尾鷲三田3号機の15年は、新しい発電所を建てる交渉ではなく、既設の発電所が残した不信を解く交渉だったと推察される。中部電力初の公害防止協定とともに始まった発電所で、増設の申し入れはそのまま市長のリコール運動と延期の表明を招いた。会社が増設より先に排煙脱硫装置を完成させ、市の事業としての環境調査の結果を待った順序は、既設の後始末を済ませない限り次の設備は認めないという地元の論理を受け入れたものだったのだろう。
もっとも、最後に事態を動かしたのは環境の改善だけではない。国際エネルギー機関の方針で石油火力の建設に期限が迫り、漁協総会の記名投票はわずかな差で決した。2基で申し入れた計画のうち同意を得たのは3号機1基で、その3号機も運転開始から31年で廃止された。石油火力を増やしていく時代そのものが、この増設の決着と同じころに終わりつつあったと思われる。