海外売上高を年400億円から1兆円へという目標を掲げたのは潮田洋一郎氏であり、藤森義明氏はその実行役として呼ばれた。創業家の二代目は就任前年から毎月ひざ詰めで社長就任を求めたうえで、社内を自分では動かせないと見切って執行の座を明け渡している。国内新築市場が数年で3割縮み、トステム・INAX・新日軽など5社の合併で事業会社LIXILが発足した直後の人事であった。
もっとも、潮田氏が退いたのは執行の座であって、戦略を描く位置ではなかった。就任からの3年弱で海外売上高比率は7倍、外国人持株比率は2割未満から4割近くへ動いたが、買収路線の綻びが上海美特幕墻の1シンガポールドル売却やジョウユウの約660億円の損失として表に出たとき、引責して去ったのは藤森氏のほうであり、潮田氏は取締役会議長として残った。招いた側が監督に回り、招かれた側が結果の責めを負う形は、経営の座だけを譲るというこの人事の枠組みそのものに含まれていたのだろう。