創業地東京都保谷町(現西東京市)
創業年1962
上場年2014
創業者横川端、茅野亮、横川竟、横川紀夫

新市場の前夜・市場創造連合・共同出資職人・家業・小売からの出発1962年、高度成長期の日本で、横川端氏ら四兄弟が東京・保谷のひばりが丘団地前で食料品店ことぶき食品を開いた。大型スーパーの台頭で小売の先行きに限界を見た四兄弟は、米国型チェーンレストランを目指し、1970年に府中市で郊外型ファミリーレストラン「すかいらーく」一号店を出す。広い駐車場と標準化した店づくりで車社会の外食需要をつかみ、ファミリーレストランを日本の一産業として成立させた。1992年に始めた客単価七六〇円のガストへの転換に象徴される、危機のたびに看板業態を作り替える創造と破壊が、すかいらーくのDNAである。

歴史詳細 - 4つの時代区分で読み解く

1962年〜1986年 創業家四兄弟と郊外型ファミリーレストランの草分け

ひばりが丘の食料品店「ことぶき食品」からの出発

すかいらーくの原点は、1962年4月に東京都北多摩郡保谷町(現西東京市)で開いた食料品店「ことぶき食品有限会社」である[1]。長野県諏訪の横川家に育った横川端氏、茅野亮氏、横川竟氏、横川紀夫氏の四兄弟が、日本住宅公団のひばりが丘団地前に小さな店を構えた[2][3]。三男の横川竟氏が早朝に築地市場へ仕入れに走り、干物や塩鮭、佃煮などを兄弟で店頭に並べる家族経営の商いだった。資本金二百万円の有限会社が、後に外食産業を代表する企業へ育つ出発点となった。団地に暮らす主婦客をつかんだ食料品店は繁盛し、四兄弟はチェーン展開への足がかりをここで得た。

もっとも小売業としての先行きは長く安泰ではなかった。1960年代後半に大型スーパーマーケットが台頭すると、生鮮食品を売る個人商店は価格競争の波にさらされ、食料品店だけで成長を続ける展望は描きにくくなった。四兄弟は米国で普及が進んでいたチェーンレストランに次の活路を求め、外食への転身を決断する。1969年7月にことぶき食品を有限会社から株式会社へ改組し、多店舗展開に耐える組織へと器を作り替えた[4]。小売から外食への転換が、すかいらーく誕生の助走となった。

1970年「すかいらーく」一号店と郊外型チェーンの確立

1970年7月、株式会社ことぶき食品は東京都府中市にファミリーレストラン「すかいらーく」第一号店を出した[5]。広い駐車場を備え、家族連れが自家用車で訪れる郊外立地という業態は、当時の日本ではまだ目新しい試みだった。折からのモータリゼーションの進展と核家族化を追い風に、店舗数を急速に伸ばしていく。米国型のチェーンオペレーションを取り入れ、標準化した店づくりで多店舗展開の速度を上げた。1974年11月には商号を株式会社すかいらーくへ改め、社名を看板ブランドに一致させ、外食企業としての立場を明確にした[6]

すかいらーくは、ファミリーレストランという業態を一つの産業として成立させた草分けの存在となった。1977年には埼玉県東松山市にセントラルキッチンを設けて調理を集中化し、各店舗へ半製品を配送する供給体制を築いて多店舗展開を支えた[7]。資金調達の面でも歩みを速め、1978年7月に株式を日本証券業協会へ店頭登録したのち、1982年8月に東京証券取引所市場第二部へ株式を上場する。さらに1984年6月には第一部へ指定替えとなった[8]。創業から二十年あまりで、保谷の食料品店は東証一部に名を連ねる企業へと成長した。

多業態化の始動と「食のコングロマリット」構想

単一ブランドに頼る危うさを早くから意識したすかいらーくは、1980年前後から業態の多角化を始めた。1979年に設立した子会社を母体にファミリーレストラン「ジョナサン」を、1985年には和食の「藍屋」を、1987年には中華の「バーミヤン」を相次いで立ち上げる[9]。客単価や料理ジャンルの異なる複数チェーンを一つのグループで束ねる「食のコングロマリット」の構想が、この時期に骨格を得た。一部の子会社は個別に株式を店頭登録し、グループとして多層的な上場構造を持つ時期もあった。それぞれのブランドが別々の客層を受け持つ設計が、後の経営を支える資産となった。

業態開発を、経営陣は「十打数一安打」と呼んだ[10]。とにかく出店して来店客の反応を見なければ何も分からない、失敗を恐れていては新しい業態は生まれないという考え方である。焼き肉レストランやフライドチキン、地中海料理など試みの多くは短命に終わって撤退し、消えた業態は数えきれない。一つの業態開発には十五億円ほどを投じたが、十のうち一つでも年商千億円級に育てば十分に引き合うという発想で挑み続けた[11]。この試行錯誤の蓄積こそが、後年の思い切った業態転換を可能にする経験値となった。

1987年〜2005年 バブル崩壊とガスト革命による低価格への大転換

二期連続の経常減益と看板業態の疲労

1980年代後半のバブル景気に沸いた外食市場は、崩壊とともに一変した。デフレ経済に突入すると消費者の財布のひもは固くなり、すかいらーくは1992年12月期と1993年12月期に二期連続の経常減益に陥る[12]。看板であるファミリーレストランそのものの老朽化に直面し、既存店の客数は前年を割り込んだ。当時の茅野亮社長は「会社の寿命は三十年と言われるように、二十五年目を迎えてすかいらーくも疲労してきた」と語り[13]、離れた客を取り戻すには店舗デザインから商品までを一新する必要があると危機感を強めた。

危機の背景には、店舗網そのものの重さもあった。すかいらーくは1986年から三年をかけて約三百店の改装に百億円を投じたが、バブル期の好業績に助けられて業態の根本的な見直しは後手に回っていた[14]。家賃の高い立地に大型店を構える従来型の構造は、低成長時代には重い固定費としてのしかかる。茅野社長は米国で価格破壊を起こしたウォルマートの成功を目の当たりにし、日本でも機能に徹した日常的な外食に大きな需要があるはずだと確信を深めていく。値上げではなく値下げで客を取り戻すという逆張りの発想が、次の一手を用意した。

客単価七六〇円「ガスト」への大転換

打開策となったのが、1992年3月に一号店を出した低価格業態「ガスト」だった[15]。不採算のすかいらーく店を対象にメニュー数を三分の一に絞り込み、客単価を約三百円下げて七六〇円とする[16]。来店客をテーブルへ案内せず注文と配膳だけに接客を絞るセルフサービスを取り入れて人件費を抑え、家賃の高い立地からは撤退するローコスト経営を徹底した。転換した店の客数は1994年上半期に前年比一七〇%に達し[17]、他の外食チェーンが軒並み低価格業態へ追随する「ガスト効果」まで生み出した。

ガストの成功を確信した経営陣は、1994年8月にファミリーレストラン「すかいらーく」全店をガストなどへ転換すると発表し、1996年中に原点ブランドの看板をすべて外す方針を打ち出した。「すかいらーくの使命は終わりました」という茅野社長の一言は、外食業界に衝撃を与える[19]。古い衣を脱ぎ捨てて時代に合わせて着替えるという発想である。改革は実り、二期連続の経常減益から1994年12月期は一気に経常増益へ転じた[18]。看板を捨ててでも収益体質を作り替える決断が、危機の底からの反攻を支えた。

「食のコングロマリット」の到達点と主力の交代

ガストへの転換と並行して、すかいらーくは客単価帯ごとに業態を配置するグループ戦略を磨いた。1994年9月には、客単価千円前後でイタリア料理を中心に据えたカジュアルレストラン「スカイラークガーデンズ」を武蔵野西久保に投入する[20]。実験店が結果を出す前に全店転換を発表する見切り発車ではあったが、機能一辺倒のガストとは異なる、味とサービスにこだわる中価格帯の需要を取りに行く布石だった。低価格のガストと中価格のガーデンズを二本柱に据える構想が、この時期に固まっていく。

1993年12月期のグループ売上高は二千億円を超え、コーヒーショップのジョナサン、和食の藍屋や夢庵、中華のバーミヤンといった複数チェーンがグループの幹となっていた[21]。かつて八百店規模を数えたファミリーレストラン「すかいらーく」は、低価格のガストへ役割を譲りながら看板を減らしていく。予告どおり、原点ブランドの店舗は2000年代半ばにかけて姿を消し、グループの主力はガストへと完全に移った。多業態を束ねる「食のコングロマリット」は、危機を経てなお成長を続ける外食企業の骨格として定着した。

2006年〜2014年 創業家によるMBOとファンド傘下での出直し

売上高と利益率の推移:歴代経営トップの業績貢献
売上高(億円)
※経営トップ=有価証券報告書の提出書類における代表者(社長・CEO・会長など)

国内最大級のMBOによる非上場化

2006年、すかいらーくは創業家と投資ファンドが組む経営陣による買収(MBO)を選んだ。SNCインベストメントによる公開買付けを同年7月に実施し、9月に東京証券取引所市場第一部の上場を廃止する[22]。総額二千七百億円を超えるこの買収は当時の国内最大級で、四半期ごとの株価や短期業績の圧力から離れ、腰を据えて構造改革を進める狙いがあった。買収の主体には野村プリンシパル・ファイナンスと欧州系のCVCキャピタル・パートナーズが名を連ねた[23]。株式交換を経て、すかいらーくはSNCインベストメントの完全子会社となる。

非上場化にあたっては、資本の構成も組み替えられた。2007年7月、SNCインベストメントは同社を存続会社としてすかいらーくと合併し、同日に商号を株式会社すかいらーくへ改める[24]。上場企業として四半世紀を歩んだ会社は、いったん株式市場から退いてファンド主導の再建に身を委ねた。バブル崩壊とガスト転換を乗り切ったとはいえ、大型店中心の店舗構造や膨らんだ有利子負債など、上場のままでは着手しにくい課題が積み残されていた。MBOは、その重い課題に外部資本の規律で向き合うための選択だった。

大株主との対立と創業家経営からの離脱

非上場化の後も、業績はすぐには上向かなかった。景気後退が外食需要を冷やすなか、再建の速度をめぐって創業家とファンドの間に溝が生まれる。2008年、大株主となった野村プリンシパル・ファイナンスとCVCは、業績不振を理由に横川竟社長の退任を求めた。創業家出身の社長が事実上その座を追われ、社内出身の取締役だった谷真氏が新社長に引き上げられる[25]。ことぶき食品以来つづいた創業家による経営から、ファンド主導の経営へと舵が切られた転機だった。

谷真社長のもとで、すかいらーくは商品と店舗の両面で立て直しに取り組んだ。象徴となったのが原点ブランドの整理である。ファミリーレストラン「すかいらーく」は2009年10月に完全閉店し、店舗はガストなどへ集約されて看板の統一が完了した[26]。低価格のガストを収益の軸に据え、不採算店の閉鎖とコスト構造の見直しを進めることで、ファンドが求める利益水準への回復を目指す。創業の名を冠した業態を手放してでも収益力を優先する判断は、株式市場への復帰に向けた地ならしでもあった。

ベインキャピタル傘下と八年ぶりの再上場

2011年、米投資ファンドのベインキャピタルが野村側からすかいらーく株を取得し、新たな親会社となった[27]。谷真社長とベインは、ガストを軸にした収益構造の立て直しと、需要に見合う出店戦略の再構築を進める。店舗ポートフォリオの入れ替えとメニュー政策の見直しで収益力を高め、株式市場への復帰に向けた体力を蓄えた。持株会社の合併と商号整理を重ねながら、上場に耐える資本構成へと段階的に組み替えていった。

そして2014年10月、すかいらーくは東京証券取引所市場第一部へ株式を再上場した[28]。2006年の上場廃止からおよそ八年一カ月ぶりの株式市場復帰であり、ファンド傘下での出直しが一区切りを迎える。再上場時の時価総額は二千二百億円あまりで、MBO時に投じた二千七百億円規模には届かなかった[29]ものの、非上場下での構造改革の成果を市場に問う機会となった。創業家の手を離れ、外部資本の規律のもとで収益体質を鍛え直した会社が、公開市場に戻ってきた。

2015年〜2025年 持株会社体制への移行とコロナ禍を越えた再成長

売上高と利益率の推移:歴代経営トップの業績貢献
売上高(億円)
※経営トップ=有価証券報告書の提出書類における代表者(社長・CEO・会長など)

持株会社体制とすかいらーくホールディングスの成立

再上場後のすかいらーくは、事業会社と統括会社を分ける体制づくりに動いた。2015年9月に事業会社の株式会社すかいらーくレストランツを設立し、2016年1月に持株会社体制へ移行する。2018年7月には持株会社の商号を株式会社すかいらーくホールディングスへ改め、現在の企業グループの形が整った[30]。グループ経営の司令塔と現場の店舗運営を役割で切り分けることで、多様な業態を機動的に運営する土台を築いた狙いがある。

持株会社の傘下では、最大業態のガストを軸に、ファミリーレストランのジョナサン、中華のバーミヤン、和食の夢庵、しゃぶしゃぶの「しゃぶ葉」など多彩なチェーンが束ねられた。客単価と料理ジャンルを分けた業態群で幅広い需要を受け止める設計は、創業以来の「食のコングロマリット」の考え方をそのまま引き継ぐものである。2022年4月には東京証券取引所の市場区分見直しにより、第一部からプライム市場へ移行した[31]。ファンド主導で鍛えた収益体質と多業態の厚みを土台に、上場企業としての再成長の段階へ入っていく。

コロナ禍の試練と収益構造の立て直し

再成長への歩みは、2020年からの新型コロナウイルス禍で大きく揺さぶられた。連結売上高は2019年12月期の三七五四億円から、2020年12月期には二八八四億円へ落ち込み、一七二億円の純損失を計上する。外出自粛と営業時間の短縮が客足を直撃し、外食産業全体が未曽有の逆風にさらされた。すかいらーくは不採算店の閉鎖で店舗網を身軽にし、深夜営業の見直しなどで固定費を圧縮するとともに、感染防止と省人化を両立させる店舗運営の改革に取り組んだ。

危機のたびに店舗と業態を作り替えてきた創業以来の体質は、この難局でも発揮された。すかいらーくはデリバリーやテイクアウトを強化して来店に頼らない売上を積み増すとともに、猫型の配膳ロボットを国内のほぼ全店へ大量導入し、配膳や下げ膳の作業を機械に肩代わりさせて人手不足と接触機会の削減に対応した[32]。メニューの絞り込みと価格の見直し、原材料の高騰を映した段階的な値上げも進める。ガストへの業態転換で示したローコスト経営の発想を、デジタル技術と組み合わせて磨き直した時期だった。

国内外への再拡大と過去最高業績の更新

コロナ禍から立ち直る過程で、すかいらーくは成長投資を再開した。海外では2018年に設立した米国シカゴやマレーシア・クアラルンプールの現地法人を通じて「しゃぶ葉」などを展開し、2020年にマレーシア、2021年に米国でしゃぶ葉の一号店を開く[33]。国内では2024年10月、北九州発祥のうどん・丼チェーンを運営する株式会社資さんを子会社化し、既存の業態群に新たな柱を加えた[34]。ガストで培った多店舗運営の力を、国境と業態の両方へ広げる戦略である。

こうした攻めの投資と価格政策が実を結び、業績は最高水準へ戻った。2024年12月期の連結売上高は四〇一一億円と初めて四千億円を超え、2025年12月期には四五七八億円と過去最高を更新する。純利益も2025年12月期に一六七億円まで回復した。長野の四兄弟が開いた食料品店に始まり、ファミリーレストランという産業を切り開いたすかいらーくは、危機のたびに業態を作り替える経営で外食産業の主力企業の座を保っている。創業以来つらぬく創造と破壊をいとわない経営が、いまも成長の原動力となっている。