フルグラを引っ提げた中国市場への進出——越境ECと専用工場による再挑戦

国内スナックが寡占の天井に達した菓子最大手は、育て直したシリアルをどう巨大市場へ持ち込もうとしたか

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時期 2017年8月
意思決定者 松本晃氏 カルビー 代表取締役会長兼CEO
論点 国内成長の頭打ちに対する海外市場の開拓
概要
2017年8月、カルビーは中国向けに生産した北海道工場のシリアル食品「フルグラ」を、中国の越境EC「天猫国際」で販売し始めた。国内で育て直したフルグラを、巨大な人口を抱える中国市場に持ち込み、国内スナックの成長の限界を海外で埋めようとした経営判断。
背景
カルビーは国内スナック菓子市場でシェア5割・ポテトチップスで7割超を握り、人口減もあってさらなる拡大は難しくなっていた。一方、2009年に招かれた松本晃会長兼CEOが目を留めたフルグラは販促の見直しで急伸し、2017年度に売上高300億円突破が確実な水準まで育っていた。
内容
訪日中国客の人気で一時は出荷量の2割が中国へ流れ、越境転売も横行した。福島第一原発事故を理由とした中国の食品輸入規制で栃木の清原工場からは輸出できず、カルビーは2015年に北海道と京都へ計90億円で二工場の建設を決定。2017年に越境ECで販売を始め、2018年2月には現地新会社を設けて中国内ECや量販店へ広げた。
含意
松本会長は中国だけで売上高1000億円を目指すと語ったが、2018年6月に退任。フルグラの成長は鈍化し、2017年度は上場来初の減収減益となった。中国での本格展開は生え抜きの伊藤秀二社長兼CEOに引き継がれた。
筆者の見解

筆者見解

この判断の面白さは、進出の主役が最初から狙って選ばれた商品ではなかった点にあるといえる。訪日客が買い、転売業者が中国へ運び、出荷の2割が国境を越えていくという事実が先にあり、カルビーはその流れを追認する形で生産地と販路を整えた。市場を作ったというより、すでに動いていた需要に生産体制を後から合わせにいった構図で、原発の輸入規制が生産地を北海道と京都に決めたことも含め、外形的な条件が判断の輪郭を強く縁取っていたとみることができる。

残る問いは、育て直した一商品に海外の成長を託す設計が、どこまで持続するかであった。国内スナックの寡占はカルビーの強みでありながら、それゆえ海外では通用しにくい制約でもあった。フルグラという例外的なヒットが中国で第2の柱になれば構図は変わったが、旗振り役の退任と成長の鈍化が重なり、1000億円の構想は次の経営陣へ持ち越された。ヒット商品への依存を海外で組み替えられるかは、なお見届ける段階にあるとみられる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

寡占の天井に達した国内スナック

カルビーは1949年に広島で創業して以来、「かっぱえびせん」「ポテトチップス」「じゃがりこ」と国内スナック菓子の新カテゴリを開拓し続け、市場シェアは5割近くに達していた。とりわけ柱のポテトチップスでは7割を超え、これ以上の寡占化は難しい水準に来ていた。加えてスナックを好む子どもや若者の人口自体が減っていくなかで、国内スナック事業に残された成長余地は乏しくなっていた。海外に活路を求める必要が、事業構造の側から迫られていた[1]

外部から招かれた松本晃会長兼CEOは、就任直後から海外を成長の軸に据えていた。2009年の就任時に売上高の比率を国内・米国・中国で3分の1ずつにする目標を掲げたが、海外比率は1割強にとどまり続けていた。米国ではサヤエンドウを原料としたスナックが軌道に乗らず、期待した中国では2012年に台湾・頂新グループの康師傅と組んだ合弁が、事業方針の対立から3年で撤退に追い込まれた。海外スナック事業は、いずれもまだ小粒であった[2][3]

頭打ちだったフルグラの再生

中国進出の主役となったフルグラは、もともと長く低迷していた商品であった。カルビーは1989年にスナックに続く柱を作ろうとシリアル市場へ参入し、1991年にグラノーラにドライフルーツを加えた現行商品を発売したが、20代の若い女性から広がらず、売上高は年間30億円で頭打ちが続いた。2009年に就任した松本会長がこれに目を留め、「試しに食べてみたら、やたらとうまい」として販売強化を指示、100億円の目標を課したところから流れが変わった[4]

販促の作り替えが実を結んだ。牛乳宅配ルートでのサンプル配布やスーパーでの試食会、ヨーグルトと合わせるレシピ提案を重ね、朝の時短につながる「おいしい大人用シリアル」として働く単身者や共働き世帯へ受け入れられていった。2012年の途中から販売が伸び始め、以降は毎年3割超のペースで拡大、2017年度には製品売上高300億円突破が確実な水準まで育った。国内で成長分野を掘り当てたことが、これを海外へ広げる発想の前提になっていた[5]

決断

訪日人気と輸入規制が定めた生産地

中国進出のきっかけは、社内の想定を超えたところから生まれた。フルグラの人気が国内で高まるのと同じ頃、急増した訪日中国客の間で評判になり、SNSで情報が拡散して日本で買い付けた商品を高値で転売する現地業者が大量に現れた。カルビーが調べたところ、一時は出荷量の2割相当が中国へ流れていた。この予期せぬ人気を逃す手はないと、同社は中国への輸出を本格的に検討し始めた[6]

だが輸出には制約があった。2011年の福島第一原発事故を理由に、中国政府は福島県周辺の10都県で生産された食品の輸入を禁じており、フルグラを作る栃木の清原工場からは中国へ輸出できなかった。増設も限界に近かったため、カルビーは2015年に二つの新工場の建設を決めた。北海道のスナック工場での新規生産と、京都の大規模専用工場の立ち上げで、投資額は計90億円。生産地をアピールするため、中国で人気の観光地である北海道と京都が選ばれた[7]

越境ECからの本格参入

最初の販路には、現地への輸出や配送を代行する越境ECが選ばれた。北海道でフルグラの生産が始まった2017年8月、中国EC最大手アリババが運営する「天猫国際」で販売を開始し、ネット通販最大の商戦日である11月11日には800グラム入りの標準パックが31万袋売れた。価格は日本より5割ほど高いにもかかわらず、上海など沿岸都市部の20〜30代女性に受け入れられた。中国では冷たい朝食の習慣がないため、ホットミルクをかけたり、おかゆに入れたりと食べ方は中国流であった[8]

松本会長は越境ECをあくまで最初の一歩と位置づけていた。2018年2月には現地で新会社を立ち上げ、越境ECより利用者がはるかに多い中国内ECでの販売に踏み込み、総合スーパーや量販店との取引も始める計画を描いた。京都の専用工場が同年夏に稼働すれば供給能力は大幅に増す。松本会長はインタビューで「将来的には中国だけで売上高1000億円を目指す」と語り、フルグラをスナックに次ぐ第2の柱に育てる構想を明かした[9]

結果

旗振り役の退任と成長の鈍化

中国への本格参入を進めた矢先の2018年6月、旗振り役だった松本会長がCEOを退任し、RIZAPグループのCOOへ移った。中国事業やシリアル事業など松本会長が担っていた領域は、生え抜きで社長兼COOを務めてきた伊藤秀二氏が引き継いだ。伊藤氏は退任後の取材で、これらは自身の担当であり現場に混乱はないと述べたうえで、上場以来の増収増益で単年度業績を意識しすぎ、中長期の投資ができていなかったと2頭体制の課題を振り返った[10]

業績は転機を迎えていた。2017年度(2018年3月期)は天候要因も重なり、2011年の上場以来はじめての減収減益となった。収益柱に育ったフルグラの成長も鈍化し、中国で1000億円という構想は道半ばのまま経営の担い手が代わった。国内スナックの寡占という強みが海外では通用せず、育て直した一商品に成長を託す構図の危うさが、旗振り役の交代と歩調を合わせて表面化していった[11]

有報がたどる海外展開の続き

それでも海外の生産・販売網は判断の後も広がり続けた。有価証券報告書の沿革によれば、2018年2月にカルビー(杭州)食品有限公司を、2020年1月にカルビー(中国)管理有限公司を設立し、中国での事業体制を厚くした。同じ時期に英国のSeabrook Crispsや米国のWarnock Food Productsを子会社化するなど、欧米でもM&Aで拠点を取り込んだ。越境ECから始まったフルグラの試みは、点だった海外拠点を面へ広げる長い展開の一部を成した[12]

進出を決めた時点のカルビーは、なお国内で稼ぐ会社であった。2017年3月期の連結売上高は2524億円、営業利益は288億円で、松本会長の下で最高益の更新が続いていた。この稼ぐ力を海外へ延ばす仕掛けとして中国進出は設計されたが、その果実が業績に現れるより先に、旗振り役の退任と成長の踊り場が訪れた。海外の柱づくりは、次の経営陣が引き継ぐ長い課題として残された[13]

出典・参考
  • 週刊東洋経済 2012年4月20日号「創業家の手を離れ世界へ ポテトの王者カルビー 成長への新たな種まき」
  • 週刊東洋経済 2018年1月13日号「シリアルで挑む中国進出 カルビー、成長への賭け」
  • 週刊東洋経済 2018年1月13日号「INTERVIEW カルビー会長兼CEO 松本晃 次はスナック菓子で中国市場に再挑戦だ」
  • 週刊東洋経済 2018年8月25日号「トップに直撃 カルビー社長兼CEO 伊藤秀二」
  • カルビー 有価証券報告書(2017年3月期・連結)

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