ラウンドワン の歴史

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創業 1980年
創業者 杉野公彦
創業地 大阪府堺市
創業
1980年12月、杉野公彦氏が大阪府泉南市に杉野興産株式会社を資本金300万円で設立した。父のローラースケート場を引き継ぐ起業で、同時に泉大津市でゲームコーナー併設のローラースケート場を開設した。1982年7月には同じ店にボウリング16レーンを足し、遊びを一拠点へ重ねる形が生まれる。1990年12月の堺市・石津店で屋内型・複数業態併設・大規模という基本形が固まる。1993年には別会社としてラウンドワンを起こし、翌1994年にこれを吸収合併して商号をそちらへ移した。ただしこの時点では近畿の非上場チェーンにすぎない。
決断
遊びを入れ替えるのではなく足し続ける、増築型の経営である。1982年のボウリング併設に始まり、2004年の京都伏見店ではスポッチャを重ねて、中高年男性に偏っていた客層を家族や友人へ広げた。以降の新規出店はこの併設型が標準になる。同じ型を国外へも持ち出し、2010年には衰退する米国の郊外モールへ一施設一括型の複合業態を移植し、初期数年の赤字を織り込んで出店を重ねた。2024年4月には施設運営を分社して持株会社へ移り、新たに飲食を収益源に加えにかかった。足すことをやめない代わりに、投資の回収には長い時間をかけている。
現況
国内一本から、国内と米国の 2 地域へ組み替わった事業構造である。2026年3月期の売上収益1,895億円のうち、米国が796億円と4割を超えた。2010年に始めた郊外モールへの移植が10年以上を経て収益源に育ち、コロナ後は反動需要で国内より早く回復している。国内は100店舗体制で高収益を見込める出店地がほぼ埋まり、設備投資の7割超は米国へ向く。営業利益はコロナ禍の赤字から4期続けて伸びて288億円。ただし米国のセグメント利益は85億円と前期の115億円から減少しており、伸びる場所と稼ぐ力はまだ揃っていない。
競合
アーケード大手の顔ぶれは、この20年で入れ替わった。2005年にタイトーはスクウェア・エニックス傘下に入り、2015年にはセガがゲームセンター運営を切り離した。ラウンドワンはボウリング・アーケード・カラオケ・ビリヤードを一つの建物へ集約し、店を選ぶ理由を「何をするか」から「どこで過ごすか」へ移した。米国でも大型モールに57店舗を並べて利益の出る体制を築き、主力のクレーンゲームでは景品の自社開発を強みに挙げる。ただし海外出店では現地の人材確保とガバナンス整備を自ら課題に挙げており、日本の運営をそのまま移せるわけではない。
ラウンドワン:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2006年3月期2026年3月期
ラウンドワンにおける経営の転換点(その1) Q なぜ1980年に一つの遊びでなく複数業態を一拠点に集めたのか
A 1980年に杉野公彦氏が選んだのは、一つの遊びではなく複数の遊びを一拠点に集める形だった。天候や年齢に左右されにくく滞在時間と回転がそのまま売上に積み上がるためである。同年に大阪府泉大津市でローラースケート場にゲームコーナーを併設して開き、1982年7月には同じ泉大津店にボウリング16レーンを足した。1990年12月の堺市・石津店で屋内型・複数業態併設・大規模という業態の基本形を固め、家族や友人を丸ごと一施設に囲い込む稼ぎ方を成立させた。
ラウンドワンにおける経営の転換点(その2) Q なぜ2004年にスポッチャ業態を重ねて出店の型を変えたのか
A 2004年に杉野公彦氏が京都伏見店でスポッチャを重ねたのは、ボウリングだけでは中高年男性に客層が偏り、一施設あたりの稼働率と単価を引き上げきれなかったためである。2004年7月、ローラースケート・バッティング・卓球等を一施設に詰め込んだ総合スポーツアミューズメントを併設し、家族・カップル・友人の利用を取り込んだ。以降の新規出店は基本的にスポッチャ併設型で進め、この一施設一括型の業態を後に米国へそのまま移植する土台とした
ラウンドワンにおける経営の転換点(その3) Q なぜ2024年に純粋持株会社へ移行したのか
A 2024年に杉野公彦氏が純粋持株会社へ移ったのは、成熟する国内と伸びる米国・中国を別会社に分け、各社別の最適経営を本体が統括するためである。2024年4月に屋内型複合レジャー施設の運営をラウンドワンジャパンへ承継し、同年6月に米国でRound One Delicious Holdings, Inc.を設立、2025年2月に食事業を米国法人へ譲渡した。2025年3月期の米国売上は731億円と連結の約4割に達し、国内の成熟を米国が補う構造が定着した

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ラウンドワンの沿革1980〜2024年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1980〜1996年杉野興産・ローラースケート場から始まったレジャー事業杉野興産を設立
ボウリング場の経営を開始★★
屋内型複合レジャー施設の石津店をオープン★★
現代表取締役社長杉野公彦他1名によりラウンドワン(旧)を設立
杉野公彦ラウンドワン(旧)の吸収合併と、杉野興産からラウンドワンへの商号変更

1994年12月、遊戯場経営の杉野興産は、前年に別途設立していた株式会社ラウンドワン(旧)を吸収合併し、同時に存続会社である自社の商号を『杉野興産株式会社』から『株式会社ラウンドワン』へ改めた。1980年以来の創業名から、屋内型複合レジャー施設の運営を象徴するラウンドワンへと、会社の呼び名が切り替わった再編であった。

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★★★
1997〜2008年1997年大証二部から東証一部へ、スポッチャ業態の確立杉野公彦関東第1号店、横浜戸塚店をオープン
杉野公彦大阪証券取引所市場第二部に株式を上場
杉野公彦屋内型複合レジャー施設スポッチャ併設第1号店の京都伏見店をオープン
2009〜2026年米国・中国海外展開と持株会社体制移行杉野公彦Round One Entertainment Inc.を設立★★
杉野公彦米国カリフォルニアへの海外第1号店の出店と国内モール業態の移植

2009年4月に米国へ準備会社Round One Entertainment Inc.を設立し、2010年8月、カリフォルニア州のプエンテヒルズ店で海外第1号店をオープンした。ボウリング・アーケードゲーム・スポッチャを一つの建物に併設する国内の複合レジャー業態を、そのまま米国の郊外ショッピングモールへ持ち込む出店であった。杉野公彦社長が主導した。

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★★★
杉野公彦Round One Rus LLCを設立
杉野公彦朗玩文化娯楽有限公司を設立
杉野公彦Kiddleton Inc.についてミダスエンターテイメントと50%合弁契約を締結
杉野公彦ロシア第1号店ユーロペイスキー店をオープン
杉野公彦中国第1号店となる広州新塘イオンモール店をオープン
杉野公彦持株会社体制に移行★★
杉野公彦Round One Delicious USA Inc.を設立
出典・参考
  • ラウンドワン 有価証券報告書 第26期(2006年3月期)【沿革】
  • ラウンドワン 有価証券報告書 第45期(2025年3月期)【沿革】

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