山口恒則
四国電力・元取締役社長
(敬称略) 生年月日 1908年1月1日
学歴 京都帝国大学法学部
出自 —
- 出自
- 1908年に愛媛県で生まれ、1933年に京都帝国大学法学部を卒業した。同年に川崎合資へ入社し、1936年4月に伊予鉄道電気へ移り、勤務先は1942年に四国配電へ承継された。1951年の四国電力発足後は労務部次長、1952年総務部次長、1955年労務部長と労務畑を歩き、1960年に支配人となった。1961年11月に取締役、1962年に総合企画室長、1964年11月に常務取締役、1966年11月に取締役副社長へ進んだ。
- 抜擢
- 1974年5月、大内三郎氏の後任として取締役社長に就任した。大内氏は取締役会長へ退き、山口氏は副社長を7年半務めたのちの昇格である。前年の1973年10月に第一次石油危機が起き、原油価格が約1年で約4倍となって、重油に偏った電源構成が燃料費の急増をもたらしていた。労務部長から総合企画室長を経た管理畑の登用で、技術部門を歩かない社長が中川以良氏以来3代続いた。
- 施策
- 在任中に原子力が動き出した。1977年9月、伊方発電所1号機が営業運転を始め、四国電力で最初の原子力電源となった。建設地点は前任期の1970年9月に伊方町へ決まっており、着工から運転開始までを社長として引き継いでいる。1979年6月には科学技術庁から迎えた田中好雄氏を原子力本部長のまま取締役副社長に据え、原子力を担う体制を役員段階で固めた。1980年6月に取締役会長へ退いた。
- 評価
- 執筆予定
就任前(FY73)883億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献経歴・学歴・出身地の裏づけに当たった資料
- 日本企業要覧 1964年版 経歴・学歴・出身地・生年・出自
- 日本企業要覧 1974年版 経歴
- 日本企業要覧 1980年版 経歴
- 日本企業要覧 1981年版 経歴・学歴・出身地・生年