中部電力 浜岡原子力発電所の建設 芦浜の行き詰まりを受けた浜岡への立地の切り替えと、沸騰水型軽水炉1号機の建設

更新:

時期 1967年9月
当時の社長 横山通夫
論点 原子力電源の立地と基幹電源の確保
何をなぜ決めたか
概要

1967年9月28日、中部電力は静岡県小笠郡浜岡町の浜岡地点を、原子力発電所の具体的な計画地点として発表した。先に内定を発表していた三重県の芦浜地点で漁業者の反対が続き、原子力の開発が大幅に遅れるなかでの選択であった。4年近い地元との協議を経て1971年3月に沸騰水型軽水炉の1号機(54万kW)を着工し、1976年3月17日、東海道筋で初めての原子力発電所として営業運転を始めた。

背景

創立からの10年で水力の良好な地点をほぼ開発し尽くし、1961年から1971年までの10年間に開発した火力は413万5,200kWと水力の約5倍に達した。電源構成は1961年3月末の水力47対火力53から、1971年3月末には27対73へ傾いた。原子力は1962年度の電力長期計画で1号機25万kWを初めて組み入れたが、芦浜地点では南島町の漁業者が温排水による真珠養殖への被害を理由に反対を続け、1967年9月には三重県知事が事態の収拾に向けた談話を出した。

内容

浜岡町は申し入れと同じ1967年9月28日に同意し、1968年に全用地156万4,000m²を取得した。1969年5月の電源開発調整審議会は地元の了解を条件に国の基本計画へ組み入れ、漁業者は同年11月末に、地域住民を含む安全監視機構の設立と十分な漁業補償を条件として共存共栄を表明した。1970年4月に炉形を沸騰水型、主契約者を東芝に決め、5月に原子炉設置許可を申請した。

1971年3月に榛南5漁協と漁業補償6億1,100万円で協定を結び、浜岡前面海域約2.5km²の漁業権を消滅させた。遠州2漁協とも4月に2億7,000万円で協定し、静岡県・浜岡町・御前崎町・相良町とは安全確認に関する協定を結んだ。

含意

1号機の運転開始で、電源構成は水力15.7%、火力80%、原子力4.3%となった。2号機(84万kW)は工費約1,200億円で1978年11月29日に運転を始め、3号機(110万kW)は1979年のスリーマイル島事故による審査の遅れを挟んで1987年8月に運転を開始し、原子力の設備構成比は12%と2桁に乗った。1989年2月には4号機(113万7,000kW)の建設に着手している。

いつ何が起きたか 12件
筆者の見解
筆者の見解

代わりの場所ではなく、合意の順序を組み替えた立地

浜岡の決断は、芦浜が止まったから別の場所を探したという代替の話にとどまらないとみられる。芦浜では県の発表と町議会の誘致決議を先に積み上げてから漁業者と向き合い、反対が固まった。浜岡では用地の取得を先に済ませながら、国の計画への組み入れを地元の了解待ちとし、漁業者自身による影響調査と安全監視機構という条件を受け入れてから着工した。発表から着工までの3年半をかけた合意の順序の組み替えこそが、原子力を中部電力の電源に加えるための本当の選択だったのではないか。

もっとも、一つの地点で合意を丁寧に積み上げたことは、その地点に原子力を重ねていく流れも生んだ。1号機着工の翌年には2号機、6年後には3号機の増設を同じ浜岡に申し入れ、芦浜と熊野の立地が進まないまま、1991年時点で原子力の設備248万kWはすべて浜岡に集まっていた。原子力を一地点に集める電源構成は、この決断の時点で方向づけられていたとみられる。

Yutaka Sugiura, 2026年9月

業績の推移
建設の条件

建設の条件

科目 概要 備考
所在地 静岡県小笠郡浜岡町
用地 156万4,000m² 1968年に全用地を取得
炉型 沸騰水型軽水炉(BWR) 1970年4月に決定。主契約者は東芝
1号機の出力 54万kW
漁業補償 計8億8,100万円 榛南5漁協6億1,100万円(1971年3月)、遠州2漁協2億7,000万円(同4月)
着工 1971年3月1日 地元への申し入れ(1967年9月28日)から3年5か月
営業運転の開始 1976年3月17日 国内11番目、東海道筋で初めての原子力発電所

出所:中部電力20年史(1971年)・中部電力30年史(1981年)

同じ問いに直面した会社
参考文献
出典・参考
  • 中部電力20年史(1971年)
  • 中部電力30年史(1981年)
  • 中部電力40年史(1991年)
  • 中部電力 会社年鑑(1976年版)
  • 中部電力「各号機建設経緯」(浜岡原子力発電所)

免責事項およびポリシー