この判断の面白さは、進出の主役が最初から狙って選ばれた商品ではなかった点にあるといえる。訪日客が買い、転売業者が中国へ運び、出荷の2割が国境を越えていくという事実が先にあり、カルビーはその流れを追認する形で生産地と販路を整えた。市場を作ったというより、すでに動いていた需要に生産体制を後から合わせにいった構図で、原発の輸入規制が生産地を北海道と京都に決めたことも含め、外形的な条件が判断の輪郭を強く縁取っていたのだろう。
残る問いは、育て直した一商品に海外の成長を託す設計が、どこまで持続するかであった。国内スナックの寡占はカルビーの強みでありながら、それゆえ海外では通用しにくい制約でもあった。フルグラという例外的なヒットが中国で第2の柱になれば構図は変わったが、旗振り役の退任と成長の鈍化が重なり、1000億円の構想は次の経営陣へ持ち越された。ヒット商品への依存を海外で組み替えられるかは、なお見届ける段階にあるだろう。