決断
球場の貸し賃だけに依存せず、同じ敷地に別の集客施設を重ねてきた会社である。1949年10月、文京区の財源開発計画から持ち込まれた競輪場を球場の隣接地に建設し、場内の食堂と売店の全面経営を条件に使用料を売上高の4%とした。1951年には2000人が同時に滑走できるアイスパレスが開業し、1955年7月には機械化した遊園地を開園する。1962年4月には日本最初の自動式ボウリング場を置いたボウリング会館を完成させ、雨の日にも客を呼べる屋内の売上を持った。1965年8月の熱海後楽園で、宿泊を伴うレジャーを後楽園の敷地の外へ広げている。