オリエンタルランド の歴史

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創業 1960年
創業者 川崎千春
創業地 東京都台東区
創業
1958年、京成電鉄社長の川崎千春氏が渡米してディズニーランドを視察し、沿線開発の延長として東京近郊への誘致を構想した。三井不動産らと共同で、1960年7月、資本金2億5,000万円でオリエンタルランドを設立した。定款の目的は浦安沖の海面埋立と商業地・住宅地の開発であり、机3つ・役職員3人という創業期の実態は、集客企業ではなく用地造成の交渉組織だった。専務の高橋政知氏が漁業補償に4年、埋立に11年を費やして1975年に造成を終えるが、1977年に大株主の三井不動産が誘致の中止と住宅分譲を求める。高橋氏はこれを退け、1979年にディズニーとの独占ライセンス契約を結んだ
決断
他社のブランドを独占で借り、土地と施設は自前で抱え、一人あたりの単価で回収する。この形を半世紀守ってきた。1983年4月、約1,000億円とされた全国の遊園地市場に匹敵する総工費約1,500億円で東京ディズニーランドを開業した。ディズニー側は出資せず、ロイヤリティもチケット収入の約10%・物販飲食の約5%にとどまり、利益の大半が次の設備へ回った。用地に限りがあり人数の上限が見えた2011年、入園料の段階的な引き上げで成長軸を客単価へ移した。2023年10月に1デーパスポートを10,900円まで上げたのも、自前の施設に注いだ資本を入園料と園内消費でしか取り戻せないためである。
現況
収益は舞浜の一拠点に集まり、入園者数と単価の積で決まる。2026年3月期の連結売上高7,045億円は、テーマパーク事業5,683億円・ホテル事業1,190億円・その他171億円で、2つのパークが8割を占める。営業利益1,684億円は増収下の減益で、テーマパークの利益低下をホテルが補えていない。2025年3月期はゲスト1人当たり売上高17,833円で、伸びは人数0.2%・単価7.1%と成長のほぼ全量が単価から出た。押し上げたのは約3,200億円を投じたファンタジースプリングスであり、2024年7月のディズニークルーズ契約が埋立地の外へ出る初の収益源になる。
競合
国内のテーマパークに、規模で並ぶ相手はいない。自社のファクトブックが引く「レジャーランド&レクパーク総覧2025」でも、2024年3月期に2パークの2,751万人に達する施設はなく、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンもハウステンボスも入場者数を公表しない。1974年にキャラクターのライセンス業へ転じたサンリオが自前のキャラクターを他社へ貸して稼ぐのに対し、オリエンタルランドは他社のブランドを借りて土地と施設に投じる側にある。2010年に米国のモールへ出たラウンドワンのように施設を海外へ出す道は採らず、舞浜の埋立地に2つのパークとホテル、イクスピアリやモノレールまで自前で抱える。
オリエンタルランド:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2002年3月期2026年3月期

創業ストーリー 漁場4年・埋立11年から始まる立地優位の獲得 (1958年〜)

私鉄経営から派生した浦安沖埋立への賭け

1958年、京成電鉄社長の川崎千春氏は渡米してカリフォルニアのディズニーランドを視察[1]し、沿線開発の延長として東京近郊への誘致を構想した。川崎氏は三井不動産社長の江戸英雄氏に協力を求め、1960年7月、京成電鉄36%・三井不動産32%・朝日土地興業32%[2]の出資で株式会社オリエンタルランドを設立した。資本金は2億5,000万円[3]で、テーマパーク建設の所要額には遠く及ばない規模である。事務所は上野の京成電鉄本社5階に置かれ、机3つ、役職員3人[4]から出発した。定款が掲げた目的は千葉県浦安沖の海面を埋め立て、商業地・住宅地の開発と大規模レジャー施設の建設[5]を行うことであり、創業期の実態は集客事業の運営会社ではなく用地造成の交渉組織だった。

  • 株式会社オリエンタルランド「オリエンタルランド創成期」(公式サイト 沿革・歴史)
    • [1]京成電鉄社長 川崎千春がディズニーランド誘致を構想(創業者)
    • [2]設立時の出資比率は京成電鉄36%・三井不動産32%・朝日土地興業32%
    • [4]設立時の事務所は上野の京成電鉄本社5階・机3つ・役職員3人
  • 株式会社オリエンタルランド 有価証券報告書(2024年3月期)【沿革】
    • [3]1960年7月 資本金2億5,000万円にて株式会社オリエンタルランドを設立
    • [5]設立目的は浦安沖の海面埋立、商業地・住宅地の開発と大規模レジャー施設の建設

設立直後の最大の課題は、浦安沖の漁場を埋め立てるための漁業補償交渉[6]だった。専務の高橋政知氏が交渉を担い、連日連夜の酒席を重ねて[7]漁業関係者との信頼を築いた。組織の要となる人物を先に説得する手法で4年をかけて合意にこぎつけ、1962年7月に千葉県と『浦安地区土地造成事業及び分譲に関する協定』[引用元]を締結[8]している。1964年9月に浦安沖の海面埋立造成工事が始まり[9]、完了したのは11年後の1975年11月[10]だった。千葉県からオリエンタルランドへの埋立地の分譲は1970年3月に開始され[11]、分譲を受けた住宅用地の販売は1972年12月に始まっている[12]

  • 株式会社オリエンタルランド「オリエンタルランド創成期」(公式サイト 沿革・歴史)
    • [6]設立直後の最大の課題は浦安沖の漁業補償交渉
  • ガバナンスキュー(2023年10月23日)(田中幾太郎)
    • [7]高橋政知が漁業補償交渉を担当(のち社長・会長)
  • 株式会社オリエンタルランド 有価証券報告書(2024年3月期)【沿革】
    • [8]1962年7月 千葉県と「浦安地区土地造成事業及び分譲に関する協定」を締結
    • [9]1964年9月 浦安沖の海面埋立造成工事を開始
    • [10]1975年11月 浦安沖の海面埋立造成工事が完了
    • [11]1970年3月 千葉県からオリエンタルランドへの埋立地の分譲が開始
    • [12]1972年12月 千葉県から分譲を受けた埋立地(住宅用地)の販売を開始

造成された埋立地は、東京都心から電車で約30分[13]の位置にあった。のちに社長となる加賀見俊夫氏はこの立地を成功の第一の理由に挙げ、『半径一〇〇キロメートルの所に三〇〇〇万人以上の人口がいて、しかも可処分所得が非常に高い人が多い』[引用元]と述べている(週刊東洋経済 2001年5月12日号)。

  • 株式会社オリエンタルランド「オリエンタルランド創成期」(公式サイト 沿革・歴史)
    • [13]埋立地は東京都心から電車で約30分の立地
  • 株式会社オリエンタルランド「オリエンタルランド創成期」(公式サイト 沿革・歴史)
    • [1]京成電鉄社長 川崎千春がディズニーランド誘致を構想(創業者)
    • [2]設立時の出資比率は京成電鉄36%・三井不動産32%・朝日土地興業32%
    • [4]設立時の事務所は上野の京成電鉄本社5階・机3つ・役職員3人
    • [6]設立直後の最大の課題は浦安沖の漁業補償交渉
    • [13]埋立地は東京都心から電車で約30分の立地
  • 株式会社オリエンタルランド 有価証券報告書(2024年3月期)【沿革】
    • [3]1960年7月 資本金2億5,000万円にて株式会社オリエンタルランドを設立
    • [5]設立目的は浦安沖の海面埋立、商業地・住宅地の開発と大規模レジャー施設の建設
    • [8]1962年7月 千葉県と「浦安地区土地造成事業及び分譲に関する協定」を締結
    • [9]1964年9月 浦安沖の海面埋立造成工事を開始
    • [10]1975年11月 浦安沖の海面埋立造成工事が完了
    • [11]1970年3月 千葉県からオリエンタルランドへの埋立地の分譲が開始
    • [12]1972年12月 千葉県から分譲を受けた埋立地(住宅用地)の販売を開始
  • ガバナンスキュー(2023年10月23日)(田中幾太郎)
    • [7]高橋政知が漁業補償交渉を担当(のち社長・会長)

株主の住宅分譲案を退けた高橋政知氏の超長期投資

1977年、大株主の三井不動産が誘致計画の中止を正式に要請[14]し、埋立地を住宅用地として分譲する方針を主張した。造成地では千葉県から分譲を受けた住宅用地の販売が既に始まっており[15]、分譲による早期の回収は筋の通った選択である。専務の高橋政知氏はこれを退け、テーマパークによる長期の集客に賭ける道[16]を選んだ。高橋氏は1978年に社長へ就いて意思決定権を握り、ディズニー社との交渉を進めている。

  • ガバナンスキュー(2024年2月6日)(田中幾太郎)
    • [14]1977年 三井不動産が誘致計画の中止を要請し、埋立地の住宅用地分譲を主張
    • [16]高橋政知が三井不動産の撤回圧力を退け、テーマパークによる長期の集客を選択
  • 株式会社オリエンタルランド 有価証券報告書(2024年3月期)【沿革】
    • [15]1972年12月 千葉県から分譲を受けた埋立地(住宅用地)の販売を開始

1979年4月、米国法人ウォルト・ディズニー・プロダクションズ[17]との間に、東京ディズニーランドのライセンス、設計、建設および運営に関する業務提携の契約を締結した。オリエンタルランドがロイヤリティを支払う一方でディズニー社は出資せず、利益の大半を自社に残して次の設備へ回せる形をとっている。1980年12月、浦安町舞浜地区[18]において東京ディズニーランドの建設に着工した。総工費は約1,500億円[19]で、当時の全国の遊園地市場は入場者およそ5,000万人・規模にして約1,000億円[20]とされ、その市場全体に匹敵する額を単一の施設に投じる異例の投資だった。

  • 株式会社オリエンタルランド 有価証券報告書(2024年3月期)【沿革】
    • [17]1979年4月 ウォルト・ディズニー・プロダクションズとライセンス・設計・建設・運営に関する業務提携契約を締結
    • [18]1980年12月 浦安町舞浜地区で東京ディズニーランドの建設に着工
  • 日経ビジネス 1983年3月7日号
    • [19]東京ディズニーランドの総工費は約1,500億円
    • [20]当時の全国の遊園地市場は入場者およそ5,000万人・約1,000億円規模

1983年4月、東京ディズニーランドが開業[21]した。五つのテーマランドと32のアトラクションから、予約制・清掃・『こんにちは』の接客まで、本家をそのまま複製する方針を採り、300冊にのぼる接客マニュアル[22]も持ち込んでいる。開業から9か月半で延べ850万人[23]、初年度の入園者数は993万人[24]に達した。米国流のサービスは『黒船以来の事件』[25]と呼ばれ、清潔・接客・マニュアルという運営様式は外食・小売・接客業へ『宝の山』[26]として移った。アメリカ的なあそび心が日本人に根づくのかという懐疑[27]を抱えたままの船出であった。

  • 株式会社オリエンタルランド 有価証券報告書(2024年3月期)【沿革】
    • [21]1983年4月 東京ディズニーランドを開業
  • 日経ビジネス 1983年3月7日号
    • [22]五つのテーマランドと32のアトラクション、300冊の接客マニュアルまで本家を複製
    • [27]アメリカ的なあそび心が日本人に根づくのかという懐疑を抱えた船出
  • 日経ビジネス 1984年2月20日号
    • [23]開業9か月半で延べ850万人
    • [24]初年度入園者数993万人
    • [25]東京ディズニーランド開業は「黒船以来の事件」と呼ばれた
    • [26]米国流の清潔・接客・マニュアルは外食・小売・接客業へ「宝の山」として移った
  • ガバナンスキュー(2024年2月6日)(田中幾太郎)
    • [14]1977年 三井不動産が誘致計画の中止を要請し、埋立地の住宅用地分譲を主張
    • [16]高橋政知が三井不動産の撤回圧力を退け、テーマパークによる長期の集客を選択
  • 株式会社オリエンタルランド 有価証券報告書(2024年3月期)【沿革】
    • [15]1972年12月 千葉県から分譲を受けた埋立地(住宅用地)の販売を開始
    • [17]1979年4月 ウォルト・ディズニー・プロダクションズとライセンス・設計・建設・運営に関する業務提携契約を締結
    • [18]1980年12月 浦安町舞浜地区で東京ディズニーランドの建設に着工
    • [21]1983年4月 東京ディズニーランドを開業
  • 日経ビジネス 1983年3月7日号
    • [19]東京ディズニーランドの総工費は約1,500億円
    • [20]当時の全国の遊園地市場は入場者およそ5,000万人・約1,000億円規模
    • [22]五つのテーマランドと32のアトラクション、300冊の接客マニュアルまで本家を複製
    • [27]アメリカ的なあそび心が日本人に根づくのかという懐疑を抱えた船出
  • 日経ビジネス 1984年2月20日号
    • [23]開業9か月半で延べ850万人
    • [24]初年度入園者数993万人
    • [25]東京ディズニーランド開業は「黒船以来の事件」と呼ばれた
    • [26]米国流の清潔・接客・マニュアルは外食・小売・接客業へ「宝の山」として移った

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オリエンタルランドの沿革1960〜2024年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1958〜1983年漁場4年・埋立11年から始まる立地優位の獲得浦安沖の埋立とオリエンタルランドの設立
千葉県と土地造成・分譲協定を締結
浦安沖の海面埋立造成工事を開始
海面埋立造成工事を完了
三井不動産の反対を退けたディズニー独占ライセンス契約

1979年、浦安沖の埋立地を保有するオリエンタルランドの実権を握る高橋政知専務が、大株主・三井不動産の撤回圧力を退け、米ウォルト・ディズニー・プロダクションズと東京ディズニーランドの独占的なライセンス契約を結んだ経営判断。回収に数十年を見込む超長期の投資だった。

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★★★
東京ディズニーランドの建設に着工
東京ディズニーランドの開業と「黒船以来」の衝撃

1983年4月15日、オリエンタルランドが千葉県浦安市の埋立地に東京ディズニーランドを開業した経営判断。総工費約1,500億円を投じ、米国ディズニーの世界観と運営様式、300冊にのぼる接客マニュアルまでそのまま持ち込んで、年間1,000万人規模の集客を狙った。

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★★★
1984〜2008年1,736万人の天井とディズニーシーによる滞在型リゾート化オリエンタルランドの経営が黒字化
第2次新規設備投資計画を決定
加藤康三スプラッシュマウンテン開業
加賀見俊夫東京ディズニーシーの建設を決定★★
加賀見俊夫ミリアルリゾートホテルズを設立
加賀見俊夫東京証券取引所第一部に株式上場
加賀見俊夫舞浜リゾートラインを設立
加賀見俊夫イクスピアリ・アンバサダーホテル開業
加賀見俊夫高橋政知が死去
加賀見俊夫ディズニーリゾートラインを開業
加賀見俊夫東京ディズニーシーを開業
加賀見俊夫「ディズニーストア」事業を承継
2009〜2026年入園料6,200円から10,900円への改定と3,200億円の超長期投資上西京一郎「ディズニーストア」事業から撤退★★
上西京一郎入園者数の成長から客単価の成長への転換と入園料の段階的な引き上げ

2011年、オリエンタルランドは上西京一郎社長のもとで東京ディズニーランド・シーの入園料の段階的な引き上げを始め、入園者数を積み増す成長から、来園者一人あたりの消費額を高める成長へと収益の設計を切り替えた経営判断。舞浜の埋立地という限られた用地で人数の拡大に上限が近づくなか、価格と商品・体験でゲスト1人当たり売上高を押し上げる方向を選んだ。

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★★★
上西京一郎東日本大震災により約1ヶ月間の臨時休園
上西京一郎ファンタジースプリングスへの約3,200億円投資と超長期の回収設計

2018年6月、オリエンタルランドはディズニー社と東京ディズニーシーの大規模拡張で合意し、追加投資約2,500億円と開業目標2022年度を掲げ、ライセンス契約を最長2076年まで延長した。計画はコロナ禍の赤字を挟んでも中断されず、総投資額約3,200億円をかけた8番目のテーマポート『ファンタジースプリングス』として2024年6月6日に開業した経営判断である。

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★★★
上西京一郎年間入園者数が過去最高の3,256万人を記録
上西京一郎コロナ禍による臨時休園
吉田謙次最終赤字541億円に転落★★
吉田謙次ファンタジースプリングスが開業
吉田謙次ディズニークルーズのライセンス契約を締結★★
出典・参考
  • 株式会社オリエンタルランド 有価証券報告書(2024年3月期)【沿革】
  • 日経ビジネス 1983年3月7日号
  • 日経ビジネス 1984年2月20日号
  • ガバナンスキュー(2023年10月23日)(田中幾太郎)
  • ガバナンスキュー(2024年2月6日)(田中幾太郎)
  • 株式会社オリエンタルランド「オリエンタルランド創成期」(公式サイト 沿革・歴史)

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