参天製薬フィンランドの眼科薬メーカー、スターの買収による欧州拠点の確保

国内シェア4割の目薬メーカーが、なぜ北欧に製造会社を持つことを選んだのか

時期 1997年3月
意思決定者(推定) 森田隆和 社長
論点 海外展開と生産拠点
概要
1997年2月にフィンランド・タンペレへ医薬品製造会社サンテン・オイを設立し、翌3月に同国の眼科薬メーカー、スターを買収して、欧州に生産と販売の拠点を確保した経営判断。
背景
1990年に定めた長期ビジョンは売上高を10年で3倍にする目標を掲げていたが、医家向け眼科薬の国内シェアはすでに43%に達していた。海外では販売会社と調査分析の拠点を置くにとどまり、自前で薬を作って承認を取る足場がなかった。
内容
タンペレに製造会社サンテン・オイを設立し、同時にオランダ・アムステルダムへ持株会社を置いたうえで、翌月フィンランドの眼科薬メーカー、スターを買収した。サンテン・オイには欧米での製造販売権を与え、欧州の製造・販売・臨床開発を担わせた。
含意
欧州事業が黒字に転じたのは2006年3月期で、買収から9年を要した。ここで整えた北欧・東欧の販売基盤は、2014年に米メルクの眼科用医薬品を譲り受けた際の受け皿となり、2016年3月期の欧州売上収益は255億円へ伸びた。
筆者の見解

買ったのは製品ではなく手続きだった

1997年の買収でスターから受け取ったものを、製品の権利や工場だけで数えると小さく見える。参天製薬がタンペレで手にしたのは、欧州の規則に沿って薬を作り、各国の承認を取り、医師に説明して売るという一連の手続きを回せる組織であった。同じ時期に置いた米国と台湾の拠点が調査分析や販売の窓口にとどまったのに対し、欧州だけが製造の実体を伴っていた。9年かけて黒字に届いた差は、この違いによるところが大きいとみられる。

もっとも、この判断が正しかったと言い切れるようになったのは、ずっと後である。オランダに置いた持株会社は6年で任意清算し、欧州の営業損益が黒字化したのは2006年3月期であった。それでも、2014年に米メルクの眼科用医薬品を受け入れる際、参天製薬はイギリス・イタリア・スペインへ新たに法人を作りながら、北欧・東欧では17年前から続く販売の網をそのまま使えた。1997年3月にフィンランドで買った会社は、2016年3月期に255億円を売る欧州事業の土台になっている。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

国内首位のまま売上を3倍にする計画

1990年、創業100周年にあたる年に森田隆和氏が社長に就任した。同年7月に策定した2000年までの長期ビジョンは、1990年度に366億1800万円だった売上高を1995年度に630億円、2000年度には1100億円へ増やす目標を掲げていた。ところが医家向け眼科薬市場での参天製薬のシェアは1991年度に43%で、2位の千寿製薬の17%を大きく引き離していた。国内の首位を固めるだけでは、10年で3倍という数字に届かなかった[1][2]

拡大の元手は1987年発売の合成抗菌点眼薬タリビッド点眼液がもたらした。第一製薬から導入したこの一品は1991年度に年商120億円へ育ち、売上高は1987年度から1991年度までに約2倍、経常利益は約2.8倍に伸びた。森田隆和氏(社長)は当時、大ヒット商品を持続的に出せるかどうかは分からないと述べ、好業績のうちに営業力を強め、大きな研究開発投資に耐えられる規模へ早く到達したいと語っている。眼科という狭い領域に集中したまま規模を追うには、売る市場そのものを国外へ広げる必要があった[3][4]

販売会社は置いたが、作る足場がなかった

海外の拠点づくりは1990年代前半に相次いだ。1992年に台湾で大明参天を設立し、1993年1月には米国カリフォルニア州ナパにSanten Inc.を、1994年にはドイツ法人を設けている。ただしSanten Inc.が担ったのは北米における臨床試験と医薬学術情報に関する調査分析の委託先という役割で、自ら薬を製造して販売する会社ではなかった。設立から数年を経ても、参天製薬の海外拠点は情報と販売の窓口の域を出ていなかった[5][6]

医薬品は国ごとに承認を取り、その国の規則に沿って製造しなければ売れない。国内では1996年4月に奈良県生駒市の奈良R&Dセンター眼科研究所、同年7月に滋賀県多賀町の滋賀工場、10月に能登工場第3棟と、研究と生産への投資が続いていた。同じ設備と手続きを欧州で一から積み上げれば、長期ビジョンが区切った2000年までに間に合わなかった。時間を金で買う選択肢が、このとき残されていた[7]

決断

タンペレの製造会社とアムステルダムの持株会社

1997年2月、参天製薬はフィンランド・タンペレに医薬品製造会社サンテン・オイを設立し、あわせてオランダ・アムステルダムに持株会社サンテン・ファーマシューティカル・ビーヴィを置いた。製造の実体をフィンランドに、欧州各社を束ねる資本の窓口をオランダに分ける構えである。翌3月、同じフィンランドの眼科薬メーカーであるスターを買収した。製造と資本の枠組みを先に整え、そこへ買った事業を入れる順序であった[8][9]

サンテン・オイに与えられた役割は、販売代理ではなかった。2006年3月期時点の関係会社の記載によれば、同社は資本金2000万ユーロの医療用医薬品会社で、参天製薬は医薬品の輸入と臨床開発を委託し、欧米での製造販売権を与えていた。買収で手に入れたのは製品の権利だけでなく、欧州で薬を作り、承認を取り、売るという一連の手続きを回す会社そのものであった[10]

北欧から広げた販売網

買収後の欧州は、フィンランドを中心に販売の網が広がった。2006年3月期の体制では、医療用医薬品の製造と販売をサンテン・オイが担い、ドイツではサンテン・ゲーエムベーハーが販売を、北欧の一部では資本金50万スウェーデンクローナのサンテンファーマ・エービー(ストックホルム)が販売支援を受け持った。欧州における臨床試験と医薬学術情報の調査分析も、サンテン・オイとドイツ法人が実施した[11]

1998年には次の10年を見据えた中期構想「ひとみ21」を定めた。一方、資本の窓口として置いたオランダの持株会社は2003年3月に任意清算している。欧州の統括をアムステルダムに置く構想は6年で畳まれ、実務はタンペレの製造会社に集約された。買収時に組んだ枠組みのうち、残ったのは製造と販売の実体のほうであった[12][13]

結果

黒字化まで9年

欧州事業が利益を出すまでには時間がかかった。2006年3月期の所在地別セグメントで、欧州の外部顧客への売上高は81億5500万円(前年度比27.9%増)、営業利益は9億5100万円となった。前連結会計年度は1億4900万円の営業損失で、1年で11億円の改善である。北欧・東欧・ロシア・ドイツで売上を伸ばした結果であり、買収から9年目にして欧州は稼ぐ地域に変わった[14]

同じ年度、欧州以外の海外は対照的であった。米国では2001年11月に眼科医療機器のアドバンスド・ビジョン・サイエンスを買収し、2002年1月に持株会社を設けたが、2006年3月期の「その他の地域」の外部顧客への売上高は3億6000万円、営業損失は7億800万円にとどまった。買った会社に製造と販売の実体があった欧州と、調査分析や機器から入った地域とで、9年後の姿は分かれた[15][16]

17年後に効いた北欧の足場

1997年に確保した拠点の意味がはっきり出たのは2014年である。同年7月、参天製薬は米メルクが持つ眼科用医薬品と関連する権利の一式を譲り受け、緑内障領域の品揃えを厚くした。参天製薬は後年、EMEAの事業展開国・地域が約45カ国へ拡大した要因として、イギリス・イタリア・スペインなど新規参入国での浸透に加え、1990年代後半から活動を進めてきた北欧・東欧での普及を挙げている[17][18]

数字の伸びも明確であった。2016年3月期の欧州における売上収益は255億8600万円で、前連結会計年度と比べ82.8%増加した。緑内障・高眼圧症治療剤「タフロタン」「タプティコム」の普及に、角膜炎を適応症とする「アイケルビス」の発売が重なった結果である。1997年に81億円にも満たなかった欧州は、20年で参天製薬の海外売上の過半を占める地域になった[19][20]

出典・参考
  • 日経ビジネス 1992年10月12日号「参天製薬。眼科医情報の収集に力営業・開発に生かす」
  • 参天製薬 有価証券報告書【沿革】
  • 参天製薬 有価証券報告書(第94期・2006年3月期)
  • 参天製薬 有価証券報告書(第104期・2016年3月期)
  • 参天製薬 アニュアルレポート2018
  • 参天製薬公式サイト「Santenの歴史」

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