この出店を単なる海外進出の成功譚として読むと、判断の芯を取り逃す。杉野公彦社長が選んだのは、現地資本が見放しつつあった衰退する郊外モールへ、国内で標準化した一施設一括型の複合業態をそのまま持ち込むことであった。1施設に大きな資本を投じる国内の型を崩さず、居抜きの空き区画を使って初期費用を抑えたところに、この移植の勘所があったとみられる。日本市場への集中というリスクを分散する動機と、成熟する国内の外へ成長の場を求める狙いが、プエンテヒルズ店の一手に重なっていた。
もっとも、米国が国内と肩を並べる収益源に育ったと言えるのは、その後の10年余りの推移を知っているからにすぎない。それでも1施設一括の投資を崩さず出店を重ねたことが、反動需要を受け止める店舗網を残した。本国で成熟した業態を、それを生んだ市場とは別の土地でむしろ大きく伸ばした点に、この判断の後日談が表れているといえる。