2012年7月28日、計画はわずか一日で白紙となった。手続きに欠落があったわけではなく、国家環境保護総局による環境アセスメントの認可と国務院の事業認可は、どちらもすでに下りていた。計画の要は日量15万トンを黄海へ流す排水パイプラインで、パルプ内製化を含めた一貫生産はこの一本を前提に組まれていたが、敷設したのは王子ではない。南通市が進出を招く見返りとして、約100億円を自ら負担して建設した設備であった。認可を出す側と設備の費用を持つ側がともに同じ地方政府であったことは、進出の段階では支えとなったが、住民が庁舎へ押し寄せた局面では退路をふさぐ方向に働いたとみられる。
ただ、南通の投資が失敗の一語で片づくわけでもない。工場は稼働を続け、パルプからの一貫生産も2015年には始まっている。躓いたのは事業そのものというより、2007年に描いた速度であった。1号抄紙機の稼働は当初計画から5年遅れ、規模も年60万トンから40万トンへ縮んだうえで、2016年3月期の551億円の減損に至る。この経験の後、王子の投資はブラジルのパルプ、オセアニアの森林、欧州の包装材へ向かった。工場を建設して成長市場の需要を獲得する型から、資源と用途を押さえる型へ、海外投資の輪郭が引き直されたと推察される。