四国電力カタール・ラスラファンC発電造水事業への出資による海外発電事業への進出

区域の外に電源を持つ意味はどこにあるか——規制の下で育った電気事業者は、入札で事業権が決まる市場へどう入ったか

時期 2008年7月
意思決定者(推定) 四国電力 取締役会
論点 海外発電事業への進出
概要
四国電力は2003年度から海外での事業活動に着手し、2008年7月、カタールのラスラファンC発電・造水プロジェクトに出資比率5%で参画した。同社にとって海外で初の独立系発電事業(IPP)であり、出力273万kW・造水29万トン/日の設備は2011年4月に全面運転を開始した。
背景
2000年の特別高圧を皮切りに国内の小売自由化が段階的に進み、地域独占を前提に需要の伸びへ設備を合わせる経営が成り立ちにくくなっていた。国内で新たな電源を建てる余地も限られ、規模を伸ばす場を区域の外に求める必要があった。
内容
最初の海外活動は中国新疆ウイグル自治区での太陽光発電の実証研究など技術協力・調査であった。そこからIPPへの出資に進み、カタールでは5%という小口の持分で参画しつつ、2009年8月から2012年4月にかけて保守課長らの技術者を現地へ派遣して運転・保守の実務に加わった。
含意
2013年にはオマーンのバルカ3・ソハール2が営業運転に入り、2025年3月時点の海外持分容量は火力9件・約131.6万kW、再生可能エネルギー6件・約43.1万kWとなった。2024年11月にはカタールで総事業費約5,700億円の新たな発電造水事業に11%で参画し、中期経営計画2030は国際事業を拡張領域と定めている。
筆者の見解

小さく持ち、長く関わる

この進出の特徴は、規模ではなく入り方にあらわれている。初めての海外発電事業で選んだ持分は5%で、事業を仕切る立場ではない。それでいて技術者を現地へ送り、建設から運転開始までの実務に加わった。資本のリスクは小さく抑え、経験だけは深く取りにいく——規制の下で守られてきた会社が競争市場へ出るときの、慎重で現実的な設計だったとみることができる。16年後の案件で出資比率が11%へ上がっているのは、その時間のかけ方に見合う学習があったことをうかがわせる。

ただし、海外の持分容量が国内の稼働可能な原子力を超えたことを、そのまま事業構造の転換と読むのは早いかもしれない。国際事業の経常利益は連結の5%に満たず、収益の大半はいまも四国4県の電気と、地域の情報通信が生んでいる。伊方の停止が3期連続の赤字を招いたように、この会社の業績は依然として区域の中の設備に大きく左右される。区域の外で稼ぐ力をどこまで太くできるかは、2030年に向けた目標が実際の利益として返ってくるかどうかで測られることになるとみられる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

自由化で細っていった国内の伸びしろ

1990年代後半から、電気事業の制度は段階的に開かれた。1995年に卸電力供給の入札制度が導入され、2000年には特別高圧の需要家を対象とする小売自由化、2004年から2005年にかけては高圧の需要家へと対象が広がった。電気料金も認可制から届出制へ緩められ、四国電力を含む電力大手は経営の合理化と料金の引き下げを並行して進めた。地域独占を前提に、需要の伸びへ設備を合わせていく経営の形が、外側から崩れ始めていた[1][2]

供給の側も一区切りがついていた。2000年6月に運転を始めた橘湾発電所1号機(70万kW)は、四国での最後の100万kW級の火力計画となり、伊方の3基体制も1994年に完成していた。四国4県という区域の需要に見合う電源はおおむね揃い、国内で新しい発電所を建てて規模を伸ばす余地は狭まっていた。2009年3月期の連結売上高は6,351億円、経常利益465億円で、収益そのものは安定していたものの、次の伸びをどこに求めるかという問いは残ったままであった[3][4]

2003年度、技術協力から始めた海外での活動

四国電力が海外で事業活動を始めたのは2003年度からであった。ただし初期の案件は発電所への出資ではなく、技術協力と調査である。2009年5月に同社が公表した実績の一覧で最も古いものは、中国新疆ウイグル自治区における太陽光発電系統連系システムの効率化技術の実証研究(2003〜2005年度)であり、その後もモルディブの太陽光発電導入計画調査を国際協力機構から受託するなど、電気事業者としての技術を売る形の案件が続いた[5][6]

この種のコンサルティングは、その後も同社の海外活動の一角を占め続けた。2015年2月の時点で受注実績は49カ国・86件・約25億円に達している。もっとも、技術を売る仕事は人月の積み上げであり、規模の面で電気事業を補うほどにはならない。海外で収益の柱を作るのであれば、発電所そのものに出資して事業から配当を受け取る形へ進む必要があった。四国電力自身、国内では1995年からIPPの電気を買う側に回っており、独立系発電事業という仕組みは既知のものであった[7][8]

決断

2008年7月、ラスラファンCへの5%出資

2008年7月、四国電力はカタールのラスラファンC発電・造水プロジェクトに出資比率5%で参画した。同社にとって海外で初の独立系発電事業への出資となる。設備はガスタービン・コンバインドサイクル方式の発電出力273万kWと、ボイラーの排熱を使って海水から飲料水を作る造水能力29万トン/日を組み合わせたもので、事業期間は運転開始後25年間に及ぶ。四国電力が国内に持つ伊方3基の総出力202.2万kWを上回る規模の設備であった[9][10]

参画の形は、事業を主導するものではなかった。カタール側の事業会社に対し、日本の商社などとともに少数持分で入る座組みであり、5%という比率は投じる資本も負うリスクも限られる。規制で守られた区域の中でしか発電所を運営したことのない会社が、入札で事業権が決まり、燃料も為替も契約で切り分けられる市場へ足を入れるにあたって、まずは小さく持つという選び方をした[11]

出資だけで終わらせない、人を送る参画

出資比率が小さいことと、関与が浅いこととは別であった。四国電力は2009年8月から2012年4月にかけて、保守課長や課長補佐など複数名の技術者をラスラファンCへ派遣し、建設から運転開始に至る段階の実務に加わっている。海外の発電所がどのように立ち上がり、契約で定められた性能をどう保証するのかを、現場で確かめる機会となった。持分からの配当よりも、この経験の方が当面の狙いに近かった[12]

四国電力は海外での事業について、グループが持つ技術やノウハウという経営資源を活用するものと説明してきた。地域独占の下で発電所を建て、動かし、保守してきた技術は、区域の外でも値がつく。逆に、規制下では経験しようのない競争入札や現地の合弁相手との交渉は、出て行かなければ身につかない。カタールへの参画は、この二つを同時に扱う場となった。2011年4月、ラスラファンCは全面運転に入った[13][14]

結果

オマーンへの拡大と、持分を売るという経験

カタールに続いて、2013年4月にはオマーンのバルカ3・ソハール2発電プロジェクトが営業運転を開始した。この案件では2014年6月、事業会社の株式がオマーンの株式市場に公開されるのに合わせて保有株式の35%を売却し、出資比率は11%から7.15%へ下がっている。売却益は約4百万米ドルであった。発電所を建てて持ち続けるだけでなく、市場が値をつけた時点で持分を減らして利益を確定するという、規制事業では起きない資本の動かし方を経験した[15]

案件は中東から広がった。四国電力はオマーン、チリ、米国、アラブ首長国連邦、インドネシア、台湾、ミャンマーへと対象地域を伸ばし、火力に太陽光・風力を交えた発電事業を案件ごとに組み上げていった。国内の電気事業が福島第一原発事故の後に赤字へ沈み、電力小売の全面自由化で域内の販売電力量の約1割を新電力に奪われるなかで、区域の外にある持分は本体の業績とは別の動きをする資産となった[16][17]

20年後の規模と、拡張領域という位置

2025年3月の時点で、海外事業の持分容量は火力9件・約131.6万kW、再生可能エネルギー6件・約43.1万kWとなり、運転開始済みの設備は合計約94万kWに達した。国内で稼働できる伊方3号機の89万kWを上回る発電設備を、区域の外で持つ規模である。収益面では2025年3月期の国際事業の経常利益が約40億円で、連結経常利益916億円に対する比率はまだ小さいものの、案件が積み上がるにつれて安定した貢献を返す部門となった[18][19]

参画の仕方も変わった。2024年11月、四国電力は住友商事や韓国の電力会社などとコンソーシアムを組み、カタールのラスアブファンタス地区で発電容量240万kW・造水能力49万5,000トン/日の発電造水事業を受注した。総事業費は約5,700億円で、2029年の完工を目指す。四国電力の出資比率は11%と、16年前のラスラファンCの5%から引き上げられている。2025年9月の中期経営計画2030は国際事業を拡張領域と定め、2030年度の経常利益目標を2025年度見通しの倍にあたる80億円に置いた[20][21][22]

出典・参考

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