中部電力 尾鷲三田火力3号機の増設 既設の公害を理由に止まった増設計画の、15年後の建設同意による再開

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時期 1969年2月
当時の社長 横山通夫
論点 既設火力の公害問題と増設
何をなぜ決めたか
概要

1969年2月、中部電力は三重県尾鷲市に、尾鷲三田火力発電所3・4号機(各50万kW)の増設計画を申し入れた。同年12月に電源開発調整審議会で国の基本計画への組み入れが決まったが、既設1・2号機の公害問題を背景とする反対運動で計画は延期され、1984年6月に市長と関係漁協から3号機の建設同意を得るまで15年を要した。3号機は1985年1月に着工し、1987年6月に運転を始めた。

背景

尾鷲三田火力1・2号機(各37万5,000kW)は、需要地から遠いものの外航タンカーが接岸できる港湾条件に着目し、石油精製と完全なコンビナートを組んで低廉な重油を得る発電所として、1964年7月と9月に運転を始めた。単機容量は当時国内最大で、燃料を供給する東邦石油は中部電力・三菱商事出光興産の3社で設立した。1964年8月には三重県・尾鷲市と中部電力初の公害防止協定を結んでいる。

内容

1970年3月に地元で増設反対連合会が発足し、市長のリコール運動を経て、市長は1971年3月に増設問題の延期を表明した。1972年10月の市長選挙では現職が増設を認めない公約で当選し、1976年9月の再選時にも反対の態度を変えなかった。会社は既設の公害問題の解決を先に迫られ、1976年に1・2号機の排煙脱硫装置を完成させた。

1978年3月に市長が既設の環境を多面的に把握したうえで対処する意向を示し、市の事業として1979年9月に始めた環境現状調査は、1981年3月に尾鷲地域の環境はおおむね良好との結果をまとめた。

含意

国際エネルギー機関が1986年3月以降に運転を始める石油火力の建設を認めない方針を決めており、3号機の着工には期限が迫っていた。1984年2月の尾鷲漁協の総会で、環境アセスメントの検討の是非を問う記名投票の賛成票が反対票をわずかに上回り、事態は増設へ動いた。3号機は超臨界圧変圧運転ボイラを備え、深夜停止後の起動からフル出力まで95分で達する。既設2基と合わせた3缶集合の煙突は高さ230mとなった。

いつ何が起きたか 10件
筆者の見解
筆者の見解

増設の条件は既設の後始末だった

尾鷲三田3号機の15年は、新しい発電所を建てる交渉ではなく、既設の発電所が残した不信を解く交渉だったとみられる。中部電力初の公害防止協定とともに始まった発電所で、増設の申し入れはそのまま市長のリコール運動と延期の表明を招いた。会社が増設より先に排煙脱硫装置を完成させ、市の事業としての環境調査の結果を待った順序は、既設の後始末を済ませない限り次の設備は認めないという地元の論理を受け入れたものだったのだろう。

もっとも、最後に事態を動かしたのは環境の改善だけではない。国際エネルギー機関の方針で石油火力の建設に期限が迫り、漁協総会の記名投票はわずかな差で決した。2基で申し入れた計画のうち同意を得たのは3号機1基で、その3号機も運転開始から31年で廃止された。石油火力を増やしていく時代そのものが、この増設の決着と同じころに終わりつつあったとみられる。

Yutaka Sugiura, 2026年9月

業績の推移
増設の条件

増設の条件

科目 概要 備考
所在地 三重県尾鷲市
増設の申し入れ 1969年2月 3・4号機(各50万kW)。同年12月に電源開発調整審議会で国の基本計画へ
延期の表明 1971年3月 尾鷲市長が市議会全員協議会で表明
1・2号機の排煙脱硫装置 1976年に完成
市の環境現状調査 1979年9月〜1981年3月 三重県環境保全事業団が環境はおおむね良好との結果をまとめた
3号機の建設同意 1984年6月 市長および関係漁協。2月の尾鷲漁協の記名投票で賛成がわずかに上回った
3号機の着工と運転開始 1985年1月・1987年6月 出力50万kW。超臨界圧変圧運転ボイラ

出所:中部電力30年史(1981年)・中部電力40年史(1991年)

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参考文献
出典・参考
  • 中部電力20年史(1971年)
  • 中部電力30年史(1981年)
  • 中部電力40年史(1991年)
  • 中部電力 会社年鑑(1976年版)
  • 中部電力70年史

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