1950年6月1日 ガラス部門が旧名の旭硝子として資本金2億5000万円で再発足し同年に株式上場
  • AGC 有価証券報告書 第101期(2025年12月期)【沿革】
    • [13]1939年 伊保工場を新設
    • [14]1944年 日本化成工業と合併し三菱化成工業株式会社へ改称
    • [19]1964年 フッ素化学品の生産を開始
    • [20]1965年 タイ旭苛性曹達社を設立しアジアでのクロールアルカリ(化学品)生産を開始

テレビと自動車に乗ったガラス事業の拡張と東南アジア展開の起点

1954年にブラウン管用ガラス、[21]1956年に自動車ガラスの生産を順次開始し、[22]家電とモータリゼーションという戦後日本の二大成長産業に同時に乗ることに成功した。建築用の板ガラス一本だった事業構成に、テレビと自動車という新しい需要先を組み込んでいくことで、ガラス会社の収益源を住宅市場の景気変動から切り離そうとする戦略的な狙いがはっきりと背景にあった局面である。同じ1956年にはインドでもガラス生産を開始しており、戦後の日本民間企業による海外直接投資のうち早期事例にあたり、[23]戦後のガラス事業多角化と海外展開が揃った重要な出発点となった。

  • AGC 有価証券報告書 第101期(2025年12月期)【沿革】
    • [21]1954年 ブラウン管用ガラスの生産を開始
    • [22]1956年 自動車ガラスの生産を開始
    • [23]1956年 インドでのガラス生産を開始(日本の民間企業として早期に進出)

1960年代以降は、東南アジア地域への本格的な展開が続いていくこととなった。1964年にはタイ旭硝子、[24]翌1965年にはタイ旭苛性曹達を設立してアジア化学品事業の起点を作り、[25]1972年にはインドネシアのPT Asahimas Flat Glass、[26]1974年にはタイ安全硝子と、[27]板ガラス・化学品・自動車ガラスの三事業をアジア各国に並行して植え付けていった格好である。国内でも1959年に千葉、1970年に愛知、1972年に相模、1974年に鹿島と工場を相次いで設置し、[28]内需の拡大とアジア展開を二輪で回していく生産配置が完成した。1964年に開始したフッ素化学品は後のパフォーマンスケミカルズ事業の起点となっていく重要な事業である。

  • AGC 有価証券報告書 第101期(2025年12月期)【沿革】
    • [24]1964年 タイ旭硝子社を設立
    • [25]1965年 タイ旭苛性曹達社を設立しアジア化学品事業を起こす
    • [26]1972年 PT Asahimas Flat Glass を設立しインドネシア進出
    • [27]1974年 タイ安全硝子社を設立しアジアでの自動車ガラス生産を開始
    • [28]国内工場の設置年(千葉1959・愛知1970・相模1972・鹿島1974)
  • AGC 有価証券報告書 第101期(2025年12月期)【沿革】
    • [21]1954年 ブラウン管用ガラスの生産を開始
    • [22]1956年 自動車ガラスの生産を開始
    • [23]1956年 インドでのガラス生産を開始(日本の民間企業として早期に進出)
    • [24]1964年 タイ旭硝子社を設立
    • [25]1965年 タイ旭苛性曹達社を設立しアジア化学品事業を起こす
    • [26]1972年 PT Asahimas Flat Glass を設立しインドネシア進出
    • [27]1974年 タイ安全硝子社を設立しアジアでの自動車ガラス生産を開始
    • [28]国内工場の設置年(千葉1959・愛知1970・相模1972・鹿島1974)

グラバーベル買収が引き金になった欧米アジアの三極体制完成

1981年、同社はベルギーの板ガラス大手グラバーベル社を買収して欧州市場へと参入する決断を下した。[29]1980年代前半の日本企業による海外製造業M&Aとしては早い時期の事例であり、その後のAGCの欧州事業(現AGC Glass Europe)の中核となっていく案件となった。[30]1985年には米国にAPテクノグラス社を設立して北米の自動車ガラス生産を開始し、[31]続く1988年には米国の板ガラス会社AFGインダストリーズ社に資本参加することで北米の板ガラス市場へも進出した。[32]1991年にはベルギーのスプリンテックス社へ資本参加して欧州自動車ガラス事業を補強するなど、[33]三極体制を支える動きが連続した節目となる時期である。

  • AGC 有価証券報告書 第101期(2025年12月期)【沿革】
    • [29]1981年 ベルギーのグラバーベル社を買収し欧州市場へ参入
    • [30]グラバーベル社は現AGC Glass Europe(欧州事業の中核)
    • [31]1985年 米国にAPテクノグラス社を設立し北米の自動車ガラス生産を開始
    • [32]1988年 米国AFGインダストリーズ社に資本参加し北米板ガラス市場へ進出
    • [33]1991年 ベルギーのスプリンテックス社へ資本参加し欧州自動車ガラス事業を補強

続けて1992年には中国で大連フロート硝子社を設立、[34]1995年には秦皇島で自動車ガラスの生産を開始するなど、[35]中国市場にも早い時期から拠点を置くという動きを積極的に進めた。こうして1981年から約15年をかけて、日本・欧州・北米・アジアの四地域に板ガラスと自動車ガラスの両方を持つ三極構造が完成する格好となった。並行して1985年には合成石英ガラス、[36]1995年にはTFT液晶用の無アルカリガラス、[37]1999年には英国ICIのフッ素樹脂事業買収と、[38]半導体・液晶・フッ素化学という高機能領域へ事業の重心を移し始め、汎用ガラスの地理的拡大と高機能素材への深掘りが同じ時期に並走した重要な局面となった。

  • AGC 有価証券報告書 第101期(2025年12月期)【沿革】
    • [34]1992年 中国で大連フロート硝子社を設立
    • [35]1995年 秦皇島で自動車ガラスの生産を開始
    • [36]1985年 合成石英ガラスの生産を開始
    • [37]1995年 TFT液晶用の無アルカリガラスの生産を開始
    • [38]1999年 英国ICIのフッ素樹脂事業を買収
  • AGC 有価証券報告書 第101期(2025年12月期)【沿革】
    • [29]1981年 ベルギーのグラバーベル社を買収し欧州市場へ参入
    • [30]グラバーベル社は現AGC Glass Europe(欧州事業の中核)
    • [31]1985年 米国にAPテクノグラス社を設立し北米の自動車ガラス生産を開始
    • [32]1988年 米国AFGインダストリーズ社に資本参加し北米板ガラス市場へ進出
    • [33]1991年 ベルギーのスプリンテックス社へ資本参加し欧州自動車ガラス事業を補強
    • [34]1992年 中国で大連フロート硝子社を設立
    • [35]1995年 秦皇島で自動車ガラスの生産を開始
    • [36]1985年 合成石英ガラスの生産を開始
    • [37]1995年 TFT液晶用の無アルカリガラスの生産を開始
    • [38]1999年 英国ICIのフッ素樹脂事業を買収

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AGCの沿革1907〜2024年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1907〜1949年板ガラスの国産化から戦時統合を経て再発足するまでの創業期旭硝子を創立
尼崎工場を新設
日本で初めて板ガラスの工業生産を開始★★
牧山工場を新設
耐火煉瓦の生産を開始しセラミックス事業に参入★★
鶴見工場を新設
ソーダ灰の製造を開始
伊保工場を新設
日本化成工業と合併し三菱化成工業に商号変更★★
1950〜1999年高度成長期の多角化とグラバーベル買収による欧米アジア三極体制の構築企業再建整備法により三菱化成工業が3分割され旭硝子として再発足し株式上場
森本貫一ブラウン管用ガラスの生産を開始
森本貫一自動車ガラスの生産を開始
森本貫一千葉工場を新設
森本貫一フッ素化学品の生産を開始
森本貫一タイ旭硝子社を設立
森本貫一羽沢研究所を新設
森本貫一タイ旭苛性曹達社を設立しアジアでの化学品生産を開始
倉田元治愛知工場を新設
倉田元治相模事業所を開設
倉田元治PT Asahimas Flat Glass を設立
山下秀明鹿島工場を新設
山下秀明タイ安全硝子社を設立しアジアでの自動車ガラス生産を開始
山下秀明戦略型研究開発を核とした「アミーバ的」多角化

1980年前後、旭硝子は板ガラスを中核に周辺事業へ広がる『アミーバ的』多角化を進めた。研究開発部門を長期の事業創出へ振り向ける『戦略型研究開発』を組織の中心に据え、化学品・セラミックス・電子と事業を増やしていく方針を明確にした。『安定と進歩の両立』を掲げた山下秀明社長のもとでの経営方針である。

詳細を読む
★★★
山下秀明ベルギーのグラバーベル社を買収★★
坂部武夫APテクノグラス社を設立
坂部武夫合成石英ガラスの生産を開始
古本次郎板ガラス製造会社AFGインダストリーズ社に資本参加
古本次郎ベルギーのスプリンテックス社に資本参加
古本次郎大連フロート硝子社を設立し板ガラス生産を開始
瀬谷博道疑似分社制の導入による「鈍い大企業」からの脱却

1994年4月、旭硝子は8つの事業本部に全社の資本金・資産・借入金を割り振って独立採算の『疑似分社』とし、事業担当役員に『疑似社長』として予算・投資・人事の権限を委ねる独立事業部制を導入した。瀬谷博道社長のもとで進めた意思決定機構の改革である。

詳細を読む
★★★
瀬谷博道TFT液晶ガラス基板用無アルカリガラスの生産を開始★★
石津進也ICIのフッ素樹脂事業を買収
2000〜2020年カンパニー制導入とライフサイエンスへの事業転換によるグローバル経営の構築石津進也旭硝子ファインテクノ台湾社を設立しTFT液晶用ガラス基板生産を開始
石津進也カンパニー制を導入しグローバル一体経営体制に移行
石村和彦石村和彦氏が社長に就任
石村和彦旧北九州工場から自動車ガラス事業を撤退
石村和彦スマートフォン・タブレット用カバーガラス向け化学強化用特殊ガラスの生産を開始
島村琢哉島村琢哉氏が社長に就任
島村琢哉バイオ医薬品CDMO事業に参入★★
島村琢哉デンマーク・米国に拠点を有するCMC Biologics社の全株式を取得
島村琢哉社名を旭硝子からAGCへ変更
島村琢哉Park Electrochemical社のエレクトロニクス事業を買収
島村琢哉Molecular Medicine社の全株式を取得し遺伝子・細胞治療領域のCDMO事業に参入
平井良典平井良典氏が社長に就任
平井良典北米建築用ガラス事業を米国Cardinal Glass Industriesに譲渡★★
平井良典建築用・自動車用ガラス事業を譲渡しロシア事業から撤退★★
出典・参考
  • AGC 有価証券報告書 第101期(2025年12月期)【沿革】
  • 経済春秋社『企業の歴史(明治百年)』(経済春秋社, 1968年)
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)

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