知多5・6号機のLNG導入は、脱石油の先取りである以前に、大気汚染の重い地域で増設の同意を得るための燃料の選択だったと思われる。申し入れは第1次石油危機の直後であったが、燃料をLNGにした直接の理由は市の強い環境要請であり、硫黄酸化物もばいじんも出さない燃料と国内初の全量脱硝が、既設地点の限界を越える条件となった。受入基地を自社で持たず、ガス会社と用地を分け合った枠組みも、燃料そのものより立地の制約を解くための工夫だったといえる。
もっとも、環境のための燃料は、そのまま調達の依存も持ち込んだ。5号機はインドネシア側の基地建設の遅れで当初の予定に間に合わず、燃料の到着が発電所の稼働を左右することを最初の1基で経験した。それでもLNG火力は13年で電源構成の3分の1を占めるまでに広がっており、立地の制約を解くための選択が、結果として中部電力の脱石油の主軸を決めたのだろう。