メディパルホールディングス大阪支社の開設:38%を握った兵庫に留まらず、主戦場を大阪へ移した三星堂の府外進出

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時期 1971年
意思決定者(推定) 上林英一 社長(1966年就任。1968年正月に五カ年計画を宣言した)
論点 断トツの地元に留まるか、県外の大市場へ出るか
概要

1971年、三星堂は大阪支社と大阪支店・堺支店・茨木支店を一挙に開設し、大阪府内での本格営業に入った。1898年に神戸元町で開業して以来、兵庫県内に支店を継ぎ足す形で伸びてきた地場卸が、県外を主戦場に据えた最初の年である。翌1972年に東大阪支店、1973年に阪南支店、1976年に枚方支店・和泉支店と大阪物流センターを置き、1980年には大阪北支店・大阪南支店を開いて府内の面を埋めた。

背景

兵庫県内の販売シェアは38%程度とすでに断トツで、これ以上の上積みは望みにくかった。市場性という点では頭打ちであり、同地域へ投資してもそれほどの効率は期待できない。一方の大阪は人口が多く、需要そのものの厚みが違う。1967年の営業高は106億9,490万円で百億の大台を超えたばかりで、1967年末に着手した経営五カ年計画は最終年度の1972年度に200億円台、すなわち倍増を掲げていた。兵庫県内の支店を細かく増やすだけでは、この数字には届かない。

内容

1971年に大阪支社を頂点として大阪・堺・茨木の3支店を同時に置き、翌1972年には東大阪支店を開くと同時に地元の尼崎・伊丹両支店を統合して阪神支店にまとめた。府外へ拠点を伸ばしながら、地元は統合して効率を上げている。1976年には枚方・和泉の両支店に加えて大阪物流センターを開き、同年に奈良支店も置いた。

1983年12月時点のデポは兵庫14店(本社を含む)、大阪11店(大阪支社を含む)、奈良1店。物流の拠点は神戸市西区と摂津市の2か所で、人員はそれぞれ60〜70名である。1982年3月には大阪物流センターへコンピュータ制御の梱包自動ラックを入れ、在庫管理の自動化を先に進めた。

含意

1983年度の地域別売上構成は兵庫47.2%・大阪46.7%・奈良1.5%となり、進出から12年で両者はほぼ並んだ。1980年度は兵庫50.2%・大阪47.1%であり、伸び率でみても兵庫が前年比8〜9%台で推移するのに対し大阪は10%以上を保っている。

1983年12月期の売上高1,222億34百万円は全国3位で、近畿の医薬品月間需要約480億円に対する月商は約98億円、シェアにして20.4%。大阪市場では月商47億円前後で日本商事とほぼ互角に並び、二大勢力で同市場の36〜40%近くを占めた。ただし薬価引き下げ(1983年1月に平均4.9%、1984年3月に平均16.6%)が効き始め、この期は増収ながら営業利益38億93百万円と5.9%の減益に転じている。

筆者の見解

断トツの地元を、なぜ薄めにいったのか

兵庫県内で38%という数字は、卸の商売ではほとんど取り切った状態に近い。その地位を築くのに三星堂は70年をかけている。1960年の尼崎を皮切りに明石・伊丹・西脇・豊岡と県内へ支店を継ぎ足す動きは、地元を隅々まで塗りつぶす作業であった。ところが塗り終えた地元は、そこから先の伸びしろを持たない。市場が頭打ちである以上、同じ場所へ投じた金は同じ率では返ってこない。1971年に大阪支社と3支店を同時に置いた判断は、勝っている場所から資源を引き剥がして、勝っていない場所へ移す決断である。翌年に東大阪へ出ながら地元の尼崎と伊丹を1つの阪神支店へ統合した手つきに、その割り切りがよく表れている。

この移動には下地があった。仕入部の大阪連絡所は1950年から置かれており、大阪はもともと商品が集まる場所として知っていた土地である。加えて1967年末に着手した五カ年計画は、1972年度に営業高を倍の200億円台へ乗せると宣言していた。会計機や電子計算機を早くから入れ、科学的な市場調査と体質診断を基礎に長期計画を初めて引いた経営陣にとって、兵庫の頭打ちは数字で見えていたはずである。倍増の宣言が先にあり、その受け皿として大阪が選ばれたとみるほうが順序としては自然だろう。結果として1983年度に兵庫47.2%・大阪46.7%まで並び、収益の柱は2本になった。もっともその年、薬価引き下げが卸の利幅を削り始めている。面を広げ終えた次の課題は、広げた面をどう安く回すかへ移っていく。

Yutaka Sugiura, 2026年9月

メディパルホールディングス:地域別の売上構成比

(%) 兵庫大阪奈良 備考
1980年度 50.247.11
1981年度 49.11.2 大阪の構成比は誌面の表が崩れており読み取れない
1982年度 48.41.4 兵庫の伸びは前年比8〜9%台、大阪は10%以上で推移した
1983年度 47.246.71.5 残る4.6%は医療機器部・試薬部。この期から試薬部の売上を本社・大阪支社から分離した
兵庫と大阪の売上構成比
兵庫(%)大阪(%)

出所:ヤノ・レポート 1984年4月7日号「近畿圏医薬品卸の双璧、三星堂と日本商事」

メディパルホールディングス:決算の推移

(百万円) 売上高営業利益経常利益当期利益 備考
1978年12月期 1980年12月期以前の決算は手元の資料で確かめられていない
1979年12月期
1980年12月期
1981年12月期 105,3573,5723,9711,830 売上高は前期比12.2%増
1982年12月期 116,0464,1364,4941,986 売上高は前期比10.1%増
1983年12月期 122,2343,8934,2681,810 増収5.3%に対し営業利益は5.9%減、経常利益5.0%減、当期利益8.9%減
1984年12月期 1984年3月の薬価引き下げ(平均16.6%)を織り込む期。決算の数値は手元の資料にない
1985年12月期
1986年12月期
1987年12月期
1988年12月期
売上高と営業利益率
売上高(百万円)営業利益率(%)

出所:ヤノ・レポート 1984年4月7日号「三星堂と日本商事の業績推移」

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出典・参考
  • ヤノ・レポート 1984年4月7日号(矢野経済研究所)
  • 風雪七十年 : 三星堂社史(三星堂、1968年)

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