1962年〜 創業家四兄弟と郊外型ファミリーレストランの草分け
- 1962年 ことぶき食品を設立
- 1969年 ことぶき食品が、ことぶき食品に組織変更
- 1970年 食料品店からの業態転換とファミリーレストラン「すかいらーく」第1号店の開業 団地前の食料品店を、四兄弟はなぜ未知の外食チェーンへ作り替えたか
- 1974年 ことぶき食品が、すかいらーくに商号変更
- 1977年 旧すかいらーく②が、旧すかいらーく①を吸収合併
- 1977年 セントラルキッチン東松山工場を新設
- 1978年 すかいらーく株式が、日本証券業協会に店頭登録銘柄として登録
ひばりが丘の食料品店「ことぶき食品」からの出発
すかいらーくの原点は、1962年4月に東京都北多摩郡保谷町(現西東京市)で開いた食料品店「ことぶき食品有限会社」である。長野県諏訪の横川家に育った横川端氏、茅野亮氏、横川竟氏、横川紀夫氏の四兄弟が、日本住宅公団のひばりが丘団地前に小さな店を構えた。三男の横川竟氏が早朝に築地市場へ仕入れに走り、干物や塩鮭、佃煮などを兄弟で店頭に並べる家族経営の商いだった。資本金200万円の有限会社が、後に外食産業を代表する企業へ育つ出発点となった。団地に暮らす主婦客をつかんだ食料品店は繁盛し、四兄弟はチェーン展開への足がかりをここで得た。 [1][2][3]
- 有価証券報告書
- [1]1962年4月にことぶき食品有限会社を設立した
- [2]横川端・茅野亮・横川竟・横川紀夫の四兄弟が創業した(長兄・端、次男・亮=茅野家へ、三男・竟、四男・紀夫)
- [3]開業地は東京都北多摩郡保谷町(現西東京市)のひばりが丘団地だった
もっとも小売業としての先行きは長く安泰ではなかった。1960年代後半に大型スーパーマーケットが台頭すると、生鮮食品を売る個人商店は価格競争の波にさらされ、食料品店だけで成長を続ける展望は描きにくくなった。四兄弟は米国で普及が進んでいたチェーンレストランに次の活路を求め、外食への転身を決断する。1969年7月にことぶき食品を有限会社から株式会社へ改組し、多店舗展開に耐える組織へと器を作り替えた。小売から外食への転換が、すかいらーく誕生の助走となった。 [4]
- 有価証券報告書
- [4]1969年7月に株式会社ことぶき食品へ組織変更した
- 有価証券報告書
- [1]1962年4月にことぶき食品有限会社を設立した
- [4]1969年7月に株式会社ことぶき食品へ組織変更した
- [2]横川端・茅野亮・横川竟・横川紀夫の四兄弟が創業した(長兄・端、次男・亮=茅野家へ、三男・竟、四男・紀夫)
- [3]開業地は東京都北多摩郡保谷町(現西東京市)のひばりが丘団地だった
1970年「すかいらーく」一号店と郊外型チェーンの確立
1970年7月、株式会社ことぶき食品は東京都府中市にファミリーレストラン「すかいらーく」第一号店を出した。広い駐車場を備え、家族連れが自家用車で訪れる郊外立地という業態は、当時の日本ではまだ目新しい試みだった。折からのモータリゼーションの進展と核家族化を追い風に、店舗数を急速に伸ばした。米国型のチェーンオペレーションを取り入れ、標準化した店づくりで多店舗展開の速度を上げた。1974年11月には商号を株式会社すかいらーくへ改め、社名を看板ブランドに一致させ、外食企業としての立場を明確にした。 [5][6]
- 有価証券報告書
- [5]1970年7月に東京都府中市にファミリーレストラン「すかいらーく」第一号店を出店した
- [6]1974年11月に株式会社すかいらーくへ商号変更した
すかいらーくは、ファミリーレストランという業態を一つの産業として成立させた草分けの存在となった。1977年には埼玉県東松山市にセントラルキッチンを設けて調理を集中化し、各店舗へ半製品を配送する供給体制を築いて多店舗展開を支えた。資金調達の面でも歩みを速め、1978年7月に株式を日本証券業協会へ店頭登録したのち、1982年8月に東京証券取引所市場第二部へ株式を上場する。さらに1984年6月には第一部へ指定替えとなった。創業から20年あまりで、保谷の食料品店は東証一部に名を連ねる企業へと成長した。 [7][8]
- 有価証券報告書
- [7]1977年に埼玉県東松山市にセントラルキッチンを開設した
- [8]1978年7月に店頭登録し、1982年8月に東証二部へ上場、1984年6月に一部へ指定替えとなった
- 有価証券報告書
- [5]1970年7月に東京都府中市にファミリーレストラン「すかいらーく」第一号店を出店した
- [6]1974年11月に株式会社すかいらーくへ商号変更した
- [7]1977年に埼玉県東松山市にセントラルキッチンを開設した
- [8]1978年7月に店頭登録し、1982年8月に東証二部へ上場、1984年6月に一部へ指定替えとなった
多業態化の始動と「食のコングロマリット」構想
単一ブランドに頼る危うさを早くから意識したすかいらーくは、1980年前後から業態の多角化を始めた。1979年に設立した子会社を母体にファミリーレストラン「ジョナサン」を、1985年には和食の「藍屋」を、1987年には中華の「バーミヤン」を相次いで立ち上げる。客単価や料理ジャンルの異なる複数チェーンを一つのグループで束ねる「食のコングロマリット」の構想が、この時期に骨格を得た。一部の子会社は個別に株式を店頭登録し、グループとして多層的な上場構造を持つ時期もあった。それぞれのブランドが別々の客層を受け持つ設計が、後の経営を支える資産となった。 [9]
- 有価証券報告書
- [9]ジョナサン・藍屋・バーミヤンを子会社として立ち上げた
業態開発を、経営陣は「十打数一安打」と呼んだ。とにかく出店して来店客の反応を見なければ何も分からない、失敗を恐れていては新しい業態は生まれないという考え方である。焼き肉レストランやフライドチキン、地中海料理など試みの多くは短命に終わって撤退し、消えた業態は数えきれない。一つの業態開発には15億円ほどを投じたが、十のうち一つでも年商1,000億円級に育てば十分に引き合うという発想で挑み続けた。この試行錯誤の蓄積こそが、後年の思い切った業態転換を可能にする経験値となった。 [10][11]
- 日経ビジネス 1994年9月26日号
- [10]経営陣は業態開発の考え方を「十打数一安打」と表現した
- [11]一つの業態開発に約15億円を投じ、年商1,000億円級に育てば引き合うと考えていた
- 有価証券報告書
- [9]ジョナサン・藍屋・バーミヤンを子会社として立ち上げた
- 日経ビジネス 1994年9月26日号
- [10]経営陣は業態開発の考え方を「十打数一安打」と表現した
- [11]一つの業態開発に約15億円を投じ、年商1,000億円級に育てば引き合うと考えていた