田中文雄

王子ホールディングス・元代表取締役社長

(敬称略)

Tanaka Fumio

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生年月日
学歴 九州大学農学部林学科
出自
出自
1935年に九州大学農学部林学科を卒業して王子製紙へ入社した。1949年8月に苫小牧製紙の本社山林部長、1956年11月に王子製紙工業の取締役春日井工場長を務め、常務・専務を経て1968年3月に代表取締役副社長へ進んだ。長野県の生まれで、集中排除法の分割で1工場から出直した会社を、原料の山林から工場まで見てきた生え抜きだった。
抜擢
1968年版の日本企業要覧では熊澤貞夫氏が取締役社長として載り、1969年版では田中氏に替わっている。交代を挟む1968年3月、王子製紙・十條製紙・本州製紙の旧王子3社は合併覚書へ調印したが、同年9月に公正取引委員会の否認の見通しを受けて取り下げた。覚書は中島慶次会長と旧王子の長老・加藤藤太郎氏が3社の社長にも相談せずまとめたもので、田中氏は決める側にいなかった。分割前への一括復元が消えた直後に、苫小牧の現場を歩いた副社長がトップに就いた。
施策
王子製紙は1970年9月に北日本製紙、1979年3月に日本パルプ工業と合併した。1979年の合併について田中氏は、1968年には同業者やユーザーから反対意見が出て論議が沸騰したのに対し「今度はそうした反対は一つもありませんでした」と語り、旧王子3社の大合同については「これは不可能でしょう」と退けている。売上高は1968年3月期の540億円から1981年3月期の3,385億円へ増えた。一括復元をあきらめ、審査を通る相手を一社ずつ選ぶ手法へ切り替えた13年だった。
評価
執筆予定
就任前(FY67)540億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-

参考文献経歴・学歴・出身地の裏づけに当たった資料

  • 日本企業要覧 1980年版 経歴・学歴・出身地・生年
  • 日本企業要覧 1969年版 経歴

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