中部電力 知多火力5・6号機のLNG導入 大気汚染の重い臨海部での増設を通した、中部電力初のLNG専焼火力の採用
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何をなぜ決めたか
- 概要
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1973年11月、中部電力は愛知県知多市に、知多火力発電所5・6号機(各70万kW)の立地を申し入れた。建設地が名古屋南部臨海工業地帯の大気重汚染地域にあり、市から環境対策に万全を期すよう強く求められたことに応え、燃料に中部電力初のLNGを採用した。5号機は1978年3月、6号機は同年4月に運転を始め、中部電力初のガス火力となった。
- 背景
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知多火力は1966年2月と1967年1月に1・2号機(各37万5,000kW)、1968年3月に超臨界圧の3号機(50万kW)、1974年3月に中部電力初の70万kW機である4号機が運転を始めた、中部電力の中核の火力であった。1972年の四日市公害裁判で企業の責任を認める判決が出てからは、工業立地の環境対策がいっそう厳しく求められ、工業地帯の既設地点での増設であっても、地元の同意は環境対策の水準に左右されるようになった。
- 内容
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LNGは、インドネシア国営石油ガス会社プルタミナとの長期購入計画により、インドネシアから年間170万tを20年間にわたり受け入れる。6万4,000t級の専用船が入る水深14m以上の港湾と、桟橋から貯蔵タンクまでの短い距離という条件を知多火力の構内では満たせず、約3km南で東邦瓦斯が取得を予定していた名古屋港管理組合の埋立地を共同で使うことにした。1974年6月の基本協定で、基地の建設と運転は東邦瓦斯が担い、東邦瓦斯のガス製造工場は中部電力が貸す知多火力の用地に建てると定めた。
5・6号機には低NOxバーナなどに加え、国内で初めて排煙の全量を処理する脱硝装置を設置した。
- 含意
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インドネシア側のLNG基地の建設が遅れ、1977年夏までに運転を始める予定だった5号機は燃料の導入が間に合わなかった。1979年3月には4号機のボイラをLNGも使えるよう改造し、知多火力1〜6号機の総出力は335万kWで中部電力最大となった。LNG火力はその後、知多第二火力、四日市火力4号系列、川越火力へと広がり、電源構成に占めるLNG火力は1981年度末の8%から1990年度末には34%へ、石油火力は65%から39%へ移った。
いつ何が起きたか 9件
筆者の見解
燃料で増設の同意を得た発電所
知多5・6号機のLNG導入は、脱石油の先取りである以前に、大気汚染の重い地域で増設の同意を得るための燃料の選択だったとみられる。申し入れは第1次石油危機の直後であったが、燃料をLNGにした直接の理由は市の強い環境要請であり、硫黄酸化物もばいじんも出さない燃料と国内初の全量脱硝が、既設地点の限界を越える条件となった。受入基地を自社で持たず、ガス会社と用地を分け合った枠組みも、燃料そのものより立地の制約を解くための工夫だったといえる。
もっとも、環境のための燃料は、そのまま調達の依存も持ち込んだ。5号機はインドネシア側の基地建設の遅れで当初の予定に間に合わず、燃料の到着が発電所の稼働を左右することを最初の1基で経験した。それでもLNG火力は13年で電源構成の3分の1を占めるまでに広がっており、立地の制約を解くための選択が、結果として中部電力の脱石油の主軸を決めたとみられる。
Yutaka Sugiura, 2026年9月
業績の推移
建設の条件
建設の条件
| 科目 | 概要 | 備考 |
|---|---|---|
| 所在地 | 愛知県知多市 | 名古屋南部臨海工業地帯の大気重汚染地域 |
| 立地の申し入れ | 1973年11月 | |
| 出力 | 各70万kW(5・6号機) | |
| 燃料 | LNG専焼 | 中部電力初。国内初の排煙全量処理の脱硝装置を設置 |
| LNGの調達 | 年間170万t・20年間 | インドネシア国営石油ガス会社プルタミナとの長期購入計画 |
| 受入基地 | 知多LNG共同基地 | 1974年6月に東邦瓦斯と基本協定。建設と運転は東邦瓦斯 |
| 運転開始 | 1978年3月・4月 |
出所:中部電力30年史(1981年)・中部電力40年史(1991年)
同じ問いに直面した会社
参考文献
- 中部電力20年史(1971年)
- 中部電力30年史(1981年)
- 中部電力40年史(1991年)
- 中部電力 会社年鑑(1976年版)
- 中部電力70年史