アイルランドへの生産拠点設置(1991年・山之内製薬の決断)更新:2026/07/29山之内製薬:業績の推移売上高(億円)経常利益率(%)データ出所欧州の生産販売網の自前構築国内の製薬メーカーとして初の海外生産拠点にあたる。何をなぜ決めたか:欧州の生産販売網の自前構築概要国内の製薬メーカーとして初の海外生産拠点にあたる。背景日本の製薬業は新薬の輸入販売と特許の導入で育ち、山之内製薬も米ロシュ社・西独ベーリンガー社との提携で新薬を出してきた。自社創製のガスターも欧米では技術輸出にとどまり、現地に自社の名は残らなかった。内容アイルランドに生産拠点を開設し、欧州各国の販売までを含む網を5年かけて整えた。含意1997年にはアイルランドでもガスターを生産し、主要5品目で年商1600億円を計上した。いつ何が起きたか6件筆者考察考察考察:売る薬より先に、売る場所を用意したガスターを米メルク社へ渡したのと同じ時期に、山之内製薬はアイルランドに工場を建設している。売れる薬が一品しかない会社が、その一品を海外では他社に預けながら、欧州には自前の生産と販売を敷いた。順序としては、売り場のほうが品揃えより先に立っている。網の完成した翌年に森岡茂夫社長が掲げた目標は『国内だけでなく、海外でも、新薬を切れ目なく発売できるようにしたい』というものであり、売る仕組みを先に用意してから中身を埋める考え方であったと推察される。網がすぐに利益を生んだと示す数字は、手元に残っていない。完成を報じた1991年の記事は本文が失われ、当時どれだけの販売会社を設立し、どれだけ売ったのかは辿れない。欧州で品目が並んだ確かな記録は、ガスターに続いてハルナールが進んだと書かれた1998年まで下る。アイルランドの設立からは12年である。国内の薬価が下がり、輸出だけが増収を支えた期にようやく効いた点を見れば、拠点を先に置く判断が報われるまでには、それだけの時間がかかったといえる。Yutaka Sugiura, 2026年7月参考文献参考文献参考会社銀行八十年史(1955年)第2篇 日本会社史「山之内製薬」会社銀行八十年史(1955年)第2篇 日本会社史「医薬品 概説」アステラス製薬 有価証券報告書【沿革】日経ビジネス 1985年12月19日号日経産業新聞 1989年4月14日日経ビジネス 1991年4月8日号日経産業新聞 1992年3月3日山之内製薬 会社年鑑(連結業績)次に読む決断山之内製薬の意思決定1985年山之内製薬山之内製薬米メルクへの技術輸出自社創製のH2ブロッカー「ガスター」の発売と、技術を海外へ導出する側への転換1985年1989年山之内製薬山之内製薬筑波研究センターの開設バイオテクノロジーを用いた医薬品への投資1989年同じ問い:現地生産からの世界展開2002年日産自動車日産自動車日産180による100万台増販再建から成長への転換と、北米の新工場・中国の合弁を軸にした世界販売の上積み2002年2017年カルビーカルビーフルグラの中国再進出越境ECと現地専用工場を軸にした中国市場の攻め直し2017年1992年東京応化工業東京応化工業オーカ・アメリカへ統合米国現地法人の設立と1992年の二社統合による北米供給体制の構築1992年1990年ヤオハンヤオハングループ本部の香港移転国内の出店規制に見切りをつけた海外雄飛1990年1996年ローツェローツェハイフォンに量産拠点設立開発と量産を国境で分担する国際分業体制の構築1996年×出所