LIXIL米GE出身・藤森義明の社長兼CEO招聘と創業家からの経営権移譲
内需の最大手に留まるか、外部の手で世界へ出るか——創業家二代目が自ら経営の座を手放した理由
- 概要
- 2011年8月、住宅設備最大手の住生活グループ(現・LIXILグループ)が、米ゼネラル・エレクトリックで本社副社長を務めた藤森義明氏を代表執行役社長兼CEOに迎え、創業家二代目の潮田洋一郎会長が取締役会議長へ退いた経営判断。
- 背景
- 国内新築市場は数年で3割縮み、2011年4月にはトステム・INAX・新日軽など5社が合併して事業会社LIXILが発足していた。潮田氏は年400億円の海外売上高を2015年度に1兆円へ引き上げる目標を掲げていたが、社内での求心力を欠いていた。
- 内容
- 潮田氏は就任前年から毎月「勉強会」の名目で藤森氏と会い、社長就任を求めた。藤森氏は東京大学から日商岩井を経てGEに移り、46歳でアジア人初の本社副社長に就いた人物であった。潮田氏は経営の座を譲り、取締役会議長として監督側に回った。
- 含意
- 就任からの3年弱で海外売上高比率は7倍、外国人持株比率は2割未満から4割近くへ動いた。一方で中国案件では上海美特幕墻の1シンガポールドル売却やジョウユウの約660億円の損失が生じ、藤森氏は2016年6月の株主総会で退任した。
招いた側の判断として読む
外部からプロ経営者を招いた事例として語られやすいが、この人事の芯は招いた側にある。海外売上高を年400億円から1兆円へという目標を掲げたのは潮田洋一郎氏であり、藤森義明氏はその実行役として呼ばれた。社外取締役に「私にブレーキをかけられる人」を集めていた二代目が、社内を自分では動かせないと見切って執行の座を明け渡した点に、この判断の特徴があるとみることができる。
もっとも、潮田氏が退いたのは執行の座であって、戦略を描く位置ではなかった。買収路線の綻びが上海美特幕墻の1シンガポールドル売却やジョウユウの約660億円の損失として表に出たとき、引責して去ったのは藤森氏のほうであり、潮田氏は取締役会に残った。経営者を解任できることが統治の要だと語っていた人物が、自らは解任される側に回らないまま残ったといえる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
縮む新築市場と五社合併
2001年のトステムとINAXの経営統合に始まり、同社はサンウエーブ工業や新日軽といった国内同業を次々に傘下へ収めてきた。2011年4月にはトステムがINAX・新日軽・東洋エクステリア・サンウエーブ工業を吸収合併し、事業会社は株式会社LIXILへ一本化される。国内住宅設備で最大手の地位は固まっていた[1]。
合併を急いだ理由は市場の縮小にあった。当時会長兼CEOであった潮田洋一郎氏は2010年11月の取材に、国内の新築市場が数年前より3割減っており、固定費も3割減らさなければやっていけないと述べている。ただし減らすだけでは成長の芽が絶えるため、削った人員を成長分野へ振り向ける必要があるとも語っていた[2]。
海外売上高1兆円という目標
潮田氏が見定めた成長分野は海外であった。年間400億円にすぎなかった海外売上高を2015年度までに1兆円へ引き上げると決め、海外企業の買収に方針を移す。2011年1月には中国のカーテンウォールメーカー上海美特幕墻を32億円で買収し、同年12月にはイタリアのペルマスティリーザを傘下に収めた[3][4]。
ところが号令をかける潮田氏自身が社内で足場を欠いていた。住宅設備業界を長く担当する証券アナリストは、潮田氏を聡明で合理的な人物と評しつつ、周囲がついてこなかったと振り返っている。創業者である父・健次郎氏への敬慕が取引先にも社員にも残り、二代目は「お坊ちゃま」としか見られていなかった[5]。
決断
一年がかりの勧誘
就任の前年、潮田氏は「勉強会」という名目で毎月、藤森義明氏と会っている。「会社を変えたい。あなたが社長になってくれますか」。藤森氏は1975年に東京大学工学部を出て日商岩井に入り、社費留学を経て1986年に日本ゼネラル・エレクトリックへ移った人物であった[6][7]。
GEでは入社11年、46歳でアジア人として初めて本社副社長に就いた。2008年に日本GE会長として消費者金融レイクの売却を決めたときは、継続しても十分にやっていけるという現場の声を押し切り、新生銀行へ譲渡している。売却の直後にリーマン・ショックが来た。外部環境が変わったときは機敏さを優先すべきだ、という判断であった[8]。
創業家が監督側へ退く
2011年8月、藤森氏は持株会社である住生活グループの代表執行役社長兼CEOに就いた。持株会社が商号をLIXILグループへ改めるのは翌2012年7月であり、招聘の時点で上場会社の名はまだ住生活グループであった。潮田氏は取締役会議長へ退き、執行の座を離れる[9][10]。
潮田氏は会長時代、社外取締役に數土文夫氏ら「私にブレーキをかけられる人」を集めていた。企業統治で最も必要なのは経営者を解任できるかどうかだ、という考え方であった。国内の合従連衡で膨らんだ事業に新たな戦略を与え、未踏の海外へ出るのは自分ではないという見立てが、外部からの招聘に結び付いている[11][12]。
結果
三年弱で動いた数字
就任から3年弱で海外売上高比率は7倍になった。2013年にドイツの水栓老舗グローエ、2014年に米アメリカンスタンダードを傘下に収め、就任直後のペルマスティリーザを含む投資総額は5,000億円に迫る。連結売上高は2011年3月期の1兆2,149億円から2015年3月期には1兆6,734億円へ増えた[13][14]。
動いたのは売上高だけではない。執行役13人のうち7人が外部からの人材となり、その下の執行役員にもGEやソニー、日産自動車から人が入った。藤森氏は太陽光発電事業を「ドッグ」すなわち負け犬と呼び、3年で高収益にならなければ売ると社内で公言している。外国人持株比率は就任前の2割未満から4割近くへ上がった[15][16]。
五年での退任
買収は損失も生んだ。2011年1月に32億円で買った上海美特幕墻は業績が振るわず、2016年3月31日に1シンガポールドルで売却され、追加出資分を含め60億円強の売却損となる。2015年5月には中国子会社ジョウユウの不正会計と経営破綻が発覚し、総額約660億円の損失を計上した[17]。
藤森氏は2016年6月15日の定時株主総会をもって社長を退いた。2015年度の年商は1.8兆円、うち海外が5,597億円、営業利益は562億円であり、美特1件で経営が傾く規模ではない。ジョウユウ問題などの引責であった。路線を敷いた潮田氏は監督役として取締役会に残っている[18]。
- 週刊東洋経済 2010年11月17日号「本音に迫る! 住生活グループ会長 潮田洋一郎 露と消えた球団買収 住生活Gの次の一手」
- 週刊東洋経済 2014年5月23日号「【短期集中連載 社長の器】 社長の器 LIXIL 陽の藤森、陰の潮田 2人の“破壊神”が出会い企業は世界へ打って出る」
- 週刊東洋経済 2016年6月11日号「ニュース最前線05 80円で中国子会社売却 LIXIL潮田流に綻び」
- 株式会社住生活グループ 有価証券報告書(2012年3月期)
- 株式会社LIXILグループ 有価証券報告書(2015年3月期)