王子ホールディングス中国・江蘇省南通への一貫生産工場の建設と、排水パイプライン計画の撤回

成長市場に工場を建てるという解はどこで狂ったか——総投資約2,000億円と、地元の反対で覆った前提

時期 2007年10月
意思決定者(推定) 篠田和久・デモの発生時は進藤清貴(社長)、減損計上時は矢嶋進(社長) 社長
論点 国内需要の頭打ちと海外への資本輸出
概要
2007年10月、王子製紙が中国江蘇省南通市に現地合弁会社の江蘇王子製紙を設立し、クラフトパルプからの一貫生産で年産能力120万トンを目指した経営判断。総投資計画は約2,000億円で、当時の同社にとって過去最大級の単一投資であった。
背景
1996年の本州製紙合併で国内の規模を取り戻した後、紙の内需は伸びを欠いた。王子は2001年にアジアで年産300万トンという中長期計画を掲げ、2006年の北越製紙への敵対的TOBが不成立に終わったことで、海外側の解の重みが増していた。
内容
2005年に国家環境保護総局の環境アセスメント認可、2006年に国務院の事業認可を取得。排水パイプラインは誘致の条件として南通市が約100億円を負担して建設し、日量15万トンの排水を黄海へ流す計画であった。
含意
2012年7月28日、排水先の啓東で抗議行動が暴徒化し、市政府は当日中にパイプライン計画の白紙撤回を表明した。工場は一時操業を停止し、一貫生産の開始は2015年へずれ込む。2016年3月期には中国工場で減損損失551億円を計上した。
筆者の見解

認可を与える側が、費用を負担していた

排水パイプラインは、王子が自ら敷いた設備ではなかった。誘致の条件として南通市が約100億円を負担して建設するもので、日量15万トンを黄海へ流すこの一本に、パルプ内製化を含む一貫生産の前提が乗っていた。認可の面で欠けたものはない。国家環境保護総局の環境アセスメント認可も、国務院の事業認可も取得済みであった。それでも2012年7月28日の一日で計画は白紙に戻る。認可を与える側と設備の費用を負担する側が同じ地方政府であったことは、進出時には後ろ盾であり、住民が庁舎へ押しかけたときには逃げ場のなさに変わったとみることができる。

ただ、南通の投資が失敗の一語で片づくわけでもない。工場は稼働を続け、パルプからの一貫生産も2015年には始まっている。躓いたのは事業そのものというより、2007年に描いた速度であった。1号抄紙機の稼働は当初計画から5年遅れ、規模も年60万トンから40万トンへ縮んだうえで、2016年3月期の551億円の減損に至る。この経験の後、王子の投資はブラジルのパルプ、オセアニアの森林、欧州の包装材へ向かった。工場を建てて成長市場の需要を取りにいく型から、資源と用途を押さえる型へ、海外投資の輪郭が引き直されたとみられる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

アジアで年産300万トンという計画

2001年6月、社長に就任した鈴木正一郎氏は、国内生産一辺倒の路線を修正する中長期計画を打ち出した。当時グループ全体で年間870万トンだった生産のうち、アジアでの現地生産はわずか5万トン程度である。これを5年後に100万トン、10年後に300万トンへ引き上げ、増産分はほとんどをアジアの現地生産で賄うという内容であった。伸びの見込めない内需に対し、アジア市場を取り込まなければ成長は図れないという判断が根にあった[1]

国内側の解は2006年に閉ざされていた。王子は同年7月、業界6位の北越製紙に1株860円で発行済株式の50.1%以上を取得する敵対的TOBを仕掛けたが、三菱商事への第三者割当増資と日本製紙の対抗買いを前に、9月に断念している。そのころ王子は中国工場の許認可の遅れで塗工紙の増設競争にも出遅れていた。国内で規模を束ね直す道が塞がったことで、中国での一貫生産という選択肢の比重が増していた[2][3]

決断

パルプからの一貫生産という構想

2007年10月、王子製紙は江蘇省南通市に現地合弁会社の江蘇王子製紙有限公司を設立した。計画上の総投資額は約2,000億円、原料のクラフトパルプからの一貫生産体制を築き、印刷用紙を主体に年産能力120万トンを目指す構想で、2013年までの第1期だけでも投資額は1,701億円にのぼる。認可はすでに得ていた。2005年に国家環境保護総局から環境アセスメントの認可を、2006年には国務院から事業認可を取得している[4][5][6]

設立の2カ月後、篠田和久社長は南通での道筋をこう語っている。2010年に年産40万トンで生産を開始し、翌年にはパルプからの一貫生産に移り、2015年には2号機の完成で年産80万トンに達する。中国の需要は現地メーカーの増産を加えてもはるかに上回り、周辺諸国の需要増も見込める。「アジアは今後、世界の紙の生産基地になっていくと考えている」というのが、投資を決めた本人の見立てであった[7]

地方政府と一体の枠組み

一貫生産の前提には排水の処理があった。日量15万トンにのぼる排水を、2013年からはパイプラインで黄海へ流す計画である。このパイプラインは王子製紙を誘致する条件として、南通市が約100億円を負担して建設するものであった。工場の認可を与える側と、排水設備の費用を負担する側が同じ地方政府であるという枠組みは、進出企業にとって心強い後ろ盾に見えた[8]

もっとも、計画は着工の前後から縮んでいた。中国側との折衝の過程で内容の変更を迫られ、1号抄紙機の稼働は当初計画の2006年から2011年へ大きくずれ込む。年60万トンとされていた生産規模も40万トンに縮小された。認可を取得し終えた後も、事業の輪郭は相手側との交渉のなかで動き続けていた[9]

結果

2012年7月28日、啓東

2012年7月28日早朝、排水先にあたる啓東で、パイプライン建設に反対する群衆が政府庁舎に押しかけた。庁舎は占拠され、地域の共産党書記は糾弾された揚げ句に衣服を剥ぎ取られた。前日には市幹部が建設の一時中止を表明して鎮静化を図っていたが、事態は市政府の予想を裏切った。政府は同日の午前中には建設計画の白紙撤回を表明し、王子製紙は同じ日に工場の操業停止を明らかにしている[10][11]

反発の背景には水産業への懸念があった。排水先の塘蘆港は有名な漁港で、影響を心配する声は以前からあったところへ、排水に発がん性物質が含まれるとの噂が広がった。王子製紙は「まったくの事実無根。中国の国家基準値まで十分に浄化処理を施す」と反論している。パイプラインが白紙に戻れば、より大がかりな排水処理を要するパルプ内製化は成り立たない。各段階の政府と折衝を重ねた末に前提を外された形である。中国では環境をめぐる集団抗議が各地で増えており、地方政府が外資に歓迎の意を示しても、地域住民の理解なしに工場の建設を進めることは難しくなっていた[12][13][14]

減損551億円と、投資先の移動

一貫生産の開始は2015年へずれ込んだ。着工から投じた資金は約1,400億円にのぼり、王子ホールディングスは2016年3月期に中国工場で減損損失551億円を計上する。中国の景気減速で洋紙などの販売価格が下がって工場は赤字が続き、過剰生産が解消しないなかで当初見込んだ収益は確保できないという判断であった。2007年に描いた道筋は、9年をかけて数字のうえで清算された[15]

この間、王子が資金を投じる先は入れ替わっていた。2012年6月にブラジルの市販パルプメーカーCENIBRAを傘下に収め、2014年12月にはニュージーランドとオーストラリアを拠点とするCarter Holt Harvey Pulp & Paperを取得する。2024年4月には欧州の包装資材メーカーWalkiを買収した。成長市場に紙をつくる工場を建てるのではなく、森林資源と包装の側を押さえる投資が、南通の後に続いた[16]

出典・参考

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