公認会計士・佐藤英志氏の社長起用と持株会社制への移行

世界首位のソルダーレジストを持つ技術系企業が、なぜ非技術・非創業家の会計士を経営の頂点に据えたのか

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時期 2010年10月
意思決定者 佐藤英志・釜萢裕一(前社長)・取締役会 社長
論点 経営体制と多角化
概要
2010年10月に持株会社制へ移行して太陽インキ製造から太陽ホールディングスへ商号を変更し、2011年4月に技術系でも創業家でもない公認会計士の佐藤英志氏を代表取締役社長・グループ最高経営責任者に据えた経営体制の転換。
背景
1984年の現像型ソルダーレジストインキと1993年の基本特許でプリント配線板用ソルダーレジストの世界首位が定着し、経営の課題が開発から財務規律・M&A・株主還元・グループ統括へと移っていた。海外売上高比率は約8割に達していた。
内容
上場する親会社を経営戦略・財務・研究開発を統括する持株会社とし、国内のソルダーレジスト事業は事業会社へ切り出す2階建て構造へ再編。技術と製造は研究開発系の役員に委ね、財務出身の佐藤氏が社長として資本配分とM&Aを直接握る体制へ改めた。
含意
以後15年、佐藤社長のもとで再生可能エネルギー・化学品・医薬品・システム開発・歯科への多角化が加速し、連結売上高は1,000億円を超えた。一方でこの体制は、2025年以降の非上場化を巡る株主との攻防の遠因ともなった。
筆者の見解

技術の首位を、誰の規律のもとで生かすか

この経営判断の核心は、技術で首位に立った会社が、次の価値の源泉を研究室ではなく資本配分とグループ経営に見いだそうとした点にあるとみることができる。技術者でも創業家でもない会計士を頂点に据え、持株会社という器を同時に用意したのは、開発が一巡した段階で経営の比重を財務とM&Aへ移すための設計であった。ひとつの成功が定着したのちに、あえて経営の担い手の性格を入れ替えた選択には、独特の思い切りがうかがえる。

もっとも、その設計は15年を経て別の問いを呼び込むことになる。佐藤社長が進めた多角化、とりわけ医薬品への投資は、資本効率の観点から一部の株主に問われ、2025年には取締役の再任案が総会で否決される事態に至った。会社は非公開化の提案を受け入れる方向へと進んでいる。2010年から2011年にかけて据えられた財務主導の経営体制が、やがて当の株主から吟味される側に回った経緯は、稿を改めて辿るべき主題であろう。世界首位の技術を誰の規律のもとで生かすかという問いは、なお開かれている。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

ソルダーレジストで世界首位を築くまで

太陽インキ製造は、1953年9月に設立者の川原廣眞氏が東京都港区で印刷用インキの製造販売を目的に興した中堅インキメーカーであった。転機は1970年で、印刷用インキで培った樹脂・顔料・分散の技術をプリント配線板用の部材へ振り向け、1973年にエポキシ樹脂系熱硬化型、1984年に微細パターンを描ける現像型のソルダーレジストインキを自社開発した。半田の要らない部分を覆う保護膜という新しい用途に技術を充て、印刷会社を電子材料メーカーへと組み替えていった[1][2]

1993年11月にはアルカリ現像型ソルダーレジストインキの基本特許が日本で成立し、プリント配線板用ソルダーレジストで世界首位に立つ技術的な根拠が固まった。この間、同社は顧客である電子機器メーカーのアジア生産シフトに同期して韓国・米国・台湾・中国へ製造販売の拠点を広げ、2001年には蘇州に中国拠点を設けた。2011年3月期の海外売上高比率は約8割に達し、専業メーカーは世界へ部材を供給するグループへと姿を変えていた[3][4]

開発から財務・グループ統括へ移った経営課題

技術の優位が定着すると、経営が向き合う課題は開発そのものから移っていった。世界に広がった子会社群をどう統べ、稼いだ資金をどこへ配分し、M&Aと株主還元をどう設計するか——首位を守る段階では、こうした財務とグループ統括の比重が増していく。会社は2011年3月期に連結売上高480億円・連結営業利益77億円という数値目標を掲げ、規模と利益率を管理指標として経営を運んでいた[5]

それまでの舵取りは、技術畑を歩んだ経営者が担ってきた。2004年に社長へ就いた釜萢裕一氏は、開発部長・技術開発本部長を経てグローバル展開を統括してきた技術系のトップであった。次の成長に向けて経営陣に迎えられたのが、公認会計士の佐藤英志氏である。佐藤氏は2008年6月に取締役として同社の経営に加わり、2009年10月にはグループ最高財務責任者として財務の中枢を任されていた[6][7]

決断

持株会社制への移行(2010年10月)

2010年6月の定時株主総会は、会社分割による持株会社制への移行を承認した。同年10月1日、太陽インキ製造は国内事業の権利義務を子会社の日本太陽株式会社へ吸収分割で承継させ、自らは持株会社となって商号を太陽ホールディングス株式会社へ改めた。権利義務を受けた日本太陽は、社名を太陽インキ製造株式会社へ変更している。上場する親会社が経営戦略・財務・研究開発を統括し、事業会社が国内のソルダーレジスト事業を運営する2階建ての構造へと再編された[8]

この構造は、グループ全体の統治と個々の事業運営とを組織のうえで切り分ける狙いを持っていた。国内のソルダーレジスト事業を担う事業会社の太陽インキ製造は柿沼正久氏が社長を務め、技術と製造の現場は研究開発畑の役員に委ねられた。技術系の前社長であった釜萢氏も2011年4月に取締役会長へ退き、研究本部を担当する形で開発を後見した。持株会社の頂点には、日々の事業運営とは別に、資本配分とグループ経営を託せる人物が求められていた[9]

会計士・佐藤英志氏の社長起用

佐藤英志氏は、1992年に監査法人トーマツへ入所した公認会計士で、1995年に会計士事務所を、1999年には経営コンサルティングのエスネットワークスを設立し、財務と経営戦略を専門としてきた。太陽の技術を担ってきた歴代の経営者とも、1953年に会社を興した川原家とも、経歴を異にする人物であった。持株会社への移行に先立つ2010年4月、佐藤氏は代表取締役副社長に就き、経営戦略と営業統括を担っていた[10]

社長の交代は、持株会社移行のおよそ半年後に区切りを迎える。2011年4月、佐藤氏は代表取締役社長・グループ最高経営責任者へ就き、釜萢氏は会長へ回った。世界首位のソルダーレジストを持つ技術系企業が、技術者でも創業家でもない財務出身者を経営の頂点に据えたことになる。開発の現場を研究開発系の役員に委ね、財務規律とM&Aを社長が直接握る——2010年から2011年にかけての一連の再編は、この一点に向けて組まれていたとみることができる[11]

結果

15年に及んだ多角化とM&A

新しい体制のもとで、M&Aと新規事業への投資が続いた。2014年に自然エネルギー発電の太陽グリーンエナジーを設立し、2015年に染料・薬品の中外化成(現・太陽ファインケミカル)を子会社化、2017年には印刷インキ大手のDICと資本業務提携を結んだ。同じ2017年に医療用医薬品の太陽ファルマを設立し、2019年には製造受託の太陽ファルマテックを子会社化して、電子材料に偏っていた事業構成へ医薬品という新たな柱を加えていった[12]

多角化は、システム開発や歯科技工の分野へも及んだ。連結売上高は持株会社へ移った2011年3月期の404億円から拡大を続け、2025年3月期には初めて1,000億円を超えて1,190億円に達した。ソルダーレジストを核とする電子材料が収益の柱であり続けた一方で、再生可能エネルギー・機能性化学品・医薬品・システム開発・歯科が事業構成に組み込まれ、電子材料一辺倒だった会社は多面的なポートフォリオへと姿を変えた[13]

出典・参考
  • 太陽ホールディングス 有価証券報告書 第65期(2011年3月期)【沿革】
  • 太陽ホールディングス 有価証券報告書 第65期(2011年3月期)【役員の状況】
  • 太陽ホールディングス 有価証券報告書(2011年3月期・連結)
  • 太陽ホールディングス 有価証券報告書 第79期(2025年3月期)【沿革】
  • 太陽ホールディングス 有価証券報告書(2025年3月期・連結)