中部電力 渥美火力発電所の建設 国定公園の保安林に建てた大容量火力と、申し入れから着工まで9年を要した増設
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何をなぜ決めたか
- 概要
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1965年、中部電力は愛知県渥美郡渥美町で、地元の積極的な協力を得て約108万m²の火力発電所用地を買収した。三重・新名古屋・四日市・知多・武豊といった他の火力の用地は、埋立権者が漁業補償まで済ませた臨海部の埋立造成地を譲り受けたものであったのに対し、渥美だけは国定公園内の保安林であった。1・2号機(各50万kW)は1971年6月と10月に運転を始めた。
- 背景
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1960年代の火力電源は名古屋南部や四日市の臨海工業地帯に集まり、1961年から1971年までの10年間に開発した火力は413万5,200kWに達した。一方で、四日市火力では1963年に粉じんの降下、1964年と1966年に温排水による海苔の被害が問題となった。1967年8月に公害対策基本法、1968年12月に大気汚染防止法が施行され、火力の立地には環境との調和がこれまでになく求められるようになった。
- 内容
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用地が国定公園内にあり保安林の指定を受けていたため、1968年9月に愛知県と、海岸線沿いの植林地帯の確保、天然松の存置、周辺環境と調和した施設の設置を内容とする協定を結び、ようやく建設の了解を得た。同年2月からは前面海域約82万m²の漁業権消滅を小中山漁協と、漁業支障の補償を中山漁協ほか5組合と交渉した。一点けい留ブイの設置に反対した三河湾内の21組合とも、1年近い交渉のすえ解決した。
1・2号機は知多火力3号機の経験を基に電子計算機によるユニット起動制御を採り入れ、大容量機ながら3名の運転員で運転できる設計とした。
- 含意
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3・4号機(各70万kW)の増設は1970年3月に申し入れたが、町議会の意見がまとまらず、同年5月の電源開発調整審議会は3号機のみを承認した。反対派による町長リコール運動は2度に及び、町長が2度辞任した。1976年10月に愛知県が厳しい環境対策を実施すれば地域の環境は保全できると回答し、翌11月に町長が増設に同意した。1979年6月に着工し、1981年5月と6月に運転を始めた。電源三法による渥美関連の交付金は約50億円にのぼった。
いつ何が起きたか 9件
筆者の見解
埋立地の外へ出た火力
渥美の決断は、臨海工業地帯の埋立地という火力の定位置から初めて外へ出た立地だったとみられる。埋立地では漁業補償も土地利用の調整も埋立権者が済ませており、会社が向き合う相手は限られていた。渥美では用地の買収、国定公園の保全協定、湾内21組合との補償交渉を、会社が一つずつ自ら引き受けた。1・2号機を短期間で動かせたのは町の積極的な協力があったからで、その協力が揺らげば同じ地点の増設が格段に難しくなることまで、この時点で見通していたかは疑わしい。
もっとも、9年に及んだ3・4号機の紛争は、火力の立地を会社と町の交渉だけでは決められない時代の到来を示していた。決着の鍵になったのは会社の説得ではなく、県が示した環境対策の水準と、町が専門家に委ねた健康と環境の調査であった。第三者の評価を合意の土台に据える手順は、市の事業として環境調査を行った尾鷲三田の増設にも、似た形で現れている。
Yutaka Sugiura, 2026年9月
業績の推移
建設の条件
建設の条件
| 科目 | 概要 | 備考 |
|---|---|---|
| 所在地 | 愛知県渥美郡渥美町 | 三河湾国定公園内。保安林の指定地 |
| 用地 | 約108万m² | 1965年に地元の協力を得て買収 |
| 愛知県との環境協定 | 1968年9月 | 海岸線沿いの植林地帯の確保、天然松の存置など |
| 1・2号機の出力 | 各50万kW | |
| 1・2号機の運転開始 | 1971年6月・10月 | |
| 3・4号機の出力 | 各70万kW | |
| 3・4号機の申し入れと着工 | 1970年3月・1979年6月 | 3号機は1970年5月、4号機は1976年12月に電源開発調整審議会で承認 |
| 3・4号機の運転開始 | 1981年5月・6月 | 着工から運転開始まで26か月 |
出所:中部電力20年史(1971年)・中部電力30年史(1981年)・中部電力40年史(1991年)
同じ問いに直面した会社
参考文献
- 中部電力20年史(1971年)
- 中部電力30年史(1981年)
- 中部電力40年史(1991年)
- 中部電力 ダイヤモンド会社産業総覧(1964年版)
- 中部電力70年史