重要な意思決定
1996

東京ディズニーシーの建設を決定

背景

1パーク体制の集客力が上限に近づく

東京ディズニーランドは開業以来、着実に入園者数を伸ばし、1991年には年間1,587万人を記録した。しかし1990年代半ばに入ると伸び率は鈍化し、パークの物理的なキャパシティが集客の天井として意識されるようになった。1998年度にはTDL単体で年間1,746万人という記録を残すが、これが実質的な1パーク体制の上限であった。

混雑はゲストの満足度を低下させ、リピーター比率約90%に支えられたTDRのビジネスモデルにとって、来園体験の質の維持は経営上の最重要課題であった。テーマパーク事業は設備の鮮度が集客力を左右するため、既存パーク内のアトラクション追加だけでは根本的な解決にならなかった。

決断

3,350億円を投じて第二パークを建設

1996年、オリエンタルランドは東京ディズニーランドに続く第二パーク「東京ディズニーシー」の建設方針を決定し、ディズニー社との間で契約を締結した。総投資額は約3,350億円で、TDL建設時の約1,800億円を大きく上回る規模であった。TDLが「夢と魔法の王国」をコンセプトとしたのに対し、TDSは「冒険とイマジネーションの海」をテーマとし、大人の来園者を意識した世界観が設計された。

この巨額投資の資金調達のため、オリエンタルランドは1996年12月に東京証券取引所第一部に株式を上場した。非上場企業として30年以上にわたり京成電鉄と三井不動産の2社体制で経営してきたオリエンタルランドにとって、上場は資本構造の根本的な転換であった。

結果

2パーク体制で年間入園者数2,500万人超へ

2001年9月4日、東京ディズニーシーが開業した。この日は、ディズニーランド誘致に生涯を捧げた高橋政知の88回目の誕生日にあたる日であった(高橋は2000年8月に死去)。TDS開業により東京ディズニーリゾートは2パーク体制となり、年間入園者数は2,500万人を超える水準に拡大した。

TDSの開業は単なる集客力の増強にとどまらなかった。2パーク体制により来園者の分散と滞在時間の延長が実現し、隣接するディズニーホテル群やイクスピアリ(商業施設)との相乗効果で「リゾート」としての収益構造が確立された。1パーク体制では天候や季節変動の影響を受けやすかった経営が、2パーク体制により安定化した。