1958年、京成電鉄社長の川崎千春氏は渡米してカリフォルニアのディズニーランドを視察[1]し、沿線開発の延長として東京近郊への誘致を構想した。川崎氏は三井不動産社長の江戸英雄氏に協力を求め、1960年7月、京成電鉄36%・三井不動産32%・朝日土地興業32%[2]の出資で株式会社オリエンタルランドを設立した。資本金は2億5,000万円[3]で、テーマパーク建設の所要額には遠く及ばない規模である。事務所は上野の京成電鉄本社5階に置かれ、机3つ、役職員3人[4]から出発した。定款が掲げた目的は千葉県浦安沖の海面を埋め立て、商業地・住宅地の開発と大規模レジャー施設の建設[5]を行うことであり、創業期の実態は集客事業の運営会社ではなく用地造成の交渉組織だった。
設立直後の最大の課題は、浦安沖の漁場を埋め立てるための漁業補償交渉[6]だった。専務の高橋政知氏が交渉を担い、連日連夜の酒席を重ねて[7]漁業関係者との信頼を築いた。組織の要となる人物を先に説得する手法で4年をかけて合意にこぎつけ、1962年7月に千葉県と『浦安地区土地造成事業及び分譲に関する協定』[引用元]を締結[8]している。1964年9月に浦安沖の海面埋立造成工事が始まり[9]、完了したのは11年後の1975年11月[10]だった。千葉県からオリエンタルランドへの埋立地の分譲は1970年3月に開始され[11]、分譲を受けた住宅用地の販売は1972年12月に始まっている[12]。
造成された埋立地は、東京都心から電車で約30分[13]の位置にあった。のちに社長となる加賀見俊夫氏はこの立地を成功の第一の理由に挙げ、『半径一〇〇キロメートルの所に三〇〇〇万人以上の人口がいて、しかも可処分所得が非常に高い人が多い』[引用元]と述べている(週刊東洋経済 2001年5月12日号)。
1977年、大株主の三井不動産が誘致計画の中止を正式に要請[14]し、埋立地を住宅用地として分譲する方針を主張した。造成地では千葉県から分譲を受けた住宅用地の販売が既に始まっており[15]、分譲による早期の回収は筋の通った選択である。専務の高橋政知氏はこれを退け、テーマパークによる長期の集客に賭ける道[16]を選んだ。高橋氏は1978年に社長へ就いて意思決定権を握り、ディズニー社との交渉を進めている。
1979年4月、米国法人ウォルト・ディズニー・プロダクションズ[17]との間に、東京ディズニーランドのライセンス、設計、建設および運営に関する業務提携の契約を締結した。オリエンタルランドがロイヤリティを支払う一方でディズニー社は出資せず、利益の大半を自社に残して次の設備へ回せる形をとっている。1980年12月、浦安町舞浜地区[18]において東京ディズニーランドの建設に着工した。総工費は約1,500億円[19]で、当時の全国の遊園地市場は入場者およそ5,000万人・規模にして約1,000億円[20]とされ、その市場全体に匹敵する額を単一の施設に投じる異例の投資だった。
1983年4月、東京ディズニーランドが開業[21]した。五つのテーマランドと32のアトラクションから、予約制・清掃・『こんにちは』の接客まで、本家をそのまま複製する方針を採り、300冊にのぼる接客マニュアル[22]も持ち込んでいる。開業から9か月半で延べ850万人[23]、初年度の入園者数は993万人[24]に達した。米国流のサービスは『黒船以来の事件』[25]と呼ばれ、清潔・接客・マニュアルという運営様式は外食・小売・接客業へ『宝の山』[26]として移った。アメリカ的なあそび心が日本人に根づくのかという懐疑[27]を抱えたままの船出であった。
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|---|---|---|---|---|
| 1958〜1983年漁場4年・埋立11年から始まる立地優位の獲得 | 浦安沖の埋立とオリエンタルランドの設立 | ★ | ||
| 千葉県と土地造成・分譲協定を締結 | ★ | |||
| 浦安沖の海面埋立造成工事を開始 | ★ | |||
| 海面埋立造成工事を完了 | ★ | |||
| 三井不動産の反対を退けたディズニー独占ライセンス契約 1979年、浦安沖の埋立地を保有するオリエンタルランドの実権を握る高橋政知専務が、大株主・三井不動産の撤回圧力を退け、米ウォルト・ディズニー・プロダクションズと東京ディズニーランドの独占的なライセンス契約を結んだ経営判断。回収に数十年を見込む超長期の投資だった。 詳細を読む | ★★★ | |||
| 東京ディズニーランドの建設に着工 | ★ | |||
| 東京ディズニーランドの開業と「黒船以来」の衝撃 1983年4月15日、オリエンタルランドが千葉県浦安市の埋立地に東京ディズニーランドを開業した経営判断。総工費約1,500億円を投じ、米国ディズニーの世界観と運営様式、300冊にのぼる接客マニュアルまでそのまま持ち込んで、年間1,000万人規模の集客を狙った。 詳細を読む | ★★★ | |||
| 1984〜2008年1,736万人の天井とディズニーシーによる滞在型リゾート化 | オリエンタルランドの経営が黒字化 | ★ | ||
| 第2次新規設備投資計画を決定 | ★ | |||
| 加藤康三 | スプラッシュマウンテン開業 | ★ | ||
| 加賀見俊夫 | 東京ディズニーシーの建設を決定 | ★★ | ||
| 加賀見俊夫 | ミリアルリゾートホテルズを設立 | ★ | ||
| 加賀見俊夫 | 東京証券取引所第一部に株式上場 | ★ | ||
| 加賀見俊夫 | 舞浜リゾートラインを設立 | ★ | ||
| 加賀見俊夫 | イクスピアリ・アンバサダーホテル開業 | ★ | ||
| 加賀見俊夫 | 高橋政知が死去 | ★ | ||
| 加賀見俊夫 | ディズニーリゾートラインを開業 | ★ | ||
| 加賀見俊夫 | 東京ディズニーシーを開業 | ★ | ||
| 加賀見俊夫 | 「ディズニーストア」事業を承継 | ★ | ||
| 2009〜2026年入園料6,200円から10,900円への改定と3,200億円の超長期投資 | 上西京一郎 | 「ディズニーストア」事業から撤退 | ★★ | |
| 上西京一郎 | 入園者数の成長から客単価の成長への転換と入園料の段階的な引き上げ 2011年、オリエンタルランドは上西京一郎社長のもとで東京ディズニーランド・シーの入園料の段階的な引き上げを始め、入園者数を積み増す成長から、来園者一人あたりの消費額を高める成長へと収益の設計を切り替えた経営判断。舞浜の埋立地という限られた用地で人数の拡大に上限が近づくなか、価格と商品・体験でゲスト1人当たり売上高を押し上げる方向を選んだ。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 上西京一郎 | 東日本大震災により約1ヶ月間の臨時休園 | ★ | ||
| 上西京一郎 | ファンタジースプリングスへの約3,200億円投資と超長期の回収設計 2018年6月、オリエンタルランドはディズニー社と東京ディズニーシーの大規模拡張で合意し、追加投資約2,500億円と開業目標2022年度を掲げ、ライセンス契約を最長2076年まで延長した。計画はコロナ禍の赤字を挟んでも中断されず、総投資額約3,200億円をかけた8番目のテーマポート『ファンタジースプリングス』として2024年6月6日に開業した経営判断である。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 上西京一郎 | 年間入園者数が過去最高の3,256万人を記録 | ★ | ||
| 上西京一郎 | コロナ禍による臨時休園 | ★ | ||
| 吉田謙次 | 最終赤字541億円に転落 | ★★ | ||
| 吉田謙次 | ファンタジースプリングスが開業 | ★ | ||
| 吉田謙次 | ディズニークルーズのライセンス契約を締結 | ★★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(オリエンタルランド)