中部電力 川越火力発電所の新設 誘致を決議した町の埋立地への、超々臨界圧LNG火力2基の建設

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時期 1981年8月
当時の社長 田中精一
論点 脱石油のためのLNG火力の新規立地
何をなぜ決めたか
概要

1981年8月、中部電力は三重県川越町に、川越火力発電所1・2号機(各70万kW)の建設を申し入れた。建設地は町が1967年12月に公有水面の埋め立てに着手し、1973年5月に竣工した工業用地で、町は同年7月に町議会全員協議会で発電所の誘致を決議していた。1982年3月に町の埋立地約48haを譲り受け、LNG専焼の2基は1989年6月と1990年6月に営業運転を始めた。

背景

1979年5月に国際エネルギー機関が石油専焼火力の新設の原則的な禁止を決議し、国内では1980年5月に石油代替エネルギー法が成立した。1981年度の施設計画は脱石油と省エネルギーを基本方針に据え、原子力の推進、石炭火力の早期具体化とともに、当面の脱石油対策としてLNG火力の開発を掲げた。三重県北勢地区でのLNG大容量火力の構想は1970年代半ばからあったが、大型LNG船を受け入れる港湾施設の計画が定まらず、大協石油のLPG基地計画と桟橋を共用する案が固まって1978年に動き出した。

内容

一部に四日市公害裁判の原告側だった団体などの反対運動があったものの、クリーンなガス燃料を使うことから、一般住民の間に目立った反対の動きはなかった。1981年10月に関係市町の庁舎などで1か月にわたり環境影響調査書を縦覧し、川越町中央公民館で説明会を開いた。

1982年2月に川越町長、3月に三重県知事から建設同意の文書を受け、同月の第87回電源開発調整審議会で国の基本計画に組み入れられた。5月には三重県・川越町と公害防止協定を、川越町と災害防止協定を結んだ。

含意

1・2号機は当初1986年5月と8月に運転を始める計画だったが、電力需給の見直しで繰り延べた。蒸気圧力316kg/cm²、温度566℃の超々臨界圧と2段再熱を採用し、熱効率は従来の汽力プラントより約2%高い41.7%で、1ユニットあたり年間約4万tの燃料を節減できる。燃料は約3.7km離れた四日市LNGセンターから海底トンネル内のガス導管で受け、温排水には中部電力初の水中放流方式を採用した。

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筆者の見解
筆者の見解

合意の見通せる地点で引き受けた技術の賭け

川越の決断で目を引くのは、立地の苦労が少なかった地点に、中部電力としても世界としても前例のない技術を載せた組み合わせである。町は8年前に誘致を決議して埋立地を用意しており、申し入れから国の計画への組み入れまでわずか7か月で進んだ。渥美や尾鷲三田で10年を超える紛争を経験した会社にとって、合意の見通しが立つ地点は、大容量の超々臨界圧という技術上の賭けを引き受けられる場所でもあったとみられる。

もっとも、立地が早く進んだことは、運転の開始が早かったことを意味しない。需給の見直しで運転開始は当初の計画から3年余り後ろへずれ、その間に燃料基地の供給源もカナダ産からインドネシアの増量契約へ切り替わった。発電所そのものの合意より、燃料と需要という外側の条件が完成の時期を決めた点に、LNG火力の時代の設備投資の性格が表れているのではないか。

Yutaka Sugiura, 2026年9月

業績の推移
建設の条件

建設の条件

科目 概要 備考
所在地 三重県川越町 町が1973年5月に竣工させた埋立地
建設の申し入れ 1981年8月 町は1973年7月に町議会全員協議会で発電所の誘致を決議
用地 約48ha 1982年3月に川越町から譲り受け
国の基本計画への組み入れ 1982年3月 第87回電源開発調整審議会
出力 各70万kW(2基) LNG専焼
蒸気条件 316kg/cm²・566℃ 超々臨界圧・2段再熱。熱効率41.7%
燃料の受け入れ 四日市LNGセンター 約3.7km離れた基地から海底トンネル内のガス導管で送る
営業運転の開始 1989年6月・1990年6月 当初計画は1986年5月・8月。電力需給の見直しで変更

出所:中部電力40年史(1991年)

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参考文献
出典・参考
  • 中部電力40年史(1991年)
  • 中部電力 会社年鑑
  • 中部電力70年史

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