吉野社長の急逝と、初の社外出身社長・杉本雅史の招聘
創業120年の同族企業は、急逝が空けた社長の座を、なぜ創業家でも生え抜きでもなく武田出身の外部人材に委ねたか
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- 概要
- 2018年に吉野俊昭社長が急逝し、創業家の山田邦雄氏が会長兼社長へ復帰したロート製薬が、2019年6月、武田薬品出身の杉本雅史氏を代表取締役社長に迎えた判断。杉本氏は同社初の社外出身社長にあたり、山田邦雄氏は代表権のある会長にとどまった。創業家が所有と象徴を担い、執行を外部のプロ経営者へ委ねる体制へ移した。
- 背景
- 1899年創業のロート製薬は山田家の同族経営を120年続け、外部資本に縛られない独立した判断で多角化を重ねてきた。非創業家ながら生え抜きの吉野俊昭氏が社長を務めていたが、2018年に心筋梗塞で急逝し、山田邦雄氏の会長兼社長復帰は緊急避難の色が濃かった。再生医療や食・農まで広げた事業を担う後継が課題として残っていた。
- 内容
- 2019年1月に杉本雅史氏を戦略アドバイザーとして招き入れ、6月の定時株主総会後に社長へ据えた。杉本氏は武田コンシューマーヘルスケアの社長を務めた人物で、生え抜きの吉野氏と異なり社外からの登用にあたる。会社は再生医療などの新規事業を事業として育て、グローバル戦略を強めるための起用と説明した。
- 含意
- 選択と集中が主流の製薬業界にあって、ロート製薬は事業の柱を増やす路線を外部のプロ経営者に託した。所有は山田家、執行は外部という分離は、同族企業が規模と多角化に見合う経営の規律をどこで備えるかという問いへの一つの答えであり、その定着は杉本体制のその後に委ねられた。
同族の設計と、その現代化
この承継の核心は、社長の急逝という偶発に対処したことよりも、創業120年の同族企業が、自らの独立性を保ったまま執行を外部へ開いた点にあるとみることができる。1949年の株式会社化で敷かれた、外部資本を抑える資本の設計は、他社の顔色をうかがわずに副業解禁や再生医療といった逆張りの多角化を可能にしてきた。その独立性は創業家がトップに座ることで担保されてきた面が大きい。吉野俊昭氏の急逝は、その前提を揺らすと同時に、所有は手放さずに執行だけを専門家へ委ねるという、次の形を試す契機になったとみられる。
山田邦雄氏が代表権のある会長として残り、武田出身の杉本雅史氏が社長として実務を預かる体制は、同族の求心力と外部の規律をひとつに束ねる試みといえる。選択と集中に逆らって事業の裾野を広げるほど、多角化した各事業を採算に乗せる規律が要る。創業家の独立性が生む挑戦の気風を薄めずに、総合ヘルスケアへ広げた事業の一つひとつを利益の出る形へ育てられるかどうかに、外部から迎えた経営者の力量が問われていく。同族企業が規模と多角化に見合う経営の規律をどこで身につけるのかという問いは、2019年の承継を経てなお開かれたままである。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
同族経営120年と、外部に縛られない独立性
ロート製薬は1899年に山田安民が信天堂山田安民薬房として創業し、山田家による同族経営を120年にわたって続けてきた。1949年の株式会社化にあたっては、創業者の系譜にあたる5兄弟へ株式を均等に配分して外部資本の比率を抑え、上場後も経営権が創業家の手を離れない資本の設計を敷いた。この独立性が、目薬やスキンケアから海外事業まで、他社の目を気にせず打ち手を選ぶ経営を支えてきた。同族の枠のなかでも、社長の座は必ずしも創業家に限られず、非創業家で生え抜きの吉野俊昭氏が経営を担っていた[1]。
その独立性は、雇用の慣行にも表れていた。2016年2月、ロート製薬は入社3年目以降の社員に業務時間外の副業を認める社外チャレンジワーク制度を始め、当時なお稀だった上場企業の副業解禁で先行例となった。経営側の方針ではなく社員の発案から始まった点に、外部資本の圧力から離れた判断の自由がうかがえる。もっとも、国内の大衆薬市場は成長が鈍り、主力の一角だったスキンケアの肌ラボにも頭打ちの兆しが見えていた。売上の拡大より利益率の確保が、次第に経営の優先課題になりつつあった[2]。
予期せぬ急逝と、承継の空白
トップの交代は予期せぬ形で訪れた。2018年、吉野俊昭社長が心筋梗塞により67歳で急逝し、創業家の山田邦雄氏が会長兼社長に復帰して混乱を抑えた。ただ、この復帰は緊急避難の色が濃く、恒久的な体制とは言い難かった。ロート製薬はこの時期までに、目薬や大衆薬にとどまらず、スキンケア、中国を中心とするアジア、さらに脂肪由来幹細胞を使う再生医療や食・農まで事業を広げていた。選択と集中が製薬業界の主流となるなかで、あえて事業の柱を増やす多角経営を担い、山田邦雄氏の後を引き受けられる後継を、どこに求めるかが問われていた[3]。
決断
武田出身の外部人材を、半年の助走を経て社長へ
2019年1月15日、ロート製薬は杉本雅史氏を戦略アドバイザーとして迎え入れた。杉本氏は武田薬品工業の出身で、同社の一般用医薬品子会社である武田コンシューマーヘルスケアの社長を2017年4月から2018年6月まで務めた人物であった。1984年に武田薬品へ入り、大衆薬の事業を長く歩んできた経歴を持つ。約半年の助走を置いたうえで、杉本氏は6月の定時株主総会後に代表取締役社長へ就いた。急逝で空いた座を創業家が一度は埋めたのち、外部の人材へ引き継ぐという二段構えの承継であった[4]。
杉本氏は、非創業家という点では吉野俊昭氏に続く社長にあたるが、生え抜きだった吉野氏と異なり、社外からの登用による初の社長となった。同族経営を120年続けた会社が、執行の最上位を初めて外部の人材へ開いた判断といえる。山田邦雄氏は代表権のある会長にとどまり、創業家として所有と象徴を担い続けた。ロート製薬は起用の理由を、ヘルスケアの事業をさらに進化させ、再生医療などの新規事業を研究段階から事業へと育て、グローバル戦略を強めるためと説明した。多角化した事業を回す実務を、大衆薬とグローバルに通じた外部人材へ託す狙いがうかがえる[5]。
「健康の総合企業」への進化という受け皿
就任にあたって杉本氏が掲げたのは、大衆薬の会社から「健康の総合企業」への進化であった。目薬やスキンケアで築いた基盤の上に、再生医療や食・農、機能性表示食品といった領域を重ね、人々の健康と幸福に寄与する事業の柱を増やす方針を示した。多くの製薬会社が採算の見込みにくい事業を切り離す選択と集中へ向かうなかで、ロート製薬はむしろ間口を広げる路線を継いだ。創業家が独立性を武器に広げてきた多角経営を、外部のプロ経営者が引き受けて前へ進める構図が、この承継の受け皿となっていた[6]。
結果
所有と執行の分離、利益率を重んじる運営へ
杉本体制の初年度となった2020年3月期は、連結売上高が1,883億円、営業利益が231億円、経常利益が227億円と、前期から増収増益で着地した。国内とアジアで販売促進費を抑え、営業利益率は3期連続で改善した。創業者一族の山田輝郎氏の時代から続いた、広告を一製品に集中してかける高投資のモデルを、成熟した国内市場に合わせて見直し、規模の拡大より利益率を重んじる運営へと切り替えていった。急逝がもたらした承継の空白は、創業家が所有と象徴を、外部のプロ経営者が日々の執行を担う分業のかたちで埋められた[7]。
分業の体制は、その後の多角化にも引き継がれた。杉本氏のもとでロート製薬はSDGsやD2Cへの取り組みを広げ、脂肪由来幹細胞を用いる再生医療の治験を進め、2025年には24年間販売してきたスキンケアの「オバジ」の国内商標権を取得して、育てた導入ブランドを自らの資産に組み入れた。創業家が独立性のもとで蒔いた多角化の種を、外部から迎えた経営者が事業として刈り取っていく流れが続いた。所有の一貫性と執行の専門性を組み合わせる体制は、同族企業の弱みとされがちな経営の属人性を薄める試みでもあった[8]。