王子ホールディングス十條・本州合併の撤回:旧王子3社の合併覚書の取り下げと、同業を一社ずつ吸収する路線への転換
更新:
筆者の見解
一括の復元から、一件ずつの審査へ
中島慶次会長が公取委から得ていた感触は、183日後には何の保証にもならなかった。同じ1968年4月に八幡製鉄と富士製鉄の合併構想が公表され、個別企業の統合ではなく大型合併そのものが国政の論点に変わったためである。取り下げの席で王子が選んだのは、訴訟でも2社への縮小でもなく、審査にかける単位を小さくすることであった。相手を一社に絞れば、シェアの論点は品種ごとに分解され、独占禁止法の壁は一件ずつの高さに下がる。この置き換えが、以後四半世紀の合併の型を決めたとみることができる。
ただ、遠回りの代償は小さくなかった。設備過剰と市況の乱れは3社合併の頓挫と関係なく続き、1990年代まで持ち越された。分割前の姿を取り戻すことと、業界の過当競争を鎮めることは、この時点で別の問題になっていた。一社ずつの吸収は品種の厚みをもたらした一方で、規模の回復には四半世紀を要し、その到達点は国内需要が縮み始める時期と重なることになる。1968年の183日は、復元の機会を逃した半年であると同時に、合併の型を身につけた半年でもあったといえる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
同じ問いに直面した会社
- 私の履歴書 経済人22「田中文雄」(日本経済新聞社、1987年/日本経済新聞1983年10月連載)
- 証券アナリストジャーナル 1970年 第8巻第9号(本州製紙 栖原亮 講演)
- 日経ビジネス 1979年2月26日号
- 日経ビジネス 1981年10月19日号
- 日本産業史 第4巻(日本経済新聞社、1994年)「紙・パルプ-増設ラッシュで不況に」
- 王子ホールディングス 有価証券報告書 第101期(2025年3月期)【沿革】