1997年 学生起業の求人サイトから国民的SNSへ──イー・マーキュリー創業とmixiの誕生
- 1999年Web系求人情報サイト「Find Job !」の運営のため、東京都渋谷区神泉町に有限会社イー・マーキュリーを設立(出資金300万円)
- 2000年株式会社イー・マーキュリーへ組織変更(資本金1,000万円)
- 2004年インターネットメディア事業(現・ライフスタイル事業)として、ソーシャル・ネットワーキング サービス「mixi」の運営を開始
- 2006年東京証券取引所マザーズ市場に株式を上場
- 2006年株式会社ミクシィに商号変更
MIXIの業績推移:単体
出所:有価証券報告書・会社四季報等
東大在学中の起業と求人サイト「Find Job !」
MIXIの源流は、東京大学在学中の笠原健治氏が1997年11月に立ち上げた求人情報サイトにさかのぼる。アルバイト先の上司が求人情報誌の掲載料の高さをこぼすのを聞き、ネットなら条件検索も掲載変更も容易で、紙のコストがかからない分だけ掲載料も安くできると考えた。ゼミ合宿への参加を取りやめてパソコンを買い込み、サイトの構築法を独学で身につけて開設にこぎつけた。1999年6月には求人情報サイト「Find Job !」運営のため、有限会社イー・マーキュリーを出資金300万円で設立する。本社は、ネットエイジのオフィスに間借りした片隅の机であった。2000年10月に株式会社へ改組し、資本金を1,000万円とした。 [1][2][3][4]
- 週刊東洋経済 2007年2月3日号
- [1]東京大学在学中の笠原健治は1997年11月に求人情報サイトを立ち上げた
- [4]設立当初の本社はネットエイジのオフィスに間借りした机だった
- 有価証券報告書【沿革】
- [2]1999年6月に有限会社イー・マーキュリーを出資金300万円で設立した
- [3]2000年10月に株式会社へ組織変更し資本金1,000万円とした
若き起業家を支えたのは、渋谷を日本版シリコンバレーにしようと「ビットバレー」構想を提唱したネットエイジグループの西川潔社長であった。笠原氏は会社の作り方を一から教わり、西川氏はのちにミクシィの社外取締役も務める。求人サイトの飛躍を狙って、資本金と同程度の広告費を毎月ヤフーに投じた経験から認知獲得コストの高さを痛感した笠原氏は、「メディアを持ちたい」と口にするようになった。人々のアクセスを日常的に集める自前のサービスがあれば、求人サイトの宣伝にも広告収入にもつながる。この構想が、のちのmixiにつながった。 [5][6]
- 週刊東洋経済 2007年2月3日号
- [5]ネットエイジグループの西川潔社長は笠原健治に会社の作り方を教え、のちにミクシィ社外取締役を務めた
- [6]笠原健治はヤフーへの広告出稿を経て「メディアを持ちたい」と語った
- 週刊東洋経済 2007年2月3日号
- [1]東京大学在学中の笠原健治は1997年11月に求人情報サイトを立ち上げた
- [4]設立当初の本社はネットエイジのオフィスに間借りした机だった
- [5]ネットエイジグループの西川潔社長は笠原健治に会社の作り方を教え、のちにミクシィ社外取締役を務めた
- [6]笠原健治はヤフーへの広告出稿を経て「メディアを持ちたい」と語った
- 有価証券報告書【沿革】
- [2]1999年6月に有限会社イー・マーキュリーを出資金300万円で設立した
- [3]2000年10月に株式会社へ組織変更し資本金1,000万円とした
留学生の提案から生まれた国内最大のSNS
2003年夏、新しい「メディア」を巡る社内の議論のなかで、エンジニアのインドネシア人留学生バタラ・ケスマ氏が、留学生仲間ではやっていた米国のSNS「フレンドスター」を紹介した。笠原氏は複数の米国型SNSを試し、現実社会の人間関係がネット上で再現される点に可能性を見いだす一方、人脈づくりが自己目的化した設計ではすぐ飽きがくるとみて、人と人との付き合いそのものに焦点を当てた「居心地のいいサイト」を構想する。約4カ月の開発期間を経て、2004年2月にSNS「mixi」の運営を開始した。 [7][8]
- 週刊東洋経済 2007年2月3日号
- [7]インドネシア人留学生バタラ・ケスマが米国のSNSフレンドスターを紹介しmixi開発のきっかけとなった
- 有価証券報告書【沿革】
- [8]2004年2月にSNS「mixi」の運営を開始した
招待制のもとで会員が知人を招く形で広がり、会員数は2005年8月に100万人を超え、2006年3月に300万人、同年9月の上場時には570万人へ膨らんだ。1日に書かれる日記は80万〜90万件に達し、20代前半ではおよそ3人に1人が利用するといわれるほど若年層に浸透して、「日記」「足あと」「コミュニティ」といった機能とともにSNSという言葉自体を日本社会に定着させた。2006年2月には社名をイー・マーキュリーから株式会社ミクシィへ変更し、サービス名と会社名を一体化した。上場は広告事業への追い風となり、優秀な人材の入社にもつながったと笠原氏はのちに振り返っている。 [9][10][11][12]
- 週刊東洋経済 2006年9月23日号
- [9]会員数は2005年8月に100万人を超え2006年3月に300万人、上場時に570万人へ拡大した
- 週刊東洋経済 2007年2月3日号
- [10]1日に書かれる日記は80万〜90万件、20代前半は約3人に1人が利用した
- 有価証券報告書【沿革】
- [11]2006年2月に株式会社ミクシィへ商号変更した
- 週刊東洋経済 2026年3月7日号
- [12]上場は広告事業への追い風となり優秀な人材の入社につながったと笠原健治は回顧した
- 週刊東洋経済 2007年2月3日号
- [7]インドネシア人留学生バタラ・ケスマが米国のSNSフレンドスターを紹介しmixi開発のきっかけとなった
- [10]1日に書かれる日記は80万〜90万件、20代前半は約3人に1人が利用した
- 有価証券報告書【沿革】
- [8]2004年2月にSNS「mixi」の運営を開始した
- [11]2006年2月に株式会社ミクシィへ商号変更した
- 週刊東洋経済 2006年9月23日号
- [9]会員数は2005年8月に100万人を超え2006年3月に300万人、上場時に570万人へ拡大した
- 週刊東洋経済 2026年3月7日号
- [12]上場は広告事業への追い風となり優秀な人材の入社につながったと笠原健治は回顧した
東証マザーズ上場と時価総額2,000億円の熱狂
2006年9月、ミクシィは東京証券取引所マザーズ市場に上場した。公募価格155万円に対し初日は買い気配のまま値がつかず、公開日当日の買い気配値315万円で計算した時価総額は2,221億円に達して、大株主だったサイバーエージェントの時価総額を上回った。2007年3月期の会社予想は売上高約48億円・経常利益17億円にすぎず、PER(株価収益率)は公募価格ベースでも110倍と、業績に対して期待が大きく先行していた。実際の2007年3月期は売上高52億円・経常利益21億円で着地している。 [13][14]
- 有価証券報告書【沿革】
- [13]2006年9月に東京証券取引所マザーズ市場に上場した
- 週刊東洋経済 2006年9月23日号
- [14]公募価格155万円に対し初日は値がつかず、買い気配値315万円換算の時価総額は2,221億円だった
上場直後の2006年8月時点で、月間ページビューはヤフーに次ぐ国内2位につけ、楽天を上回った。会員限定のクローズドなサービスながら、一人当たり利用時間ではヤフーをも上回り、属性の明確なユーザー基盤は広告媒体としても注目を集めた。上場前日に放送されたTBSのドラマが宣伝に公認コミュニティを活用するなど、口コミを生かしたマーケティングの場としても存在感を高めていた。株価の過熱を危ぶむ声に対し、笠原社長は「責任の重さを実感している。期待に社員全員で応えていきたい」と語り、時価総額2,000億円の重圧とともに公開企業としての歩みを始めた。 [15][16][17]
- 週刊東洋経済 2006年9月23日号
- [15]2006年8月の月間ページビューはヤフーに次ぐ2位で楽天を上回った
- [16]上場前日に放送されたTBSのドラマは宣伝にミクシィの公認コミュニティを活用した
- [17]笠原健治社長は上場時に「責任の重さを実感している。期待に社員全員で応えていきたい」と語った
- 有価証券報告書【沿革】
- [13]2006年9月に東京証券取引所マザーズ市場に上場した
- 週刊東洋経済 2006年9月23日号
- [14]公募価格155万円に対し初日は値がつかず、買い気配値315万円換算の時価総額は2,221億円だった
- [15]2006年8月の月間ページビューはヤフーに次ぐ2位で楽天を上回った
- [16]上場前日に放送されたTBSのドラマは宣伝にミクシィの公認コミュニティを活用した
- [17]笠原健治社長は上場時に「責任の重さを実感している。期待に社員全員で応えていきたい」と語った