『危険を冒さなければ柱となる大きな事業は見つからない』——村松寿久社長がLDへの投資を語ったこの言葉は、ICカードで学んだことの裏返しであったとみられる。原価の約6割を占めるICを半導体メーカーから買い、ソフトを外部のゲームソフト会社に依存し、代理店へ納入するだけの位置に置かれれば、100億円を売っても利幅は残らない。生産と販売を自ら持つ会社を三菱商事と作り、創業以来初の三桁投資を充てたのは、その位置から抜け出すための手であった。
ただ、抜け出した先にあったのも、外部への依存を残す事業であった。LDを離陸させるには、ICカードと同じくソフトの力が問われる。しかも記録メディアの規格は短命で、同社は8インチ・5インチのフロッピー用ジャケットを相次いで生産中止へ追い込まれてもいる。それでもなお記録メディアに収益源を求めたのは、年率2%の塩ビパイプを前に選べる手段が多くなかったからだといえる。2000億円に達しなかった一事をもって、1982年の絞り込みを甘い判断と片づけることはできない。