三菱商事と共同出資会社設立(1989年・三菱樹脂の決断)

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三菱樹脂:業績の推移
売上高(億円)経常利益率(%)
光学式ビデオディスク事業への24億円投資と、新領域への足がかり主力の塩ビパイプが年率2%の成長にとどまるなか、三菱樹脂が1989年度の設備投資100億円のうち24億円を光学式ビデオディスク(LD)事業へ振り向け、三菱商事との共同出資で1990年2月をめどに生産・販売会社を設立すると決めた投資。三桁の設備投資は創業以来初であった。

何をなぜ決めたか:光学式ビデオディスク事業への24億円投資と、新領域への足がかり

概要

主力の塩ビパイプが年率2%の成長にとどまるなか、三菱樹脂が1989年度の設備投資100億円のうち24億円を光学式ビデオディスク(LD)事業へ振り向け、三菱商事との共同出資で1990年2月をめどに生産・販売会社を設立すると決めた投資。三桁の設備投資は創業以来初であった。

背景

1982年、三菱総合研究所など外部スタッフも交えた新商品探索プロジェクトチームを組み、1年かけて電子関連事業、なかでもメモリーメディアを進出分野に絞った。1985年に始めたICカードは1989年3月期に約100億円を売ったものの、原価の約6割を占めるICを外部から買い、代理店に納入するだけの立場に置かれて利幅が限られていた。

内容

1989年度に減価償却費の2倍近い100億円の設備投資を計画し、うち24億円をLDへ充てた。三菱商事との共同出資会社で月産10万枚を30万枚へ引き上げ、総額30億円のうち24億円を三菱樹脂が負担する。原資は5年間で510億円を調達した転換社債・ワラント債で、1989年3月期に金融収支が初めて黒字となり、自己資本比率も初めて20%を超えていた。

含意

代理店の先へ出られないICカードの構造から抜けるため、生産と販売を自ら持つ体制を選んだ。ただし1995年3月期に2000億円、のちに1994年度に2000億円と掲げた売上目標に対し、2002年3月期の連結売上高は1631億円にとどまった。

いつ何が起きたか8件
筆者考察
考察

考察:購入する立場に転じた会社が、販売する側へ出るということ

『危険を冒さなければ柱となる大きな事業は見つからない』——村松寿久社長がLDへの投資を語ったこの言葉は、ICカードで学んだことの裏返しであったとみられる。原価の約6割を占めるICを半導体メーカーから買い、ソフトを外部のゲームソフト会社に依存し、代理店へ納入するだけの位置に置かれれば、100億円を売っても利幅は残らない。生産と販売を自ら持つ会社を三菱商事と作り、創業以来初の三桁投資を充てたのは、その位置から抜け出すための手であった。

ただ、抜け出した先にあったのも、外部への依存を残す事業であった。LDを離陸させるには、ICカードと同じくソフトの力が問われる。しかも記録メディアの規格は短命で、同社は8インチ・5インチのフロッピー用ジャケットを相次いで生産中止へ追い込まれてもいる。それでもなお記録メディアに収益源を求めたのは、年率2%の塩ビパイプを前に選べる手段が多くなかったからだといえる。2000億円に達しなかった一事をもって、1982年の絞り込みを甘い判断と片づけることはできない。

Yutaka Sugiura, 2026年7月
参考文献

参考文献

参考

  • 日経ビジネス 1989年7月17日号
  • 日経ビジネス 1991年5月6日号
  • 三菱樹脂 有価証券報告書(2002年3月期・連結)
  • 三菱樹脂 有価証券報告書(2007年3月期・連結)

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