三和ホールディングス の歴史

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創業 1956年
創業者 髙山萬司
創業地 兵庫県尼崎市
創業
1956年4月、髙山萬司氏が兵庫県尼崎市で資本金1百万円・社員数名の株式会社三和シヤッター製作所を設立した。戦後復興期の建材需要を見込み、商業ビルや工場・倉庫向けの鋼製シャッターを手がけている。1958年9月には業界に先がけてパーカライジングとコンベヤによる赤外線焼付塗装装置を完成させ、翌1959年10月には営業部門を分離して直営販売を全国へ広げた。1963年4月に三和工業所へ吸収合併される形で株式額面を50円に変え、商号を三和シヤッター工業と改めて本店を東京へ移す。同年9月に東京証券取引所市場第二部へ上場し、1970年7月には東京・大阪両取引所の第一部銘柄に指定された。
決断
自分で品種を増やすのではなく、出来上がった会社を取得して増やしてきた。1973年3月に雨戸の製造販売を始め、翌1974年3月には三和ドアー工業を吸収合併してドアへ参入し、同年8月にオーバーヘッドドアを加えて開口部の建材へ品種を広げた。1982年7月には24時間の緊急修理対応を始め、売り切りの商いへ保守の収入を重ねている。海外でも工場を建てるのではなく、1996年7月に約450の代理店網を持つ北米のOverhead Door Corporationを取得し、2003年10月には欧州のノボフェルムグループ9社を取得して三極を組んだ。国内でも1999年12月の田島順三製作所から2019年9月の鈴木シャッターまで、同業の取得を続けた。
現況
三極のうち利益を生んでいるのは日本と北米で、欧州にはほとんど残らない。2026年3月期の連結売上高は6,607億円、営業利益は790億円。地域別では日本が売上2,912億円・利益390億円、北米が2,417億円・377億円で、この2つで報告セグメント利益の97%を占める。欧州は売上1,149億円に対して利益21億円、利益率は1.9%にとどまり、アジアは売上127億円・利益1億円である。2007年10月に会社分割で純粋持株会社へ移行し、三極を並列で管理してきたが、首位の会社を取得した北米と2位の会社を取得した欧州との違いが、そのまま利益率の差として残っている。
競合
競争の焦点は製品そのものではなく、取り付けと修理を担う施工の網にある。1982年7月に始めた24時間の緊急修理対応と、全国に配置した3,800名規模の施工技術者が、製品を売って終わる商いへ保守の収入を足した。北米でも同じ形をとり、2011年1月にDoor Services Corporationを設立して自動ドアのサービス会社6社を取得、2023年1月のDoor Conceptsまで同種の取得を続けている。住宅設備を幅広く扱う米アメリカンスタンダードと独グローエを取得したのLIXILに対し、三和ホールディングスは2019年9月にそのLIXILからシャッター事業を引き取った。開口部という一つの分野に留まったことが、施工と保守まで自社で抱える採算を成り立たせている。
三和ホールディングス:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2002年3月期2026年3月期

創業ストーリー 尼崎の町工場からシャッター専業上場企業へ──資本市場に乗った戦後復興建材 (1956年〜)

シャッター専業メーカーとして資本金1百万円で出発した町工場

三和シヤッター工業の前身は1956年4月、兵庫県尼崎市で資本金1百万円・社員数名の町工場として創業した株式会社三和シヤッター製作所である。創業者・髙山萬司氏は戦後復興期の建材需要を見越し、商業ビルや工場・倉庫向けの鋼製シャッターを手がけた。1963年4月に株式会社三和工業所と吸収合併し、商号を三和シヤッター工業株式会社へ改称、本店を兵庫県尼崎市から東京都中央区へ移転した。形式上は『株式額面50円変更のための合併』[引用元]だったが、東京本店化は全国展開の体制整備という実質的な意味を持ち、戦後復興建材の主軸メーカーが地方町工場から首都圏拠点企業へ脱皮した節目だった。 [1][2][3][4]

  • 三和ホールディングス 有価証券報告書 第90期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]1956年4月 兵庫県尼崎市に株式会社三和シヤッター製作所を設立(資本金1百万円)
    • [3]1963年4月 株式会社三和工業所に吸収合併し三和シヤッター工業株式会社へ商号変更、本店を東京へ移転(株式額面50円変更のための合併)
    • [4]創業時の所在地は兵庫県尼崎市、商号は株式会社三和シヤッター製作所、本店移転先は東京都中央区
  • 三和シヤッター工業公式サイト
    • [2]創業者は髙山萬司

商号変更後わずか5か月の1963年9月、東京証券取引所市場第二部に上場、創業7年で資本市場へのアクセスを獲得した。1968年2月には大阪証券取引所市場第二部、1970年7月には東京・大阪両証券取引所市場第一部銘柄に指定された。創業から14年で一部上場まで駆け上がった速度は、1960年代の高度経済成長期における商業ビル・工場建設の急増という追い風を全身で受けた結果である。当時の主力商品は手動シャッター・電動シャッター・防火シャッターの3系列で、銀行・百貨店・倉庫の開口部需要を取り込んだ。 [5][6][7]

  • 三和ホールディングス 有価証券報告書 第90期(2025年3月期)【沿革】
    • [5]1963年9月 東京証券取引所市場第二部に上場
    • [6]1968年2月 大阪証券取引所市場第二部に上場
    • [7]1970年7月 東京・大阪両証券取引所市場第一部銘柄に指定

上場前夜の1960年前後の成長は急峻だった。1958年9月、業界に先がけてパーカライジングとコンベヤシステムによる赤外線焼付塗装装置を完成させ、塗装に関する業界の旧習を一新した。1959年10月には営業部門を分離して三和シヤッターを設立し直営販売を全国へ拡大、1961年5月には部品加工部門を独立させて三和商事株式会社を設立してコスト低減をはかった。工場も大阪・札幌・東京・九州、後には仙台・岐阜へと次々に新設し、全国の需要に応えた。1966年は創業10周年にあたり、4月に新大阪工場が完成、この10年間の成長は資本金300倍・売上高250倍・従業員数60倍という伸張だった。1967年には重量シャッター部門を増設して月産能力15万平方メートルに達し、直営120営業所の規模で年商50億円の壁を破った。1968年4月には本店を東京都板橋区の新社屋へ移している。 [8][9][10][11][12][13][14]

  • 『企業の歴史 : 明治百年』(経済春秋社編、1968年)「三和シャッター工業」の項
    • [8]1958年9月 パーカライジング及びコンベヤシステムによる赤外線焼付塗装装置を完成(昭和33年9月)
    • [9]1959年10月 営業部門を分離して三和シヤッターを設立し直営販売を全国拡大(昭和34年10月)
    • [10]1961年5月 部品加工部門を独立させ三和商事株式会社を設立(昭和36年5月)
    • [11]全国工場展開(1960大阪増設・札幌、1961東京、1962九州、1964仙台、1965岐阜)
    • [12]1967年 重量シャッター部門増設・月産能力15万平方メートル・直営120営業所・年商50億円突破(昭和42年)
    • [13]1968年4月 本店を東京都板橋区の新社屋へ移転(昭和43年4月)
    • [14]1966年 創業10周年・4月新大阪工場完成、10年間で資本金300倍・売上高250倍・従業員数60倍(昭和41年)
  • 三和ホールディングス 有価証券報告書 第90期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]1956年4月 兵庫県尼崎市に株式会社三和シヤッター製作所を設立(資本金1百万円)
    • [3]1963年4月 株式会社三和工業所に吸収合併し三和シヤッター工業株式会社へ商号変更、本店を東京へ移転(株式額面50円変更のための合併)
    • [4]創業時の所在地は兵庫県尼崎市、商号は株式会社三和シヤッター製作所、本店移転先は東京都中央区
    • [5]1963年9月 東京証券取引所市場第二部に上場
    • [6]1968年2月 大阪証券取引所市場第二部に上場
    • [7]1970年7月 東京・大阪両証券取引所市場第一部銘柄に指定
  • 三和シヤッター工業公式サイト
    • [2]創業者は髙山萬司
  • 『企業の歴史 : 明治百年』(経済春秋社編、1968年)「三和シャッター工業」の項
    • [8]1958年9月 パーカライジング及びコンベヤシステムによる赤外線焼付塗装装置を完成(昭和33年9月)
    • [9]1959年10月 営業部門を分離して三和シヤッターを設立し直営販売を全国拡大(昭和34年10月)
    • [10]1961年5月 部品加工部門を独立させ三和商事株式会社を設立(昭和36年5月)
    • [11]全国工場展開(1960大阪増設・札幌、1961東京、1962九州、1964仙台、1965岐阜)
    • [12]1967年 重量シャッター部門増設・月産能力15万平方メートル・直営120営業所・年商50億円突破(昭和42年)
    • [13]1968年4月 本店を東京都板橋区の新社屋へ移転(昭和43年4月)
    • [14]1966年 創業10周年・4月新大阪工場完成、10年間で資本金300倍・売上高250倍・従業員数60倍(昭和41年)

雨戸とドアによる「シャッター単品」からの脱皮

専業シャッターメーカーから建材総合メーカーへの転換は、1973年3月の雨戸製造販売開始と1974年3月の三和ドアー工業株式会社吸収合併に始まる。雨戸の参入は戸建住宅向けの建材市場への進出、ドア事業の取得は商業・工場向けスチールドア市場への参入で、創業18年目にして製品ポートフォリオを3倍化する戦略転換だった。さらに1974年8月にはオーバーヘッドドア(商業・産業用の上方収納式ドア、開口幅5〜15m級)の製造販売を開始、北米で普及していた商業用シャッターを国内に導入し、工場・物流倉庫の幅広開口部需要を取り込んだ。 [15][16][17]

  • 三和ホールディングス 有価証券報告書 第90期(2025年3月期)【沿革】
    • [15]1973年3月 雨戸の製造・販売を開始
    • [16]1974年3月 三和ドアー工業株式会社を吸収合併しドアの製造・販売を開始
    • [17]1974年8月 オーバーヘッドドアの製造・販売を開始(商業・産業用大型開口部向け)

1973〜1974年の戦略転換は、後の三和シヤッター工業の『シャッター+ドア+間仕切』3本柱体制と、1996年の米国Overhead Door Corporation取得への布石となった。1956年の創業から1974年までの18年間で、地方町工場から首都圏一部上場の建材メーカーへ、シャッター専業から建材複合メーカーへの2段階の脱皮を完了させた。同期間で、製品ポートフォリオは創業時のシャッター単品から、雨戸(戸建住宅向け)・スチールドア(商業向け)・オーバーヘッドドア(工場・物流倉庫向け)の4系列に拡張し、顧客セグメントも商業ビル・工場中心から戸建住宅まで広がった。後の海外展開(1986年シンガポール・香港子会社設立、1996年ODC買収)の前提となる、複数事業ラインの社内運営ノウハウは、この20年間に蓄積された。 [18][19][20]

  • 三和ホールディングス 有価証券報告書 第90期(2025年3月期)【沿革】
    • [18]1996年7月 米Overhead Door Corporationを買収(米国ODC取得)
    • [19]1986年8月 シンガポール子会社設立
    • [20]1956年創業から1974年まで18年・後の海外展開(1986年シンガポール/香港・1996年ODC)の年次
  • 三和ホールディングス 有価証券報告書 第90期(2025年3月期)【沿革】
    • [15]1973年3月 雨戸の製造・販売を開始
    • [16]1974年3月 三和ドアー工業株式会社を吸収合併しドアの製造・販売を開始
    • [17]1974年8月 オーバーヘッドドアの製造・販売を開始(商業・産業用大型開口部向け)
    • [18]1996年7月 米Overhead Door Corporationを買収(米国ODC取得)
    • [19]1986年8月 シンガポール子会社設立
    • [20]1956年創業から1974年まで18年・後の海外展開(1986年シンガポール/香港・1996年ODC)の年次

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三和ホールディングスの沿革1956〜2023年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1956〜1973年尼崎の町工場からシャッター専業上場企業へ──資本市場に乗った戦後復興建材三和シヤッター製作所を設立、シャッターの製作・販売を開始★★
三和工業所に吸収合併され商号を三和シヤッター工業に商号変更、本店を移転
東京証券取引所市場第二部に上場
大阪証券取引所市場第二部に上場
東京・大阪両証券取引所市場第一部銘柄に指定
雨戸の製造・販売を開始
1974〜2006年三本柱化と海外2大買収による三極体制の確立三和ドアー工業の吸収合併によるシャッター専業から建材総合メーカーへの転換

1973年3月の雨戸参入、1974年3月の三和ドアー工業吸収合併、1974年8月のオーバーヘッドドア発売により、三和シヤッター工業がシャッター一品の専業メーカーから、ドア・雨戸・エクステリアを併せ持つ建材メーカーへ移行した経営判断。

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★★★
オーバーヘッドドアの製造・販売を開始
バルコニー等エクステリア製品の製造・販売を開始
髙山俊隆24時間フルタイムサービス(FTS)を開始★★
髙山俊隆三和シヤッター有限公司を設立
髙山俊隆三和捲閘有限公司を設立
髙山俊隆安和金属工業股份有限公司を設立
髙山俊隆自動ドアの昭和建産に資本参加
髙山俊隆持株会社Sanwa USA Inc.を設立しOverhead Door Corporationを買収★★
髙山俊隆田島順三製作所の全株式を取得しステンレス製品の製造・販売を強化
髙山俊隆北米オーバーヘッドドアと欧州ノボフェルムの買収による日米欧三極体制の確立

1996年7月の北米Overhead Door Corporation取得と2003年10月の欧州Novofermグループ取得により、三和シヤッター工業が日本・北米・欧州の三極で事業を持つ体制を7年がかりで築いた経営判断。

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★★★
髙山俊隆ベニックスの全株式を取得し間仕切製品の製造・販売を強化
2007〜2025年持株会社化以降の三極統合とDOE方針への転換髙山俊隆会社分割による純粋持株会社・三和ホールディングスへの移行

2007年10月1日、三和シヤッター工業が吸収分割により国内3事業を新会社へ承継し、自らは事業を持たない純粋持株会社・三和ホールディングス株式会社となった経営判断。

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★★★
髙山俊隆スチールドア製造会社の林工業の株式を取得
髙山俊隆Overhead Door CorporationにおいてWayne Dalton Corporationのドア事業等を取得★★
髙山俊隆Automatic Door Enterprises他5社の自動ドア事業を取得★★
髙山俊隆監査役会設置会社から監査等委員会設置会社へ移行
髙山靖司三和スピンドル建材の株式を取得し間仕切事業を強化
髙山靖司Robust AB他4社の株式を取得し北欧・英国におけるヒンジドア事業を強化★★
髙山靖司LIXIL鈴木シャッター他2社の株式を取得し国内・アジアにおける事業基盤を強化★★
髙山靖司Won-Door Corporationの株式を取得
髙山靖司三和捲閘有限公司においてAUB Limitedの株式を取得
髙山靖司Door Control, Inc.・Door Concepts, Inc.の株式を取得
髙山靖司三和ファサード・ラボが三和タジマのファサード事業を吸収分割により継承
出典・参考
  • 三和ホールディングス 有価証券報告書 第90期(2025年3月期)【沿革】
  • 『企業の歴史 : 明治百年』(経済春秋社編、1968年)「三和シャッター工業」の項
  • 三和シヤッター工業公式サイト

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